412:夢の欠片
目覚めたら、みんな消えていた。
ケースマイアンの連中も、スールーズの面々も、エクラさんたち共和国の偉いさん方も、王国のエルケル侯爵も。ずっと一緒にいるって誓ったミルリルも、周囲には誰ひとり見当たらない。
もちろん港湾城塞エファンの代表者たちなどいうまでもなく。見渡す限り何もない真っ平らな雪原のど真ん中で、俺はひとり途方に暮れる。
「何これ、みんな……どこ行った?」
とはいえ、この状況を考えると迷子になったのは俺の方だ。だから正確には、俺が、どこに来たのかって話なのではないかとは思う。……ぜんぜん、思い出せんけど。
スールーズの守り神であるミードを成仏させて、ミルリルさんの締めコメで来客はそれぞれ涙を堪えながらも明るく送ろうと乾杯を……
「……した、ような気がする」
そうそう、あれから結構、呑んじゃったんだよね俺。酒、弱いのに。
「みんな、心配してるだろうな。早いとこ戻らんと……」
ここがどこかも、わからんけどな。どっちに向かえばいいんだ? 海の近くなら海岸沿いに移動する方法もあるんだろうが、ここから水平線は見えん。共和国北部なら目に入るはずの山も見当たらん。見晴らしの良い高いところに上がれば状況が確認できると思ったんだけどな。
あまりにも真っ平らで、違和感がある。というよりも、なぜ気付かなかったのか。雪原に転がって寒くもなかったこと。何の音もせず鳥の囀りもなく、風すらそよぎもしないことを。
屈んで足元の地面に触れると、それは冷たくもない白い何かだった。見上げた空は仄かに青白く発光しているだけの天球で、雲どころか太陽もない。
「なんだ、ここ」
もしかして、また死んだのか、俺。今度もどこか別に異世界に飛ばされる途中なのか。急に焦りが臓腑を鷲掴みにする。
嫌だ。それは。それだけは。ひとりになるのは、もう耐えられない。
「ミルリル!」
走っても走っても風景は微塵も変わらず、転移で距離を取ってもそこには永遠に白い地面と青白い天球が存在しているだけ。
「……そんな」
がっくりと両手をついた俺の前に影が差す。顔を上げると、どこかで見覚えのある人物が俺を見つめていた。
「よしあぎ」
かつて、俺を呼んだ優しい声。語尾が踊るような訛りと、首を傾げるような仕草。
「……婆、ちゃん……?」
郡山の婆ちゃんが、腰に手を当てて立っていた。その姿勢は、いつもいつも悪さをする俺に、やんわりとお説教するときのポーズだった。
婆ちゃんは呆れたように笑うと、首を振って俺を見る。
「ひとりで、あたふたして、どうしたの?」
「え、ああ……ん?」
久しぶりに婆ちゃんの方言を聞いて、何をいわれたのか一瞬わからなかった。
そうだな。子供の頃も、遊びに行って最初の日はそんな感じだった。翌日くらいからリズムとイントネーションに慣れて、なんとなく理解できるようになるのだ。
「こんなこと、してる場合じゃないよ」
身振りを含めてわかったが、なんだか俺がここで迷ってるのを見かねて、出てきてくれたっぽい。
どこから出てきたのか、ここがどこなのかは俺にもわからない。たぶん、婆ちゃん自身にもだ。
「も、行きなさい。可愛い女の子が、待ってるでしょ?」
「……ああ、うん。でも、婆ちゃんは?」
「だいじょうぶ。自分は、行けないから」
「俺だけ?」
「そうだ」
いいから元いた場所に戻れとばかりに、婆ちゃんは白い地面の先を指差す。
いわれるがまま進みかけて、俺は振り返った。
「……なあ、婆ちゃん。俺さ」
なんとなく、だけど。この再会には、何かの意味があるんじゃないかという気がした。単なる夢とか、臨死体験とかじゃなく。
ここがひとつの、区切りなんじゃないかっていう、そんな気がしていたのだ。
「欲しかったもの、やっと手に入れたよ。幸せを。生きてく目的と、ずっと一緒にいたい大事なひとをさ」
婆ちゃんは、うんうんと嬉しそうに頷く。わかっているのか、いないのか。いつも俺の話を、こんな風に笑って聞いてたっけ。
大人になって、その気持ちが、やっとわかった。きっと、会話の内容は、なんでも良いのだ。孫が幸せそうなのであれば、なんであっても。
「……婆ちゃんにも、会わせてやりたかったな」
それを聞いて、婆ちゃんはニッと嬉しそうに笑った。
「ありがとうね、よしあぎ。お前さん……」
光が俺を包む。婆ちゃんの姿が、瞬いて消えてゆく。最後に、声が聞こえた。
「一人前になったね」




