408:聖者と神とマーケット
「ミーシャの、息子? 会えるのか、俺も?」
「どうなるかは、わかんないんだけどね。試す価値はあると思う」
怪訝そうな顔のミルリルと手を繋ぎ、ミードを可視化する術式巻物に魔力を追加で注ぐ。どうかな。
「市場」
目の前に現れたサイモンは穏やかな笑みを浮かべていたが、少し間を置いて困惑の表情に変わる。
「おや、魔王妃陛下ではありませんか」
「ほう……お初にお目に掛かるのう、商人殿。ヨシュアの連れ合いで、ミルリルじゃ」
サイモンは過去に数回、静止状態のミルリルを見たことはあるから心配してなかったけど、ミルリルも落ち着いている。問題は、ミードか。
「ヨシュアが大変に世話になった。無論、わらわたちもじゃ。礼を伝えたいと思っておったが、その方法もわからんまま、なかなか機会がなくての」
「いえ、こちらこそお噂はかねがねお聞きしておりました」
なんか和やかに会話が進んでいるようだか、視線が俺たちの隣に向いて止まる。
「……失礼ですが、そちらの方は?」
「ああ、良かった。サイモンも見えるか。今回はどちらかというとこっちの人物が本命でな。お前の、親父さんが死後そちらに送り返した取引相手の話は覚えてるか?」
「ええ、もちろん。商人で冒険者の、ミスター・ハイベルン。しかし……」
「ああ、死んだ。というか、いまもだな。死んでる」
幽霊だと知って、サイモンは少しだけ驚いた顔になったが、特に怯えるとか忌避する感じはない。
「天に昇る前に、ひとつ訊いておきたいことがあってな。悪いが、邪魔させてもらった」
「ええ、わたしにわかることであれば、なんでも」
「彼は、幸せに死んだか?」
ミードの言葉に、サイモンは表情を変えないまま固まる。政治家の仕事も動揺を隠す役には立っていない。
「……どうでしょうね。ミスター・ハイベルンのお陰で、祖父の残した負債は消すことができました。最期はわたしに、“後は任せる”と丸投げして死にましたが、幸せだったかどうかは」
「ありがとう、十分だ」
ミードは笑う。
「彼が人生に満足して死んだとわかっただけで……」
「……アンタに、何がわかる」
絞り出された、重く硬い声。穏やかな笑みを剥ぎ取り、サイモンが憤怒の表情でミードを睨み付けていた。
「それだよ」
「?」
「ミーシャは、ずっと悩んでた。当時は、まだ生まれて間もない君に、店を譲って良いかをね。気が早いことに、ずーっと、悩んでたんだ」
リアクションに困ったサイモンが俺を見るが、当然ながらそんなん知らんわ。自分で考えろと身振りで突き放す。
「あまり素性の良くない商品と客筋、実入りも波が激しい。政情が安定しない上に家族はあまり身体が丈夫な方ではなく、おまけに面倒な相手から目を付けられている。その全てを解決するとしたら、息子の代になるだろうってな」
「……それを、丸投げというのでは」
「君が受け止めてくれると信じられなければ……あるいは君に商才がないと判断していれば、ミーシャは迷わず店を畳んでいたよ。その用意はあった、だろう?」
あのパスポート、みたいな呟きにミードが頷く。わしら蚊帳の外で、“すーん”みたいな顔するしかない。だって……
サイモン、ベロッベロに号泣してんだもん。
顔中の穴という穴からゲル状のものを噴出しながら声を殺して涙を堪えてる。いや堪えられてねーから。もう完全に、大決壊してっから。
「いまの君を見てわかったよ。ミーシャは、安らかに死んだのだと」
「……ッ!」
ちょ……ミード、もぅアカンて、これ以上泣かしたらサイモン干からびてしまうて。
「み、ミスター・ハイベルン。少し、お待ちください」
なんとか無理やり持ち直したサイモンが、ミードに断って視界外に消えた。数分後に戻ってきた彼の手には、小さな箱がある。
「故郷に、ご遺体をお送りした後で返送されてきたものです。その頃には、父も没しておりましたので受け取る者もなく預かったままになっておりましたが」
「それは、よくわかんねえが受け取るべきなのはアンタじゃねえのかい?」
開いた箱のなかにあったのは、わずかに黄ばんだ古い手紙だった。
「宛名は、父のものではありますが、送り主はあなたの親族……字の印象からすると、ご子息なのでは」
こちらの世界で事故死――謀殺なのかもしれんが――したというウォーレではなく。元いた世界の、息子。ミードは、困った顔で手を出しかねている。
「ミード、何をしておる。この流れであれば、それを受け取るのは、おぬしが果たすべき義務であろう?」
「俺じゃ、ねえだろ」
「因果は巡るもんじゃの。今度はおぬしの番というわけじゃ。商人殿の御父君が受け取れんのであれば、おぬしが目を通すより仕方がなかろうが。それ以外の人間には、読んだところで理解できん」
「……わかったよ」
実体化の魔法陣のせいか、手紙は通り過ぎることもなくミードの手に触れてカサリと乾いた音を立てる。
「父は、あなたに借りがあるといっていました。最後まで、それを返せなかったと」
またか。ミードってば、そこら中で恩恵をバラ撒いてきたみたいだな。お前はサンタか。
「……やめてくれ。俺は……ただの身勝手なクズだってのに、どいつもこいつも誤解して聖人君子に仕立てやがる」
手紙は、サイモンに返された。俺たちの視線を受けて、ミードは俯きながら頷く。
「息子だ。こっちの世界に飛ばされたときには、まだ生まれて間もないくらいだったんだけどな」
「なんぞ、いうておったか?」
「感謝の言葉と、近況だ。送ってもらったカネで、大学まで行けたってよ。そんなの、知らねえよ。困ってねえか調べてくれって、ミーシャに住所は渡したけどな」
うそぶくミードの声は、涙を堪えているのか嗄れ割れかけている。
「おぬしら本当に、似た者同士というか……揃いも揃って、ひどく不器用じゃのう」
俺を見るな。俺は関係ないし。こんなツンデレ中年ズに含めんといてくれ。
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