403:空隙地
ひょいと首筋に抱きついてきたミルリルを小脇に抱えて空中転移で城壁の西側へと飛ぶ。城塞都市の外壁は地形に沿って蛇行しているので直径は一定ではないが、東側にあった建物から西側の建物までは一キロメートルを切るくらいか。俺の視力で、向こうの状況は見えない。
「戦闘は」
「終わっておるようじゃ。というよりも……」
目標上空数百メートルから落下しながら着地位置を探る俺の耳元に、ミルリルの声が響いた。
「始まりもせんかった、というところかの」
死屍累々という感じで転がっているのは、墨色の制服に外套を纏った皇国軍の魔導師たち。ざっと数えただけで十八名。ほとんどが魔術短杖を抱えたまま戦闘態勢で事切れている。たしかにこれは鎧袖一触、戦闘以前の問題といった感じだ。
その真ん中で赤外套の老人とエルケル侯爵が話していた。傍らで馬車の残骸に腰掛けているのはゲンナリ顔の子エルフ。自称“魔導学術特区の新鋭”の(でもたぶん便利な小間使いにされてる小僧の)ヒエルマーだ。
「よおヒエルマー」
「ああ魔王に魔王妃。スールーズの救出に来たんだって?」
「いつもの通り、行き掛かり上じゃ。あやつらの神に頼まれてのう」
「……ああ、頼むからそれ、やめてくんねえかな」
ミルリルの背後でプカプカと浮きながら羞恥に身悶えるミードの声は、どうやらまた俺にしか伝わっていないようだ。
俺たちの会話を聞いて、老人が振り返る。
「ではカイリー、彼が?」
「そう、彼こそがケースマイアンの魔王、ターキフ・ヨシュア殿だ」
エルケル侯爵と話していた老エルフが外套のフードを取って、俺に軽く会釈をする。
実際の職業は知らんけど、絵に描いたような“エルフの賢者”だ。威厳と知性は感じられるものの表情は穏やかで、二十人近い敵を一蹴した直後には見えない。エルフに限らず、“本当に怒らすと怖いタイプ”って、案外こんな感じだったりするんだよな。
「お初にお目に掛かる。わしはハーグワイ魔導学術特区の魔導師で、イリダフと申す者。貴殿らがハーグワイに来られるたびに会えるのを楽しみにしておったのだが、あいにく擦れ違いばかりでな」
「イリダフ殿は特区の重鎮で、先代の共和国評議会理事でもある」
そういう話、多いな。特にエルフは見た目の特徴があまりないだけに、色々と印象が混じる。
「もしかして、イリダフさんもエルケル侯爵の親類ですか?」
「イリダフ殿もサルズの魔女も、そちらのヒエルマー君もだが、特に血縁はないが、面識はある。エルフの世間は狭い上に、あちこちで折衝に付き合わされるのでな」
エルケル侯爵の解説に頷くものの、いまひとつ状況が読めん。エルフ同士のコネクションは良くも悪くも広いというわけだ。問題は、それが今回の件にどう繋がるか、だけど。
「イリダフさん、わたしに何か御用でも?」
「いや、会いたかったのは単純な好奇心だ。かの“三万人殺し”“殲滅の魔王”と会ってみたいと思っているのは、わしだけではないぞ?」
「いや、それ実際は俺だけじゃなく、住人が力を合わせて撃退したんですけどね」
「成果自体は否定せんのだな」
「王国の侵略軍をこやつの指揮で屠ったのは事実じゃ。その後もあちこちで戦果を重ねて、いまや七万を超えておるがの」
ミルリルのコメントに、“ほう”なんつって嬉しそうな顔をするイリダフ。なんでアンタが喜ぶのだ。
「ところで魔王陛下。この地が目下、三国の間で所在を争う状況なのは知っているだろう?」
「ええ、まあ。三国って、王国と共和国と……皇国?」
「いや、貴殿の統べるケースマイアンだ。皇国は実質、もう存在しないのでな。そこで、共和国評議会……いや、わしら魔導学術特区から、非公式な提案がある」
「む?」
ちょっと警戒したようなミルリルの唸りを聞いて、エルケル侯爵とイリダフ翁は苦笑して首を振る。
「魔王妃、そう身構えんでもよい。共和国にとって、この地の安定は必要だが、必ずしも自国領である必要はないのだ。むしろ、貴殿らとの……ゲフン」
ゲフンて。真意を丸出しにし過ぎだろ。要するに、あれな。
「ケースマイアン領の飛び地として、友好国との交易地にしてもらえないだろうか」
自由貿易港か。悪くはない。チラッと見ると、ミルリルも目顔で頷く。
「良いと思います。どのみちケースマイアンは、ここを占拠する意図も能力もない。海との接点として使いたいだけでね」
ホッとした顔でエルケル侯爵が頷く。イリダフ翁は転がっている皇国軍魔導師の死体を指す。
「では、具体的な条件の検討に入ろう。懸念事項は、ここを死守する皇国軍の残党だけだったが、ほぼ壊滅した。これで住民も解放される」
「解放? 名目上は外国に占領されるのでは?」
俺の疑問に、エルケル侯爵が頷く。
「ここの住民のほとんどは、あちこちから流れてきた移民とその子孫だ。止むを得ず編入された国に従属しては来たが、共和国にも皇国にも帰属意識が薄い。自分たちの故郷はこの城塞であって、その暮らしを守れれば為政者の旗が何であろうとあまり気にしないのだよ。まして皇国は人間以外に対して差別意識が強いからな。亜人に対しては搾取も強制労働も平気で行ってきた。実際、住民は碌な扱いを受けていなかったようだ。なのでこの場合、彼らの意識は“解放”だろう」
ミードが、少し唸る。
「要するに、スールーズのお仲間か」
「そうみたいだな」
ミードの声が聞き取れないイリダフ翁とエルケル侯爵が怪訝そうな顔で俺をみた。
「エルケル侯爵。この城塞は、何と呼ばれていました?」
「ここ数十年は、“エクレディア”。皇国が名付けた。初代皇后の名だ。共和国が統治していた頃は、“マルミノス”。北を望む岸辺、くらいの意味だな。しかし、どちらも住民たちは使わない。彼らはずっと、ここを“エファン”と呼んでいた」
「エファン?」
「この大陸に伝わる古い言葉で、“我が家”だ」




