354:愛は拳で語る
「エリ……」
コルロがよろけながら駆け寄った先には、走ってくる小さな女の子。コルロは娘と思われるその幼女をしっかりと抱き寄せて泣きじゃくる。
それは、まあ良いんだけど。その後ろに、彼らを無表情に見据える若い女性がいた。
「……シャー、……リー」
屈強なPMC戦闘要員のはずのコルロが怯み、目を泳がす。奥さん、怒ると怖いのね。わかるわかる……
「ヨシュア、何を考えておる?」
「な、ななんでもないですホントです」
俺は魔力枯渇で、冗談抜きの失神寸前になっていた。なんとか倒れずにいられるのは、単にミルリルが支えてくれてるからだ。そろそろ魔力には困らなくなってきたはずなのに……って、目の前の光景を見る限り、あれか。ふつうなら大量の贄を費やすような召喚を、個人の魔力量で無理くり実行しちゃったのか。どうなってんだ奇跡のルケモン師匠、やってくれた……というよりも、よく生きてたな俺。
「さすが魔王じゃ」
のじゃロリさんから、笑顔のさすまお。うん、これはご褒美ですな。
「うむ、民の幸せのためになら我が力……にょ」
傍らの椅子に座らされ、頬を両側から手で押さえられた。ミルリルの指輪が瞬き、温かいものが注がれてくるのを感じる。
「無理するでない。その真っ白な肌は、いつぞやの失神前の顔色じゃ」
ああ、あれか。皇国軍との戦闘でハンヴィーごと転移したりして、当時いまほど魔力行使になれてなかったこともあって加減がわからず運転中にぶっ倒れた。あのときはホントに死ぬかと思った。
ゴスッ。
なんかヘンな音したな、と思って振り返ろうとした俺は裾を引っ張られて小さな生き物を見下ろす。
「まお、こんにちは」
コルロの娘さんが、満面の笑みで俺を見上げていた。元いた世界から飛ばされたというのに動じた様子もない。物怖じしないタイプか。無垢な表情と利発そうな目が可愛らしい。
「はい、こんにちは。気分が悪かったりしない? どこか痛いとこは?」
「エリ、げんき」
それは結構。ミルリルさんが不自然な動きで壁を作ろうとしてるけど、なんですのん?
「まみ、まおに、ありがとって」
彼女は首に掛けたネックレスを指す。エリちゃんは、それをくれたのが俺だと聞いてるのかね?
「違うよ。それは、君のパパが……うぉう!?」
コルロを振り返った俺は、そのまま固まる。
「……なに、してんの!?」
コルロはマウントポジションの奥さんから、ボッコボコにぶん殴られていた。
ゴスッ。
さっきから聞こえてた音、これか。平手とかポカポカ殴るとかじゃなく固めたナックルで、腰から肩までガッツリ入った本気のパンチ。これが試合ならレフェリーが割って入るとこなんだろうけど、いま俺は魔力枯渇で動けん。近くに立ってるエクラさんは、呆れ顔で見ているだけだ。俺と目が合うと、“後で治癒魔法くらいは掛けてやるさ”、みたいな顔で肩を竦める。
いや、このままだと死なないですかね。まだ大丈夫ですか、そうですか。いいから止めてください。
「会いたかった」
ゴスッ。
一発喰らうたびに鼻血を噴いて、頭をグラングラン揺らしながら、コルロは笑ってた。馬鹿みたいに。それでもひどく幸せそうに。娘さんそっくりの、満面の笑みで。
「ずっと、会いたくて堪らなかったんら」
ゴスッ。
「愛してうよ、しゃーうぃー、もう離さらい」
ゴスッ。
「君がいらいと、おえは生きていけないんら」
ゴスッ。
「ちょッ、あの、奥さん? なんとなく状況はわかりますけど、その辺で……」
「良いんら、まおー」
止めに入ろうとした俺を、当のコルロが拒絶する。奥さんを見つめたまま、幸せそうな笑みを浮かべたままで。お前、呂律回ってないじゃん。その微笑み、脳にダメージ受けてんじゃねえの?
ゴスッ。
「いや、ちょっと待って、ホント死んじゃうから……」
「「死んでた」」
コルロ夫妻が、揃って応えた。互いに熱い視線で見つめ合いながら、俺の方など見向きもせずに、涙声で吠える。
「「ずっと、ずっと死んでた!」」
いや、そこでハモんなや。お前ら仲良いんだか悪いんだかわからんけど……たぶん、あまりにも愛し過ぎていたからこそのナックルパートなんだろうけれどもさ。それにも限度があんだろうよ。一応仮にも国政を担う議事堂の会議室で血塗れの殴り合いとか、ドン引きだよ。
助けを求めようとミルリルさんを見ると、娘さんに手で目隠しをしながら何やら話し掛けているところだった。そうだよね。さすがにお父さんをぶん殴るお母さんとか、教育上良くないからね。ていうか、その前に止めてくれ。
「なるほど、エリは偉いのう。おぬしの願いがマミを救って、ダイーも救ったのじゃ」
「まみ、げんきに、なる?」
「もちろんじゃ。エリのお陰じゃの。マミーも、いまは怒っておるが、すぐに仲良くなるであろう。わらわたちも、喜んで手を貸そう。親子三人で、いつまでも幸せに暮らすが良いぞ?」
「うん。おねがい、していい?」
あ、ちょっと待って、待って待って待って……それ、たぶん俺が死んじゃう。
「それは、願うまでもなかろう?」
ミルリルの視線を辿ると、コルロと奥さんは固く抱き締め合ったまま、泣いてた。ようやく目隠しを外された娘さんも、ふたりを見て笑う。笑ってる場合かどうかは知らんけど、治療は専門外なのでエクラさんに任せよう。俺には無理だし、する気もない。日本人には馴染みのない過剰な愛情表現で、目のやり場に困る。
これは“雨降って地固まる”、ってやつか。ひどい土砂降りだったけど。その嵐のような集中豪雨を全部、俺が被ったような気がしないでもない、が……
「エリは、だぃ、まみ、だいすきのね?」
「ほう」
「だぃ、まみも、エリ、だいすきの」
「ほうほう」
「そぅでね? まみも、だぃ、あいしゅてるのよ?」
「そうかそうか。それは良かったのう」
エリちゃんが幸せそうだから……まあ、いいや。




