343:漂流者
「おいしかった……」
感動に潤んだ目の子供たちに囲まれ、俺とミルリルは講堂みたいな場所で食後のお茶をもらっていた。兵営の一角にある新兵訓練施設。いまは時季外れで空いているというそこを、避難民たちの一時収容に使わせてもらえることになったのだ。
「お前ら、おなか丸ッ⁉︎」
どんだけ食べたんだか、子供たちの腹はまーるく膨らんでいる。戯れに指でつつくと、くすぐったそうにキャッキャと笑う。まあ、幸せそうで、なによりだ。
避難民の親たちは、別室で今後の移住先と斡旋可能な仕事の説明を受けている。共和国、けっこう移民に親切だな。
「待たせたね」
エクラさんがファーナスさんを連れて戻ってきた。手には何かの書類とメモ。一番上の紙には妙な絵が描いてあった。あちこち飛び出た棒。先端から少し太くなったところに特徴的な三角形がある。
「えむよん、かの」
小さな声で告げるミルリルに、俺は黙って頷く。やはり、PMCの生き残りがいるのだ。
「ああ、これが斥候から聞いた件の兵士の武器だ。おかしな魔術短杖だといってたが、ターキフの使う……“じゅう”の一種じゃないかい?」
俺たちの視線を読んでエクラさんが絵を指す。
「そうですね。俺たちが戦った召喚者の、撃ち漏らしでしょう。皇帝以外は、さほど徹底的には倒さなかったので」
「だとしたら、妙じゃの。あやつら、“隷属の首輪”を着けられておったはずじゃ」
俺も、それは気になった。術者が誰かは知らんが、そいつが死ねば爆発するんじゃなかったか。術者からの信号でも爆発、一定距離以上離れても爆発、外そうとしても爆発という偏執的魔道具だ。もし術者が生きているとしたら、装着者を野放しにするとは思えない。自国民を生贄に捧げて召喚した高価で危険な戦闘員なのだ。
となれば、脅迫か懐柔で使役者に首輪を外させたか、無効化の方法を見付けたかだ。
「共和国に向かっている目的も不明だね」
「エクラさん、その兵士たちの数は?」
「ひとりだ。まだ若いみたいだね。うちの斥候が接触しようとしたんだが、逃げられたよ」
「そいつは、武器を使用しなかったんですか?」
「近付くなという威嚇に、一回だけだね」
弾薬が切れたわけじゃない。もし戦闘を望まないなら……いや、相手を過信するべきじゃない。受け入れて何かあったら、被害を受けるのは共和国の人間なのだから。
「ヨシュア」
ミルリルの声に、俺は顔を上げる。こちらの気持ちは、彼女に通じてる。それはときに、少し辛い。自分の望みが間違っているとわかっているときは、特にだ。
「会いに行けば良かろう?」
「でも」
「また面倒なことを考えておるのであろうが、その責を引き受けるのであればエクラ殿も譲歩くらいはしてくれるはずじゃ」
俺たちの視線を受けて、元サルズの魔女は呆れ顔を見せた。ファーナスさんは無言で無表情のまま、理事であるエクラさんの判断に従うといった表情。なぜか少し、頬が緩んでいるように見える。
「まあ、まだうちは被害を受けていないからねえ。もしそいつが、皇帝の被害者だとしたら、助命に協力くらいはするさ。ただし……」
「ええ。脅威と判断したら、俺がその場で殺します」
エクラさんから聞いたところまで転移で飛ぶと、PMC戦闘員の位置はすぐにわかった。周囲数百メートルの距離を置いて、共和国衛兵部隊が包囲していたからだ。塔状大盾を重ねた盾持ちを前に出して、とりあえず向こうの出方を見る構えだ。相手が持つ武器の性質を知っているファーナスさんからの提案だったようだが、それが双方にとって最善の策となった。
「失礼、ルエンさんは、どなたですか」
「俺だ、魔王」
年配の指揮官が手を上げる。屈強な体躯に傷だらけの顔で曲者っぽい印象を受ける男性が、戦闘には慣れているようで表情に余裕がある。待ちを命じられて焦れないだけの指揮官だったのは助かる。俺の素性を知った上で、個人的感情を出してこないのもありがたい。
「話は聞きました。投降させますので、少しだけ時間をもらえませんか。こちらがエクラさんとファーナスさんからの委任状です」
ルエンさんは書状を受け取るが、なかは見ないまま懐に突っ込んだ。
「面倒な飛び道具だって話だが、大丈夫か」
「問題ない。それの扱いには慣れておるからの」
ミルリルが肩から下げたUZIを見せると、彼は鼻を鳴らして肩を竦める。
「あんたらが殺されたら俺たちも動くぞ?」
「もちろん構わん。そんなことは起きんがの。もし死ぬとしたら、あやつじゃ。……そうならんと良いがの」
俺はミルリルと一緒に、包囲陣の中央に転移で飛ぶ。足元に弾着があったが、距離は離れていて安全確保がされているのがわかった。
「近付くな!」
自動翻訳で良くわからないけど、英語のようだ。針葉樹林の奥、切り倒された木の陰。声のしたあたりに、うずくまるシルエットが見えた。PMC装備の上に、皇宮で奪ったのか皇国軍の墨色外套を羽織っている。
「俺は、タケフ・ヨシアキ。お前と同じく召喚された、ジャパニーズのビジネスマンだ。包囲している衛兵を含めて、こちらには危害を加える意思はない」
再び着弾。今度は少し近い。
「黙れ! 信用できるか!」
「せんでもよい」
静かに発したミルリルの声が、男に届く。
「選択肢はふたつ。ここで死ぬか、投降して生き延びるかじゃ。貴様は、わらわたちの射程内におる。次に発砲するならば、殺す」
「……ウーズィ?」
特徴的なシルエットから、男はミルリルが下げているものがイスラエル製のサブマシンガンだと知った。自分たちの部隊には配備されていない武器を見て、俺が召喚者だということは納得したのだろう。
「ここに居る男も、貴様と同じように召喚され、王国の贄にされかけたのじゃ。しかし、無事に生き延びただけでなく、いまでは三か国で確固たる地位と敬意を集めておる。それと、畏怖もじゃ」
「……おい待て、お前……!」
「そうだ。お前らが殺すように命じられた、“ケースマイアンの魔王”だ」
男は沈黙した。その意味はわからん。遮蔽の陰では感情も、敵意表示のバーも読めん。
「皇帝は殺した。お前の仲間もな。しかし、それは俺たちを殺そうとしたからだ」
「……俺は」
「よく考えてみろ。どうやったか知らんが“隷属の首輪”を填められていないなら、お前は自由だ。生き延びるために手を貸すこともできる」
男の迷いが、沈黙として伝わってくる。
「ただし、ここで投降したらだ。武器を捨てろ。お前に敵意がないとわかれば、後で返却してやってもいい」
「嫌だ! 誰が捕まるか! 俺は、故国に帰る! 家族が、娘が待っているんだからな!」
「無理だ」
俺の言葉に、男が怯む。
「元の世界に、生きて帰る方法はない。皇国で何を聞いたか知らんが、召喚された人間が元の世界に帰った例はない。命懸けで、この場から逃げたとしても、意味はないぞ」
「……そんな」
男は拳銃を抜いて、自分の頭に突き付ける。ミルリルからの視線で撃ち飛ばすかどうかの判断を委ねられたが、手で少しだけ待つように伝える。
「でもな、ひとつ妥協策ならある。前に試して、上手くいった。俺の能力で、元いた世界と荷物のやり取りならできるんだ。ホラ見ろ」
ドスンと、装甲兵員輸送車を雪原に出す。男が唖然として拳銃を下げ、遮蔽からふらりと立ち上がった。撃つならいまだが、その必要もなさそうだ。
「なあ、生まれ変わったと思って、やり直してみないか。手は貸すぞ」
「……」
「貴様のいる世界からの召喚者は、他にも居るんじゃ。悪いようにはせん。娘に荷物や手紙を送るならば、“ぽろろいどかめら”もある。金貨を詰めても“ぜーかん”にバレんように隠蔽魔法を掛ける方法も考えた。この世界にしかない魔道具でも入れてやれば、きっと娘もわかってくれよう」
男は、銃を捨てる。泣き笑いの顔で、俺たちを見る。見たところ、年下のようだ。予想していたよりも、ずっと若い。
「娘の、誕生日には……帰るって、いったんだ」
涙をこぼす男に、ミルリルが優しく頷く。
「だったら、急がんとな。とびっきりの魔道具を作る工匠がおるんじゃ。あやつに頼めば、娘の心をわしづかみにしてくれようぞ?」




