41:終末のとき
気付けば、戦闘は終わっていた。
最後の兵士が倒されたのか、平野部に動く者はいない。銃座から出てきたドワーフ護衛の獣人たちが、城壁前の射手たちと静かに手を振り合っていた。みんな土埃やら硝煙で顔は煤け、眼はショボショボしている。キョロキョロしながら口を半開きにして、話しながらしきりに首を傾げている。
連続射撃の後で耳が聞こえず、なんとか耳鳴りを押さえようとしているのだろう。
大喜びで歓声を上げるような雰囲気はない。そんな爽やかな気持ちなどもう誰にも、微塵もなかった。俺たちがやったのは陰惨で無慈悲な復讐と殲滅。やるべきことだったかもしれないが、それだけだ。
最前線で頑張ってくれた機関銃座の6人を2往復の転移で城壁前まで運び、俺は小さく息を吐く。
自分だけが、みんなの輪に入れずにいた。胸の奥でギスギスした何かが、妙な軋みを上げている。
「ヨシュア!」
ミルリルが駆け寄ってきて、俺を抱きしめた。泣いているような笑っているような怒っているような顔で見上げ、それから俺の腹にグリグリと頭をこすり付ける。
「終わったのう。ようやくじゃ、これでわらわたちの戦も」
「……いや、まだだ」
ドワーフ娘は怪訝そうに首を傾げる。俺は、どうしたらいいのかわからなかった。どうするべきなのか。どうしたいのか、わからないまま……
彼女を、静かに突き放す。最後まで触れ合っていた手が、わずかに宙を掻いて、離れてゆく。
「悪いな、ミルリル。ひとつだけ、我儘を許してほしい」
「……なんの、はなしじゃ? おぬし、どこに行くつもりじゃ?」
「おい、みんな聞いてくれ! もうお前たちの敵はいない! これから誰も、なにも撃つな! 誰も、平野部には降りるな! わかったか!?」
よくわからない顔で、みんなは頷いてくれた。
胸が苦しくなる。こんなことをする意味があるのかと自分を責める。意味はない。でも、やらなければいけない。やると、決めたのだ。
ケースマイアンの住人たちひとりひとりと、そして最後にミルリルと目を合わせて、俺はいった。
「もし、邪魔したら……そのときは、そいつを殺す」
◇ ◇
「おい」
渓谷の入り口に転移し、立ち尽くしたままの勇者に声を掛けた。のろのろと振り返ったそいつは、まったく何の表情もなく、空洞のような目をしていた。肌に血の気もなく、目に光もなく。
唇だけが、笑みを浮かべた形に歪んでいる。
「俺を殺したいんだろう? ずっと、殺したかったんだろうが。来いよ。やってやる。……俺が、この手でな」
「……ろすころすころすころすころすころすころ……」
小さな囁きが俺の耳に届く。夢遊病者のような動きしかしていない勇者だが、振り上げた剣は軌跡も見えないほどに速く鋭い。息を呑むような微かな音。それが風切音だと認識したときには既に、斬撃が俺の横を突き抜けていた。
遮蔽物として積んであった馬車が、粉砕されてガラガラと崩れる。走る俺の背後で、次々に爆風が上がる。斬撃だけで起こした物とは思えないほどの、衝撃と破壊力だった。
振り返ると既に、勇者は目前まで迫っていた。
「……ころすころすころすころすころすこ……」
「聖女と賢者は、潰したぞ」
隙が出来るのを覚悟して王国軍陣地に一瞬だけ視線を投げるが、相手は乗っては来ない。頭を下げて転がったのと同時に、ケツを掠めて刃先が馬防柵を吹き飛ばす。
「……ころ、す!」
もう避けきれる速度ではない。続く斬撃は予備動作なしで叩き付けられ、俺は短距離転移で背後に回る。振り返りもせずに繰り出された剣が直撃し、俺の構えていたAKMがまっぷたつになって弾け飛んだ。
「くッそが!」
収納から予備のAKMを出して弾倉1本分30発を全自動射撃で叩き込む。7.62×39ミリ弾はことごとく勇者のボディに叩き込まれるが、やつは身じろぎひとつしない。重装歩兵の甲冑を貫通した威力が、勇者の前では豆鉄砲のように容易く弾かれて傷も残さない。魔導障壁か加護か、勇者の持てる力は規格外なのだろう。驚きこそないが、俺は決め手を喪ったまま距離を取って出方を探る。
いま俺の収納には、AKM以上の武器はない。M1919重機関銃も、RPKもドワーフたちに渡したままだ。M1903小銃はあるが、勇者の剣が届かない距離では当てられる気がしない。その上ボルトアクションでは初弾が外れた時点で詰む。
「お前を倒したら、俺は国王を殺しに行く」
「……ころすころすころす……」
「それで最後だ。それで俺の、俺たちケースマイアンの戦争は終わる」
「殺すッ!」
勇者の目が光る。深く踏み込んで渾身の力を込めた斬撃。その剣を、俺は収納で奪い取った。すかさず撃ち込もうとしたAKMの銃身が肘で跳ね上げられる。そのときには、空を切ったはずの手が硬く握りしめられていた。
ビー玉のような生気のない目で歪んだ笑みを浮かべた男の顔が、眼前に迫る。
「甘ッめぇよ!」
視界外から振り抜かれた拳が、俺の頬に叩き付けられる。俺の身体は地面を跳ね飛んで転がり、遥か彼方にあったはずの馬車の残骸に突っ込んで止まる。全身が悲鳴を上げ、痛みが四肢を麻痺させている。
「……っがッ、ごふ」
声は出ない。代わりに唇から赤黒い血が噴き出す。たったの一発で、俺は戦闘能力を根こそぎ奪われてしまった。歩いてくる勇者の目には光が戻っていた。かつての欲望で濁ったような甘っちょろいゴリマッチョのものではない。そこにはギラギラといやらしく輝く、狂気の光が宿っていた。
「ッざけ、やがっ……て!」
立ち上がろうとした俺の腹に爪先が食い込む。そのまま身体ごとカチ上げられて、浮いたところを蹴り飛ばされる。骨が軋んで内臓が激しくシェイクされる。勇者の打撃を受けて即死せずに済んでいるのは、この戦争で俺のステイタスが激増したせいだろう。
とはいえ、辛うじて死んでいないというだけだ。こいつに肉弾戦で勝てる可能性は、まったく、ない。戦うどころか四肢は萎え、立ち上がることさえ出来ずにいる。
「てめえのせいで、俺の計画が台無しじゃねえか! どんだけのモン喪ったと思ってン、だよ!」
「ぐぶッ!」
脇腹を蹴り上げられた俺は、くの字に曲がったまま宙に浮く。
「地位も! 名誉も! カネも! オンナも! なにもかも、全部だ!!」
恐ろしいほどの連続キックで、俺の身体はリフティングのように浮いたまま翻弄される。声も出せず反応など微塵も出来ないまま、最後のトラースキックで俺はボロ人形のように吹き飛ばされて転がる。
死ぬわ。これマジでシャレにならんわ。
俺は必死で収納を探る。意識が朦朧として、上手く引き出せない。なにが入っていたのかも、思い出せないのだ。
AKM、ない。ひとつは切り飛ばされ、ひとつはどこかで落とした。M1903、無理だ。あんな長いもん、いま引き出してもたぶん構えられん。拳銃も短機関銃も、ソウドオフショットガンもガールズに渡してしまった。
なんでもいい、なにか武器……
「……お?」
とっさに出てきたのは、ナイフだった。
自分で引き出しておきながら、この状況でなんに使うつもりだと呆れる。サイモンからもらったんだったか、誰かから奪ったんだったか。刃渡り15センチほどの、狩猟用ナイフ。つうかこれ、皮剥ぎとかする実用品だよね。
振り上げる間もなく、蹴り上げられてどこかに飛んでった。
「……っくしょう、……使え、……ねえ、な」
勇者はニヤニヤした笑いを唇に張り付け、倒れかけた俺の髪をつかんで持ち上げる。
「使えねえのは、てめえだよ! いまのでタネ切れか? じゃあ、死ねよ。ここで死ね。後悔しながら、泣き喚きながら、ハラワタぶち撒けて野垂れ死ね! クソが!」
拳が顔面に叩き込まれ、俺は痛みも感じないまま馬車の山にぶち当たって跳ね返され、俯せに倒れる。自分で組んだ遮蔽物にぶつけられてりゃ世話ねえな。
視界いっぱいに赤黒いモヤが広がり、光の粒子がチカチカと明滅する。顔面パンチで星が飛ぶというけど、あれは悪くない表現だな。
これが星か。たしかに、そう見える。
星の向こうに、何か見覚えがあるな代物が見えた。馬車の陰で土から半ば露出しかけているそれに、俺はそっと手を触れる。頭の奥で、ぼんやり警告灯が光った。なんだっけな、これ……
「なぁに掘ってんだよ、隠れるための穴か? それとも、墓穴か?」
俺は、声のした方に目を向ける。踏み込みどころではない瞬間移動のような突進。
振り上げられた足が俺の顎を蹴り上げようとした瞬間、俺は短距離転移で飛び退りながら勇者の甲冑を収納で剥ぎ取り、代わりにショットガンを引き出す。
ポンプアクション式のイサカ。連射した散弾は、しかし剥き身になったヤツの身体にわずかな擦過傷を残すだけ。勝ち誇った顔が、醜く歪む。
「あんまナメてんじゃねーぞ、オッサン! 俺を誰だと思ってんだよ、あ!?」
転移で飛び退りながらなおも撃ち続ける俺に蔑んだ笑みを浮かべ、馬車の残骸の前で仁王立ちになった勇者の身体が……
「俺は! 魔王を殺して! 世界を救う! 勇者様だッ……」
露出した起爆装置に散弾を受けた手作り爆弾とともに、爆散した。




