387(閑話):共鳴する悪夢
※(本編と全く繋がりはないので、読み飛ばして結構です)
その夜、俺はなぜか眠れず、“狼の尻尾亭”のベッドで短く浅い微睡みを繰り返していた。わざわざ起きるほどでもないが、妙に心がざわつく。とはいえ、この世界では眠れない夜にできる娯楽などない。灯油も魔道具も明かりは面倒でランニングコストが高く、利用は基本的に非常用としてだ。つまり、夜は寝る時間なのだ。良い子であろうとなかろうと。
深夜を過ぎた頃、魘されていたミルリルが小さく悲鳴を上げて跳ね起きた。
「よ、しゅ……ッ!」
怯えた顔でキョロキョロと周囲を見渡し、俺が隣にいるのを見付けるとボロボロと涙をこぼし始めた。
「……ぁ、あ」
「ど、どしたミル、おい」
「……居る、のじゃな」
「ん? うん、居るよ。ここに居る」
「どこにも、行かんのじゃな」
「そうね。ずっと一緒にいる……にょふッ⁉︎」
すがりつくように引き寄せられて締め上げられ、戸惑いながら小さな身体を抱き締める。触れた背中が、小さく震えているのに気付く。彼女はしゃくり上げるように短く言葉を漏らした。
「夢だと、いうてたんじゃ」
いうてた? 誰が? いや、これは恐らくまだ寝惚けているのだろうから、あまり詳しい話を聞き出そうといてはいけないのかもしれない。
「そっか。怖い夢を見たんだな。ちょっと疲れてたのかもしれないな。大丈夫だよ、夢は……夢だ」
「違う!」
顔を上げたミルリルは、恐怖に見開かれた目で俺を見据える。
「おぬしの前には、サリアントの勇者が、居った。賢者と、聖女もじゃ。血塗れで、地べたに、転がって……」
……ん? んん?? それは、細マッチョとゴリマッチョ? 俺たちが、ケースマイアンで戦ってた頃か?
それはまた、えらい昔の話だな。いや、まだ半年ちょっとしか経ってないか。それにしても、なんでいまになって、そんな……
「おぬしは、誰もおらん奇妙な町で、死んだような目で、フラフラと歩いておった。最初に会ったときの服で、それで、“びょういん”に、行くのだと……」
また話が飛んだ。おかしなことに、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
俺は、その話を、知ってる。
何年前だ。覚えてない。たしか、社畜時代にストレスでおかしくなって、同僚から病院に行けって半休取らされたんじゃなかったか。昼前に会社を出て、街中を彷徨ってたのは覚えてる。けど、病院に行ったのかどうかはいくら考えても思い出せない。あの三人組と擦れ違っていたかどうかは知らないし、もし仮に会ってたとしても微塵も覚えていない。
俺にとって連中との初対面はサリアントの城……“白亜の間”だったか、そこで殺されかけたときだから。
「それは」
「夢といわれれば、そうかもしれん。気付けば場所は変わっておって、狭くて薄暗くて、何もない部屋で、ヨシュアは、ひとりで焦がした平たいパンを不味そうに食うて、黒い“こーひー”で流し込んでおった。わらわは不安になって、必死に話しかけるのじゃが、死んだような目をしたまま、こちらに気付きもせんのじゃ。すぐ、そばに、居るのに!」
お、おう……。
それとなく間取りと置いてある物を聞く限り、それ完全に俺の住んでたワンルームマンションですわ。ミルリルさん見たの、俺の社畜ブレイクファースト。
「うん。それ、ミルリルと出会う前の、俺だね。毎朝毎朝、おんなじものを食ってた」
冷凍の食パンを焼いたトーストと賞味期限切れで湿気った味も香りもないインスタントコーヒー。毎朝食ってたあれ、クッソ不味かったなあ……あのときは何も感じなかったけど、砂を噛むって、ああいうのをいうんだろな。
そうだ。あれは、死んでるみたいな人生だった。
「でも、こんな可愛い子が遊びに来てくれた記憶はないから、たぶん見えてなかったんじゃないかな」
動揺をごまかそうと無理矢理に笑ってみせるが、ミルリルは不安そうな顔を微塵も緩めようとしない。俺の胸の裡で、不可解な不安が大きくなる。
なんだ、これ。
だいたいミルリルさん、何でまたそんなしょっぱい記憶とリンクしたんですか。どうせなら、なんか楽しいところとか幸せな記憶とかに繋がってくれたら良いとこ見せてあげられたのに。
よく考えたら、そんな記憶は何にも思い出せないんだけどさ。
「ええと……それで、その後は?」
夢の話を追求するのは良くないと聞いてはいたが、このまま放置しておくにはあまりにもリアリティがありすぎた。というよりも、それは夢ではない何かのように感じられた。
「ヨシュアは、ひとがいっぱい居る大きな部屋で、絵の描かれた紙の山をひっくり返しておった」
それは、あれですか。会社でプレゼン資料の整理でもしてるとこですかね。上司に怒られてるとことか見られてたら少し恥ずかしいな。いまさらだけど。
「いくら呼び掛けても、わらわの姿はヨシュアに見えん。声も届かん。それで、隣に立ったまま途方に暮れて……」
ミルリルは、どこか遠くを見たまま悲しげに笑った。
「訊いたんじゃ。おぬしは、それで幸せなのかと。この世界に、居るのが、おぬしのためなのであれば、それはそれで良いと、そのときのわらわは思ったんじゃ」
――木漏れ日を受けて、森に佇む少女。
鈍い痛み。頭に、声が響いた感じ。俺は、あのときの声を聞く。あの日あのとき見た白昼夢のなかで、少女の浮かべた柔らかな微笑みを思い出す。ハッとして顔を上げると、そこは誰もいない会議室で。たしかに見えたはずの少女は壁に掛かる影に変わっていた。俺は胸の疼きを持て余し、そこにいたはずの少女から顔を背ける。束の間の現実逃避すら拒絶して、壊れかけて朽ちかけた殻に閉じ籠る。
あのとき、俺は、なんと答えたんだったか。
“これは夢これは夢だ幻覚幻聴ただの幻だ聞くな見るな認識するな勝手なことをほざくだけの声を受け入れるなおかしくなるぞ頭に響く声に応えるようになったらきっとお前も前任者みたいにお前もお前もお前も――”
なんと、感じたんだったか。
“いや、もうおかしくなってるのかしれん。だから俺はこんな――”
「幸せかどうかなんて関係ない」
考えるまでもなく、死んだように平坦な言葉が口を衝いた。会議室の壁で仄かに瞬く少女の影に、吐き捨てるように呟く。軋んだ声音が、無人の室内で空虚に響いた。
「これが俺の仕事で、これが俺の人生だ」
“幸せ? そんなものがどこにあるんだよ。ない。どこにも。ないんだ。あるわけがない。あってはいけない。あるとしても――”
“――それを見ちゃダメだ”
いま明るい方を見れば、俺は壊れてしまうから。
「そうか」
少女は、静かにいった。あのときも、いまも。
「「「そこで生きるのが、おぬしの選択なのであれば何もいわぬ。――息災であれ」」」
気付けば、俺は泣いていた。声は、三つ聞こえた。ひとつは俺の声。ひとつはミルリルの声。そして、もうひとつは。
あのとき聞いた、少女の声。
「俺は、帰ってきた。お前の声に、導かれて。あの悪夢から、戻ってこれた。お前のおかげで」
「ヨシュア」
「そうだ。俺は見た。見てた。お前を。お前の声を聞いたんだ。そして」
――そして、いま俺は、ここにいる。




