350:サルズ・オンマイマイン
翌朝は日の出近くに起きて身支度を済ませ、軽く携行食を齧るとエンジンを掛けて南を目指す。
「後ろで寝てていいからね」
「「ふぁい」」
えらい音がするんだけど、移住者家族はもう慣れてしまったようで平然と眠り始めた。大音量な上に暴風を撒き散らすホバークラフトで夜明け間際の街道を通過するのは、元日本人としてはけっこう気を遣うんだけどな。なにせ大型トラックどころの騒音ではないのだ。ちょっとした飛行機レベルだ。近くに民家なんかあったら迷惑なことこの上ないんだけど、生憎そんなものは見当たらない。
「この道沿いに宿場町とかないのかな」
「知らんが、ないとしたら南領と西領を移動する者が少ないからじゃな」
首都ハーグワイを出てからずっと街道と思しきところを通ってきたが、宿も村も民家も民間人も見ていない。魔物に襲われた旅の行商人と接触しただけだ。流通経路として、ミルリルのいう通り、南領と西領を繋ぐニーズは、あまりないのかもしれん。政治経済が発展しているならともかく、大して豊かでもなく金鉱以外の産物にも乏しいとなれば商人も民間人も移動しないだろ。
「ヨシュア、そこを左じゃ」
ミルリルの指示で森の小道を入る。ホバークラフトの幅ではあまり余裕はないが、前方から向かって来る馬橇や通行者は見当たらないのでそのまま進む。
「こんなとこ通ったっけ」
「いや、以前に通った道より少し西に逸れたようじゃ。地形が変わって見誤ったかの」
「地形が変わった?」
「そうじゃ。雪が少なくなってきておるからのう」
「……ああ、そういうことか」
少しだけ心の奥でチクッて疼いたのが何なのかわからず戸惑う。
「春が近付いておるんじゃな」
それでわかった。春か。あと何週間か何か月か、春が来たら俺たちは、ケースマイアンに帰るんだ。ミルリルとのふたりの暮らしが終わる、という切なさ……ではないな。ふたりきりだったことなんて、ほとんどなかったし。穏やかな日々も、ほんの何日かだったし。 美しく楽しく幸せな時間が過ぎ去ってしまう切なさ的な何かなんだと思うが、我ながら気持ちの落としどころがつかめん。どうせまた夏休みに海水浴とか来るつもりだったし、冬休みは別に……。
「いや、まだ終わってない。いまからでも遅くない」
「遅くない? 何がじゃ」
「冬休みだっていうのに休んでないだろ。サルズに戻ったら、しばらく働きたくないでござる」
「ござるが何かは知らんが、働く必要はなかろう。仕事を頼まれるのも、いまの状況ではなさそうじゃ」
他の主要都市もだろうけど、サルズも管理側の人員が大幅に足りていない。把握はしているが、俺は知らん。もう俺は、サルズに着いたら、しばらく働かないと、決めた!
「この辺りは、なんとなく見覚えがあるぞ」
前に西領と南領の領境の町ノルダナンに行ったときか、叛徒討伐に向かった衛兵隊のアイヴァンさんたちを拾いに行ったときか。この場所は、前にも通った。もうサルズまでそう遠くない。
「さるず、ついた?」
虎獣人の子コッフが運転席のところまで来て、ワクワク顔でフロントグラスを覗き込む。
「まだだけど、あとちょっとだな。昼くらいには着くかな」
「さるず、いいとこ?」
「おう、良いとこだぞ。皇都に比べたら、すごく小さい町だけどな」
ふと気づいいてコッフの両親を振り返る。
「住むところは決まってるんだっけ?」
「はい。ギルドで紹介してもらえるそうです。エクラ様から紹介状をいただきました」
俺が連れてきたひとたちだから気を使ってもらってるのか、移住者に親切なのか。そこだけ見たら近代国家みたいだな、と少し失礼なことを考えたりする。
やがて、見覚えのあるサルズの城壁が彼方に現れた。




