40:燃え上がる谷間
「いま戻った!」
転移で戻った城壁前は、まさに戦場そのものだった。
ボルトアクションライフルが中心の射手たちは30-06弾を5発ずつ連結したクリップを駆使して精いっぱいの連射を浴びせている。押し寄せる千近い敵兵に対しては、それでも手数が足りない。銃座で咆哮を上げる重機関銃が次々に薙ぎ払っているが、敵の突進を完全に止めるところまではいっていない。心なしか、発射間隔に乱れが出ている気がする。機関部か銃身か、ドワーフでも除去しきれない熱によるトラブルが出ているのかもしれない。
「「「あああぁ……」」」
悲鳴に似た声に振り返ると、敵弓兵の一斉投射で矢の雨がこちらに降り注ぐところだった。ケースマイアンの兵士たちは銃火器で武装して攻撃能力こそ高いが、防御はほぼない剥き身の身体だ。鏃が当たったれば簡単に死ぬ。
「しゅ、収納ッ!」
ちょっと声が裏返った。叫ぶ必要はないとはいえ、危ない局面では少しでも確実性が上がる(気がする)ので思わず声に出してしまう。着弾――と矢でも称するのかどうか知らんが――直前の矢が一斉に掻き消え、一瞬の間を置いて射手たちから歓声が上がる。ついでに敵兵の甲冑も収納できないかと試してみたが、最前列の数名を剥ぎ取ったところで効率が悪すぎるとわかって止めた。収納可能な距離は100mそこそこ、しかも最大距離では範囲効果もないようなのでひとりずつ個別指定が要る。うん、使えん。
「ヨシュア! 嬢ちゃんも、無事か!?」
「俺たちは平気だが、怪我人がいる! いま治癒魔法を使えるのは!?」
「任せて、こっちで預かるわ!」
ドワーフと獣人の女性陣が救出してきた子供たちを俺から受け取り、手分けして抱え、城壁内に運んでゆく。見送っていた俺の背をミルリルが叩く。
「もう大丈夫じゃ。教会にエルフが詰めておるから、すぐに治してくれるはずじゃ」
「OK、それじゃ俺たちも参戦するか!」
さっきから響いている銃声と轟音でわかってはいたが、王国軍最後の突撃が始まっていた。
今朝がた、ドワーフを送り届けた後で機関銃座の周囲に積み重なっていた死体は簡単に収納してはおいたはずだが、見下ろすと銃座の前には新しく死体の山が出来上がっていた。
「……敵ながら、見るに耐えんの。ああも無思慮に突っ込んでくる以外の方策は、ないものかのう?」
「ないんじゃ。いくらか考えたが、わしらが奴らの立場でも、他の方法など現実的なものは思い付けんかった」
「恐ろしいのう……」
いや、それ俺を見ていうなよ。
実際、どうしようもないのは事実だ。日露戦争の日本軍がそうだったし、第一次世界大戦でもそうだった。堡塁で守られた機関銃への対処など、塹壕を掘って近付くか、大砲で潰すか、毒ガスを撒くか、戦車を投入するか……あるいは、いま王国軍が行っているように、そして日露戦争で日本陸軍がそうしたように、人海戦術で死体の山を築いて突っ込むかだ。
重機関銃が吠えるたびに、王国軍の兵士たちはバタバタと倒れてゆく。突進しようと走り出した馬がもんどりうって倒れ、巻き込まれた後続ごと血飛沫を上げて息絶える。大回りで速度を乗せた騎兵の一団が、高速機動で弾雨を縫って渓谷に向けて突進してゆく。
弾雨に怯えて遮蔽物を求め、積み上げられた馬車の陰に隠れた軽歩兵の集団を、馬車の下に埋設してあった手作り爆弾が吹き飛ばす。爆風と鉄片で薙ぎ払われた後に、動く者はいない。
撒き散らされる、無差別の死。魔法があるこの世界の基準でいっても……いや、魔法による防御や察知が効かないだけに、かえって攻撃魔法よりも理不尽なのかもしれない。
「ヨシュア! 機関銃座を抜かれた!」
慌てて目をやるが、それは銃座に対しての吶喊ではなかった。数多の犠牲を乗り越えてキルゾーンを突破し、渓谷に向けて行われた決死の突撃だった。
「小銃手!」
「ダメだ、角度がもう狙えん!」
「よせ! 渓谷に入った奴らは対処しなくていい、そのまま平野側の兵を狙え!」
「「「応ッ!」」」
俺とミルリルは渓谷が見降ろせる崖の上に移動する。突破に成功したのは騎兵30弱と歩兵が5~60といったところか。速度を落とさず振り返りもせず、彼らは渓谷の奥へと走り続ける。そこを越えれば、ケースマイアンの城壁に向かうスロープがある。
王国軍にとって、いまだこちらは寡兵。そこに一兵でも送り込めれば、後方から戦線を掻き乱すことが出来れば、勝機はまだあると思っているのだ。
だが、彼らはわかってない。開戦前に平野を大きく迂回して暗黒の森からケースマイアンの北側に回り込んでいるはずの攪乱部隊から、なぜいまだに音沙汰ないのか。前線の兵卒には別働隊について聞かされてもいないのかもしれないが……
「ヨシュア、渓谷の敵兵に“なぱーむ”を使うぞ!」
「了解、総員衝撃に備えろ! ミルリル、機関銃座に手旗信号!」
「了解じゃ!」
機関銃座と城壁側で、連絡役として手旗を教えたのは何人かいるが、ミルリルが最も早く確実だ。動作が早く、簡潔で迷いがない。
「ヨシュア! 機関銃座から応答、準備よし!」
「いいぞ! カウント、3、……2、……1」
爆弾投下に備えて、一瞬だけ機関銃座から銃声が止む。
その隙を衝いて、騎兵と歩兵の集団がさらに渓谷へと走り込んでゆく。最後尾にいたのは勇者のようだ。
それがどんな結果になるか知りもしないで。
「投下! 投下! 投下!」
渓谷の上、崖から下に向けて間隔を空けて立っていた獣人とドワーフたちが俺の合図に合わせて手作り爆弾を投げ落とす。開戦当初に使った遠隔操作で爆発するタイプではなく、落下の衝撃で起爆するようにセッティングされたタイプ。サイズは大きく、雑多な形のタンクがくっついている。その薬剤の組成や出所は知らないが、どういう代物なのかは見たことがある。
もちろん実物ではなく、ネットの動画や映画の1シーンとしてだが。
「ええぞ、回避、回避、回避いぃッ!」
わずかな間を置いて、ごうっと凄まじい膨張音が木霊する。狭い渓谷いっぱいに広がった爆炎は行き場を喪って崖の上にまで噴き上がる。
崖際から噴出した炎と熱気に獣人たちが装填射撃の手を止め、身構えて息を呑む。ドワーフとエルフも動揺こそ見せないが、唖然とした顔で固まっている。
「……ぉおお……」
「戦闘中だぞ、気を抜くな! 戦果の確認は、俺がやる! みんなは、残った敵の掃討を頼む!」
「「……お、応」」
戦闘が継続している状況で、無駄な人手は割けない。いざとなったら転移で対処できる俺が最適なのだ。そんなことは、わかっている。自分でいい出したことだしな。
とはいえ、惨状を見るのはいささか覚悟が必要だった。悲鳴は聞こえなかったが、肉の焼け焦げた異臭が崖の上にまで漂ってくる。
炭化した兵士の残骸はいわゆる“ボクサー姿勢”で崖下に転がっていた。戦後にケースマイアンの復興を行うのであれば、転がっている王国軍兵士(と軍馬)の死体はすべて回収してどこかに埋めるか捨てるかしなくてはいけない。
その役目はたぶん俺にしか出来ないし、俺がするべきことなんだろうとは思う。
収納のなかに何万もの敵の戦死体……それも原形を留めてもいないそれを収めると考えただけで、俺は胃の奥がどんよりと重くなるのを感じた。
移動しながら確認すると、即死を免れ、悲鳴や呻き声を上げている兵士が何人かはいた。それも、時間の問題でしかない。全身に重度の熱傷を負い、ろくに身動きも出来ないまま、彼らはすぐに静かになる。
きっと、俺は地獄に堕ちるだろう。無神論者でもわかる。こんな大量殺人を指揮した人間が、碌な死に方などするもんか。それも自業自得だ。いまさら後悔はない。
「あ……、あッ、ああ……、あッ!」
渓谷の入り口にひとりだけ、もがきながら動いている者がいた。
勇者だ。のろのろと立ち上がるその動きは精神的なショックこそ感じるものの、魔法による防壁が張られていたのか何かの加護でもあるのか、身体的には、さほどのダメージを負っているようには見えない。
最後尾で渓谷に入ったために爆風で吹き飛ばされ、その結果として生き延びたのだろう。
それが幸運なのかどうか、俺にはわからない。
ようやく立ち上がった勇者は、くぐもった悲鳴を上げた。渓谷いっぱいに自軍兵士たちの焼死体が折り重なる光景を目の当たりにして硬直し、泣きじゃくるように声を震わせながら立ち尽くしている。
やがて視線を感じたのか、彼はゆっくりとこちらを見上げる。俺たちはしばらく、黙って見つめ合った。崖の上と下、120mは離れている。目と目が合うには遠い距離だが、俺には見えた。手が届くほどの、気持ちまで通じるほどの距離に感じられた。勇者の目には、怒りも憎しみも恐れもなにもなかった。俺を認めたようにすら見えなかった。
勇者の目は、死んでいた。




