382:絡み合う人望
馬橇でやってきたのは、思ってたのと違う人物だった。意外なのは変わりないけどな。
「タコ印の馬橇を見せられれば、誤解するのも当然じゃ」
来客を連れて俺とミルリルが屋敷のなかに入ると、テーブルの上に置かれた木箱にミードが腰掛けていた。粗相をした老犬のような顔をしているが、彼に悪気も咎もなく不可抗力なのだ。どうも話を総合すると、ミードは“血盟誓約の剣”に宿った状態になっているのだそうな。厳密にいうと、“短剣に込められた術式によって肉体から引き剥がされ固定化された状態”だ。いってみれば、スールーズの善意と敬意と彼らが持つ魔導技術の集大成によって、成仏することを強制的に阻害されている。
二重の意味で、ひどい話だ。生憎、俺にはそれを解決するだけの能力も知識もないのだが。
「ミード、お客さんだ」
「ん? 兄さん、そのひとは……ええと……」
俺たちの後から入ってきた人物を見て、ミードは困惑しながら首を傾げた。やはり、面識はあったのか。ミードに話すついでに、家主であるにもかかわらず状況が読めずに固まっている吶喊の連中に軽く紹介する。
「みんな、こちらサリアント王国の、カイリー・エルケル侯爵だ。エルケル侯爵、こちらはマッキン領主の専属護衛を務める冒険者パーティで、“吶喊”です。この屋敷の、現在の所有者でもあります」
「これは、お初にお目に掛かる。モルフォスが世話になっているようだな。貴殿らの話は、よく手紙で聞かされている。“優秀で愉快な連中”だと」
「モルフォス……って、マッキン様?」
ティグの疑問は、とりあえず俺が引き取る。
「エルケル侯爵は、愚王が斃れた後の王国を率いる南部貴族領の重鎮で、共和国南部領主……現在は評議会理事であるモルフォス・マッキン殿の遠戚にあたる。それと……あれだ。エルフの……」
「共和国の商業ギルドを率いる老エルフ、シューア・ローリンゲン殿の親族でもある」
名前がすぐに出てこないでグダったが、ミルリルが引き取ってくれた。彼女にミードの姿は見えず気配を察しているだけだが、俺のコメントから会話内容を察してくれたようだ。
「侯爵、もしかしてミード・ハイベルンと面識があるんですか?」
「王国も南部の貴族領はマッキン家の伝手でハイベルン商会と取引があったからな。会頭殿と個人的な交友はなかったが、折衝や会合などでは何度かは会っている」
その程度か。となると、来訪の目的は幽霊自体ではなさそうだ。
「侯爵、ミードの姿はわかりますか」
「この部屋に誰かがいる気配はわかるが、朧気でしかないな。誰なのかまではわからない。術式巻物を置かせてもらえれば、可視化はできると思う」
屋敷の持ち主である吶喊の許可を得て、それを試してもらうことにした。
エルケル侯爵は掛け軸ほどの巻物を広げて、魔術短杖を振るう。魔力光が瞬くと巻物の上に魔法陣が発生して、ミードの姿が少しクッキリしてきた。
「おお……見えた見えた」
「「「ミード、様」」」
野次馬根性っぽい吶喊の連中(主にティグとルイだけど)と、崇め奉らんばかりに平伏するスールーズの温度差がすごい。
「すまねぇな、みんな。余計な手間ばかり掛けちまって」
「ま、気にすんな」
「勿体ない、お言葉」
だから、温度差……
「さすがエルケル殿、素晴らしい魔導師ぶりじゃの。それはともかく、貴殿はミード殿の霊と交信しにここまで来られたのかの?」
「いや、この件は単なる偶然だ。用件は共和国との折衝の事前交渉だな」
要するに、俺たちが共和国の首都ハーグワイを解放した結果だ。マッキン元領主の依頼で協定締結のために共和国入りしたエルケル侯爵は、事前折衝のためラファンの領主館に入ったところでハイベルン邸の噂話を耳にしたのだそうだ。
「無論、共和国内の事情に外国人が干渉するのは望ましくないことはわかっている。ハイベルン家の問題に口を挟む気もない。ただ、ある契約を履行するために参った」
「契約?」
「ああ。単なる口約束だが、仮にも一国の貴族であり領主が交わしたのだ。それは違えて良いものではない」
何の話だ。約束って、もしかしてミードと? でも個人的な交友はなかったって聞いたけど……
「ああ」
何かを思い出したように、ミードが笑う。それを見て、エルケル侯爵も微笑み、小さく頷いた。
「そうだ。俺は、あんたに会ってる。そうか、あのときの娘さんか」
ミードとエルケル侯爵、ふたりの間では認識共有がされたようだけど俺にはいまひとつわからない。当然ながら、吶喊の連中は全く蚊帳の外である。
「娘さん……というと、おぬしと直接の付き合いがあったのは、エルケル侯爵の御父君かの?」
「ああ、そうだ。記憶は曖昧だが、背が高くて、おっそろしく強面のエルフだった。なのに笑う顔は、ひどく子供っぽくてなあ」
父親の思い出でも蘇ったのか、エルケル侯爵は、かすかに微笑む。
「そう、それが父だ。ミード殿との出会いは、まだ先代が新領地を拝領して間もない頃でな。当時のエルケル侯爵領は広大な山林の開墾が難航して換金可能な産物も見付けられず、領民に餓死者を出さないことが最大の目的だったのだ」
エルケル家の始祖の地、侯爵の曾祖父が拓いたという王都北部のイエルケル村は、商都として大きく発展した。その結果として王家に奪われたのだが、そもそも彼女の家系に商才はあったのだ。しかし、ワイルドランズの開拓は別の才能だろう。
「そこで、そこなミードが手を貸したのじゃな?」
「それ以上だ。見渡す限りの鬱蒼とした山林でしかなかった我が領地を瞬く間に発展させたのは、ミード殿の極限魔法なしでは有り得なかった」
当の本人は静かな目で、エルケル侯爵を見る。そこには懐かしさこそあれ、さほどの感慨は含まれていないように見える。
「そして、ようやく生き延びる算段がついたとき、ミード殿は新天地の共和国へと旅立って行かれた。わが父カイマー・エルケルはミード殿に約束をしている。たとえ何代に渡ろうとも、この恩は必ず、ハイベルン家に返すと」
うむ、それは美談だ。結果的にか意図してかは知らんけど、ミードはスールーズだけでなくエルケル侯爵領にとっても救世主となったわけだ。しかし……
俺はふと首を傾げる。ちょっと前にミードがいっていた言葉だ。“スールーズの連中を利用して私利私欲のために食い物にしようとした”というのが、当のルーイーたちの態度と相容れない。エルケル侯爵家に伝わる美談ともそぐわない。
「なあミード、なんか本人の主張と周囲の評価で印象がチグハグなんだけど、問題の根っこに何か俺の聞いてない話が伏せられてない?」
「そう、だな。表向きは聖人君子みたいに見えたかも知れんが……いっただろ。その実、俺は最低のクズだったんだよ。大盤振る舞いの商取引も、あちこち繋いだコネクションもさ、採算度外視で恩を売ったのも……」
ミードは悲しげに首を振った。恥じ入るように顏を歪め、両手を広げて自嘲気味に笑う。
「召喚のために利用する、生贄を手に入れるためだ」




