397(閑話):魔王の毒
ええい、唐突に閑話をインサートじゃ!
(ストック切れともいう)
「……ター、キフ」
昼下がりの、サルズ商業ギルド。しんと静まり返った会議室のなかに、エクラさんの漏らした呻き声が響く。その声がわずかに震えているのを感じ取り、俺は内心でほくそ笑む。
現在は中央領の評議会理事と、新しく統合された領地“沿岸領”の領主兼任で多忙な彼女がサルズにいるのは偶々だ。中央領の商業ギルドを牛耳る重鎮ローリンゲン氏も一緒なあたりに作為を感じるのだが、それはともかく。ケースマイアンとの事前会議にはお目付役として参加しただけの彼女は厳密にいえば部外者であり、発言権こそあれ決定権はない。
いまサルズの商業ギルドを仕切っているのは若きギルドマスターのイノスさん。いまは興味半分不安半分の顔で固まっている。相変わらず、いまひとつ頼りない。
「エクラさん、まずは試してみてからでも」
「これは、マズいよ。アンタだって、本当はわかってんだろ?」
エクラさんと小さな声で囁き合っているのは、サルズの街の管理責任者、街区長のケルグさん。彼女は若い頃に高等政務官といういわば高級官僚だったため政治の世界に返り咲いたが、俺たちがサルズに来たときには事務方トップとして商業ギルド(及びイマイチ頼りないイノスさん)を支えていた有能な人材だったのだ。
「ここまで来て引き返すわけには行きませんよ?」
「いや、わかるけど。アタシの勘がいってる。これはダメだ、手を出すべきじゃないって、警報が鳴り続けてるんだよ」
「ご心配なく皆さん。これは友好の印、そして喜びの記号です。毒なんて盛ったりしませんよ?」
にこやかに語った俺の言葉に、エクラさんは敵意と警戒心と、若干の恐怖心を滲ませてこちらを見た。
「毒よりも、毒なんじゃないかと、アタシの勘が叫んでるんだよ」
「まあ、食うてみんことにはわからんのう。わらわが毒味をしてやるのじゃ」
「「「ちょーッ!」」」
手を伸ばしたミルリルに対しては四方から一斉にツッコミが入る。
「なんじゃ。食うのか食わんのか」
「食います! 失礼、いただきます」
「食うよ。もらうに決まってるじゃないか。問題は、心構えだよ」
さて。
目の前にあるのは、引っ越し用段ボール箱を水平に切ったようなサイズの紙箱。そう、アメリカンサイズのドーナッツボックスだ。職人に顔が広いルケモン師匠の伝手で作ってもらったそれは白地にワンポイント、カラフルな文字で“魔王の誘惑”と書いてある。俺には読めんけど。
ミルリルなら両手で抱えるほど巨大なその箱にギッシリと、みっちりと、詰め込まれているのは、サイモン経由で手に入れたカラフルな素材を駆使して作り上げたアメリカンなレインボーフード。トッピングのフルーツからデコレーションのチョコチップや彩色顆粒チョコ、カスタードや生クリームまで、何もかもが軽い狂気のような色彩と香料と糖度に満ち溢れている。
それほど甘味好きではない俺には、正直この香りだけでもお腹いっぱいである、が。
「……どうかしてるよ」
「この色、この香りに、この素材」
「過剰を形にしたようなものじゃな。ほとんど幻想の暴力じゃ」
甘味に飢えた共和国女性陣には、麻薬のごとき効果を発揮する。ポソポソと囁きながらも、女性陣の目には淡いハートマークが浮かんでいるようだ。製菓作業を担当してくれた“狼の尻尾亭”の女将さんたちも、同じだったけどな。彼女たちは実際にレシピを知ってしまっただけに、使われる乳脂や砂糖の量に怯んだ表情も見せていたが。
「それじゃ、アタシはこの青いのを」
「わたしは、こちらの虹色の……うわぁ」
「わらわは、この……これは何なんじゃ? 薄紅色の、泡のような渦のような……」
「「「はむん」」」
恐るおそる口に入れた女性陣は、ピタリと固まって目を見開く。一方の男性陣はといえば、自分の皿に取り分けてはみたものの、とりあえず様子見という腑抜けた体たらく。
「ど、どう……したんです、か?」
たっぷり五秒ほど硬直している女性陣を見てイノスさんが不安そうに声を掛ける。
「「「……ふんぬぉぉおおぉ……ッ」」」
空手家の息吹に似た声が彼女らの口から漏れる。押し殺された感情がうねっているのがわかる。
どうだ。どんな気持ちだ。
「ンまぅ……」
「は?」
「……これは、マズい。マズいなんてもんじゃないよ」
ケルグさんの吐息とエクラさんの吐き捨てるようなコメントに、イノスさんはどう判断したものかと匙を持ったままローリンゲン氏を見る。助けを求めるような視線を受けて、偉丈夫のエルフはパクリと頬張って笑った。
「ううむ……そうだな。これは、拙いかもしれんな」
「えッ⁉︎」
「味の問題じゃねえ。商売の問題でもねえ。たぶん、なんていうか……」
ローリンゲン氏はこめかみに指を当てて、それをエクラさんに向けた。
「戻れない禁忌の扉を開けたみたいな感じ、だろう?」
静かに頷きながら女性陣は次のケーキに手を伸ばす。結構なサイズなのに秒で消えた。そして、もうひとつ。さらに、もうひとつ。
静かな熱狂に気圧された男性陣は、最初のひとつに手を付けただけで固まっている。
「脳が、ミキミキいうほど、甘いのにゃ」
蕩けるような恍惚の笑みで、ミルリルが笑う。唇についたクリームを、ペロリと舌が拭う。ミル姉さん軽く目が飛んでます。
色とりどりのクリームやらジュレやらを口の端に付けた共和国の面々(プラスのじゃロリさん)を前にして、俺は笑う。
「甘美なる煉獄へ、ようこそ」




