36:爆ぜる龍鱗
「おおおッ!? なんだよこの高さ!? はッ、速ぇえッて! 揺らすな、おい! こんなん落ちたらシャレなんねえだろ!?」
急拵えで取り付けられた後部座席で振り回され腰が引けている賢者様の声を、魔導竜騎兵隊長イエル・マイネルマンは豪快に笑い飛ばす。
「大丈夫ですよ! 賢者様は案外、肝が細くていらっしゃる! こやつらは“こーくーりきがく”とやらではなく、魔力で飛んでおりますのでな! 大規模攻撃魔法の直撃でも喰らわない限り、有翼龍は落ちたりいたしません!」
「つーてもよ、向こうにも弓矢くらいあんだろ。空飛んでるとき的になりそうなんだけど、大丈夫か!?」
「問題ありません。この高度に矢は届きませんし、こちらには強靭な龍麟と、鉄壁の魔導防壁があります!」
イエルは今回、部隊指揮官の役割を副官のメイフェルに任せ、最後方で賢者様のお守りだ。
先陣を務められないのは残念だが、そもそも蛮族の、それも残党の掃討ごときに王国軍の最強戦力である竜騎兵まで引っ張り出すこと自体が常軌を逸しているのだ。
いまや強靭な防壁も、強力な武器も、協力して事を成す仲間たちも、怜悧な統率者も持たない敗残者の群れ。彼らを敗残者にしたのは、自分たち魔導竜騎兵隊の先達たちだ。その系譜に連なっていることを、イエルは誇りに思っている。
しかし……。
イエルは思わず漏れかけた溜息を押し殺す。後席で震え上がっているこいつは、これでも召喚者なのだろうか。不信感が拭えないのは、胡乱な目をした勇者も、やたら護衛騎士にしな垂れかかる聖女もだが、この賢者は特に臆病で、怠惰で、文句が多く、心身ともに脆弱だ。
さらにいえば、賢いようにも見えない。
端的にいえば、王国軍にとっては戦力どころか完全な足手まといだ。魔力量はそれなりにあるようだが、それを生かす術を持たず、研鑽を積もうという意思もない。早くから開戦時期は伝え、課せられた役割も教えていたのだが、いまでも有力な攻撃魔法を会得したとは聞いていない。
その結果が、これかと、自嘲して手綱を握り直す。
まあ、いい。召喚者など、しょせん国王陛下の玩具なのだから。
「突入!」
「「「「応ッ!!」」」」
敵地直上、高度1哩。矢も魔法も届かない高空で、有翼龍が全力飛行を行っていた。先頭の竜騎兵が合図を送ると、彼の有翼龍は巨大な翼を畳み、頭を傾けて急降下に入る。
「うぉおおおおお……ッ!」
戦はすぐに、簡単に終る。参戦した王国軍兵士の誰もが、そう思っていた。
3万の精兵に対し、100にも満たない亜人の残党。鎧袖一触。凱旋と褒章。これは、周辺国への、そして内乱の萌芽を抱えた被占領地出身者への、単なる示威行為。
そのはずだった。
弓矢程度では傷も付かない強靭な龍鱗。長大な攻撃力と効果範囲を持った放射火炎。圧倒的な突進力。なによりも見るものを震え上がらせる存在そのものが最大最強の武器だった。竜種のなかでは中位とはいえ、自然界では空に君臨する絶対強者。咆哮の威圧だけで並みの生き物たちは戦闘能力を奪う。
たかが亜人の100程度、万の軍勢を前面に出し、ネズミどもが出てくるならよし、一刀のもとに切り捨ててくれる。だが穴倉に籠って愚策を弄するというのであれば、魔導師団からの一斉法撃で頭を下げさせ、固まって震えているところに上空からの膺懲を加えて炙り出すまで。
だが、そうはならなかった。
急降下攻撃に雄叫びを上げていた先頭の有翼龍が、騎乗する指揮官のメイフェルもろとも弾け飛んだのだ。
後続の2騎も、翼や首を射抜かれて仰け反る。わずかな軌跡から小さな金属片と思われるそれは、無数の礫となって竜騎兵たちを弾き飛ばしてゆく。
「馬鹿が、魔導防壁はどうした!」
叫びかけて、イエルは気付く。墜落してゆく部下たちの身体から、青白い光が霧散して消えるのを。それは術者が死んだことで魔法が解除された徴だ。つまり……
「……魔導防壁ごと、龍鱗を貫く武器、だと!?」
◇ ◇
ケースマイアンの城壁上で、エルフの巨漢ケーミッヒが陣頭指揮を執っていた。
彼の肩には長大なシモノフPTRS対戦車ライフル。彼も、周囲でBAR軽機関銃を構える6人のエルフ射手たちも、腰には行動を妨げずに持ち運べる限界まで、予備弾薬が用意されている。逸る気持ちを必死に押さえて、ケーミッヒは有翼龍の襲来を待つ。いまや7人のエルフの戦士たちが、盛りの付いた雄のように、胸を高鳴らせて待ち焦がれる。
かつて恐怖と絶望の象徴だった、有翼龍の襲来を。
ケースマイアン解放軍の長として、ケーミッヒが最前線に出ることは確定事項だった。問題は、それがどこかだ。どこが最も危険な最前線か。
虎の子の重機関銃は、金属の扱いと機械操作に長けたドワーフに譲るしかなかった。となれば、次は長弓と動体視力と隠密行動に優れる森の民としての能力を十全に発揮できる役割を。
そして、手に入れたのだ。いま、この場所、このときを。
「射撃開始は俺の発砲が合図だ! 遮蔽に入って放射火炎に備えろ!」
「「「「応ッ!」」」」
「狙いは先頭の有翼龍、そこから後方に掃射!」
「「「「応ッ!」」」」
みんな、わかっている。何度も確認し、何度も思い描き、何度も反復した。それでも、再確認する。いつもと同じ行動、いつもと同じ言葉で、気持ちを静かにする。心をひとつにする。
「まだだ、もっと引き付けろ!」
7.62×63ミリ弾を使用するBARと14.5×114ミリ弾を使うシモノフでは威力が桁違いだが、有効射程自体はそう大きくは変わらない。
射撃が最大に効力を発揮するのは、四半哩。長弓で鍛えたエルフの腕、大自然と一体になったエルフの目には、まさに至近距離だ。風の魔法で空気抵抗すら意のままに操る。外すわけがない。
「さあて、始めようぜえッ!!」
雄叫びとともにケーミッヒの放った14.5×114ミリ弾は、先頭の有翼龍を確実に捉え、巨躯の割りに小さな頭を呆気なく吹き飛ばす。
鋼の剣を弾く龍鱗も、戦槌を跳ね返す頭蓋も、長弓の鏃を躱す機敏さも、エルフの魔法を無効化する魔導障壁さえも、何もかも無効にして、すべてを蔑にして。
空を支配していた化け物を、竜騎士ごと、ただの肉片に変える。
シモノフの銃声が鳴り響くと同時に、6丁のBARから弾き出された30-06(7.62×63ミリ弾)は後続の有翼龍を次々に無力化してゆく。
垂直降下に入っていた2騎も、その後ろで降下に備えて旋回していた4騎も、危機を察知して退避機動に入ろうとしていた6騎も。1発で頭を吹き飛ばし、あるいはまとめて蜂の巣にする。
見えているものは、すべて、ただの的でしかない。たとえ有効射程外にいようとも、関係なかった。
ヨシュアは、いっていたからだ。届くだけでいいなら、半哩以上は飛ぶと。エルフの頭は、こう理解した。半哩以上先の敵を、自分たちは倒せるのだと。人間がエルフの長弓を恐れるのはその威力だけではない。風の加護を受けた正確無比な狙いだ。
直射であろうと曲射であろうと、鏃が届くなら、エルフはそいつを殺せるのだ。
「射撃中止!」
「くそッ、最奥の1匹と護衛の2騎だけは、逃げられた!」
「当ててはいたようだがな。弾丸が届く限界近くだ、堕とすまでにはいかなかったか」
早々に攻撃を諦め逃げに徹していた2騎はともかく、最後方にいた2名騎乗の有翼龍は、もともと戦線に加わる気がなかったようだ。魔導障壁も、ひときわ厚く入念なものだった。観戦武官か、督戦将校か。なんにせよ取り逃がしはしたが、逃げたままでは終わるまい。
いつでも来るといい。いつだって、俺たちはやつらを殺せる。
「……やったな、お前ら!」
「「「「応ッ!」」」」
ヨシュアの持ってきた鋼鉄の銃器は、まさに悪夢だった。王国軍にとってはもちろん、亜人たちにとっても、いままで積み上げ守ってきたものを、なにもかも全部、さっぱりと否定するものだったから。
それでも、ケーミッヒは笑う。部下のエルフたちも、声を上げて笑う。
故国を奪われ、仲間を、家族を、誇りを喪ったあの日から、心から笑ったことなど、一度たりともなかった。あまりにも強く、あまりにも切なく、願って叶わなかった思いが、彼らの胸を熱くしていた。
「いまなら、やつらに手が届く」
「そうだ。もう、誰も喪ったりしない」
「今度こそ、絶対に、ケースマイアンを、仲間たちを、守り抜いてみせる」
そうだ。あのときのことを、ここにいる7人は、片時たりとも忘れてなどいない。
長命のエルフである彼らに、四半世紀など昨日のことのように鮮明な記憶なのだ。
王国軍の侵攻があった、あのとき。仲間も家族も同胞も守れず、死んでいく仲間たちを看取ることすら出来ずに、何もかも喪って、おめおめと生き抜いて。
戦士である彼らが死んだような思いで汚名を背負ったまま生き延びてきたのは……
いま、このときのためだ。
言葉なんか要らなかった。全員が、はっきりと感じていた。同じ思いを、完全に、明確に、共有していると。
たったいま、自分たちはようやく、感じることができた。実感を。手応えを。報われたのだという、思いを。
「俺たちは、このときのために、生きてきた!」
「「「「応ッ!」」」」
◇ ◇
……なんだ、これ。
俺は迫撃砲座をミルリルに任せて、静かになったエルフたちの様子を見るために城壁まで走った。
地面には潰れたドラゴン……有翼竜だっけ、その超巨大な残骸があちこちに転がっている。甲冑を着込んだ騎士らしき死体もあるが、有翼竜も騎士も、すべて(たぶん銃弾で)頭を吹き飛ばされ、地面に落ちた衝撃で手足がクシャクシャに折れ曲がっていた。
「ケーミッヒ! 無事か!?」
城壁は有翼竜の放射火炎で焼け焦げ、突っ込んできたワイバーンが刺さっている。城壁の上まで転移で飛ぶと、エルフたちに満面の笑みで迎えられた。
「くははは……おお、ヨシュア。どうだ、調子は?」
「は? おい、そんなことより、大丈夫か?」
「ぷははは……大丈夫に、決まってるだろう? 生まれてこの方、こんなに大丈夫だったときなんて、いっぺんもなかったくらいにな」
「むふふふ……BARは、素晴らしいものだ。本当に、素晴らしいものだぞ!?」
「くくく……ああ、そうだな。不思議なことに、いまや俺はシモノフに、狂おしいほどの愛情を感じてしまっているんだ。こいつがいれば、カネも酒も女も要らん、そのくらいにな」
「ああ、俺もだ」
「俺も俺も」
「「「「うはははっははは……!!」」」」
どうした、お前ら。なにがあった。
どいつもこいつも、血塗れで薄汚れて擦り傷切り傷でズタズタだし、髪やら肌やら焼け焦げてるし、そっちのエルフなんか足が変な方向に折れ曲がっていたりするというのに、なんでそんなに嬉しそうなんだ!?
お前ら、ふだん笑顔どころか表情筋が全然仕事してないタイプだっただろうが!?
なのに、エルフたちは……あの獣じみた威圧と殺意を撒き散らしていたケーミッヒまでもが、みんな揃って心から、幸せそうに笑っていた。
ヤバい、こいつらアタマ打ったか?




