34:号砲
我らが王国軍の布陣は、完璧だった。少なくとも、日本出身の自分にはそう見えた。
剣と槍と弓での戦争なんてものを体験するのは初めてだが、平野を埋め尽くすほどの屈強な兵たちを目にすると、この兵力で蹂躙できない敵などないと思えてくる。
「おいヒロキ、これでホントに大丈夫なのか?」
「知るかよ。もう戦争は始まっちまってんだ。いまさらガタガタいってんじゃねえよ」
「……つってもよ、向こうには、あいつが」
「うるせえな! あのクソのことなんざ、もうどうでもいいんだよ! そんなに心配ならテメエが良いプランでも立てろよ、ご立派な賢者様がよぉ?」
相変わらずなんの策もない能なし賢者のトモノリは口を噤んだまま不満そうに立ち去る。
魔導師適性だけは無駄に高いらしいあいつには、俺とは別の、派手で危険性の高い特別任務が与えられている。腰抜けのトモノリはそれが誇らしいとは微塵も思っていない。むしろ、いますぐ逃げ出したいのだろう。
くだらねえ。
ちょっとでも格闘技をかじった人間ならわかることだ。ビビったところで状況は変わらない。視野が狭くなって判断が鈍るだけだ。逃げ腰では攻撃できない。弱気で丸まっていたらタコ殴りにされる。戦うしかない状況なら、強気で押す以外に解決策なんてないんだ。
だいたい、敵は100にも満たない寄せ集めの亜人どもなのだ。聞いた話では、ろくに鉄器すら揃っていない、弓矢と棍棒が主な武器という烏合の衆だ。
名前も忘れたが、あの三流サラリーマンが合流したからといって、大勢に影響はない。拳銃を持っていることは知っているが、それでもたかが1丁、甲冑を着込んだ兵を突撃させれば押し包んで潰すのも容易い、はずだ。
それでもダメなら、自分が出る。強力な魔導障壁で身を守り、岩をも砕く聖剣で天誅を下してくれる。俺は出来る。やらなくてはいけないのだ。屈辱を雪ぎ勇者としての名声を取り戻すには、どうしても勝利が必要になる。
「勇者様、こんな後方でなにをされているのですか。国王陛下からは“先陣を務めよ”とのお達しですが」
慌てて駆け寄ってきた従兵を見て、俺は鼻で笑う。
ふざけんな。こんな戦場の先頭に立ったところで、なんの得があんだよ。だいいち、まだ敵がどこにいるのかもわかんねえし。
「前線に出ても来ない奴にとやかくいわれる筋合いはねえよ。やりたきゃ勝手にやれ。要は、最後に亜人どもを皆殺しにすればいいんだろうが」
「……ですが」
「なんか文句でもあんのかよ。いつまでもグダグダいってんと、てめえから殺すぞ?」
「あ……いえ、はい」
「心配しねえでも、すぐに殺し合いの最前線に連れてってやるよ。やつらの姿さえ見えればな」
亜人どもとの戦の場は、馬鹿みたいに広く開けた平野。縦横がそれぞれ3哩……たしか5kmほどだ。
敵の本陣は高い位置にある城壁のなかで、そこに上がる道は渓谷を抜けた先にしかない。いかに迅速に、かつ被害を少なく渓谷を抜けるかが勝利のカギだ。
平野は全域がほぼ平坦な地形だが、細かく見ればいくつか低木が群生した地点が点在し、王国の人間が枯れ河(干上がった河)と呼んでいる帯状に抉れた場所もあれば、何か所か小高い丘もある。高低どちらも落差は10尺ほどらしい。王国の単位はわからんが、ひとの背丈の2倍程度のものだ。その周囲には打ち捨てられた馬車の残骸と思われる木片や鉄片が転がっていて、遮蔽物としては使えそうだ。
上手く利用すれば、たとえば1/10哩ほど(160m前後)高さのあるケースマイアンから長弓による撃ち降ろしがあったときにも、大型の盾と併用することで対処が可能だ。
斥候を出し確認したが、平野のどこにも亜人の隠れている様子はない。どれだけ周到に待ち構えているのかと思えば、とんだ肩透かしだ。
「高地も遮蔽も窪地も、どれも戦を左右する要所として真っ先に押さえるべきなのに、放置するとはしょせん亜人の浅知恵ですな」
気まずい空気を和ませようとしているのか、あるいは戦場に立つ不安と恐怖を払拭しようと必死なのか――十中八九、後者だろうが――従兵はしきりに唇を舐めながら、奇妙に明るい声でいった。
王国軍混成部隊を指揮するのは公爵家の3男にあたる――というのはつまり王家の遠縁ということになるらしい――トリストリア将軍。連戦連勝、生涯無敗で知られる猛将だそうだが、最低でも敵の4倍以上の兵員数でしか戦ったことがないという王国軍に、負けがある方がどうかしてる。
いまも敵正面の平地に塔状大盾を持った重装歩兵1万が布陣、亜人どもの注意を引き付け、攻撃と突撃に備えている。その背後には、安全な距離を置いて援護の弓兵3千。これだけでも100の亜人を殲滅するのに十分過ぎるほどだ。
彼らが敵正面戦力を引き付けている間に、重装騎兵5百が速度と突進力を生かして障害のない外周を回り込み、ケースマイアン本陣がある崖の手前を抜けて一気に敵の懐まで飛び込むという段取りらしい。
トリストリア将軍は、主戦力による力押しだけの脳筋馬鹿というわけでもないようだ。
4か所ある密生した灌木の陰に小回りの利く(そして使い捨ても効く)傭兵を2百から3百ずつ分散させて置き、枯れ河に沿って移動させた軽歩兵を5百ほど、最終突撃地点となる北側の緩傾斜位置につけさせていた。
敵陣と近い位置に3か所ある丘の手前側には、それぞれ弓兵2百と軽騎兵3百を配置。これは戦況を見て逃げ惑う敵を食い散らかす算段だろう。
その他にも、いくつか隠し玉がある。俺たちは勝つ。絶対に、確実にだ。
「しかし、トリストリア将軍が食えないというのは本当ですな。いまから戦後を考えていらっしゃる」
「あ?」
「あの布陣ですよ。正面で華々しく戦果を挙げるのはご実家の公爵領軍と、子飼いの伯爵領軍・辺境伯領軍から抽出した重装歩兵部隊。さんざん蹂躙した後で最後に勝負を決めるのは、第1王子が指揮する近衛騎兵です。意図するところが、あからさまではありませんか」
従兵の言葉に、俺は呆れて首を振る。勝つのは既定事項で、気にしているのはゴマすりの方法と、戦後に賜る褒美の分配か。
どうやら俺にはまだ、見えていないものが多いらしい。政治か。くだらねえ……が、どこかで無理にでも学んでおかないと、知らないままだと馬鹿を見る。
笛と太鼓と手旗信号による連携で、王国軍の前衛部隊1万3千強が陣形転換を開始。一斉に盾を構えて亀のように身を固め、息を潜めたまま突撃のときを待つ。そして。
王国軍陣地の最後方――つまりは俺がいる辺りだが、魔導師団からの長距離攻撃魔法が放たれる。現代の戦争における大砲やミサイルのような無慈悲で強力な攻撃。こちらを遥かに上回る魔導師を持っていない限り、この攻撃魔法から逃れる術はない。
真っ直ぐに飛んで行った光は城壁上部に当たって粉砕、敵陣に土埃と瓦礫を撒き散らす。俺から少し離れた場所で指揮を執っていた宮廷筆頭魔導師とやらが、分厚い甲冑の面頬を上げて、満足げに頷いた。
たしか、こいつも将軍の腰巾着だったか……
「よおし、いいぞ! このまま……へぶッ!」
指揮刀を手に次の合図を出そうとしていた筆頭魔導師が、いきなり消えた。
ビチャビチャと粘り気のある何かが降りかかる。温かく生臭いそれが血と肉片と脳漿なのだわかったとき、遠くから遅れて轟音が聞こえてきた。後方で鳴り響く金属音は、重甲冑が折り重なって倒れるときの……
俺の考えがまとまるより前に、上空から風切音が、聞こえた。
「敵の攻撃を受けたぞ、魔導師部隊、退避! 退、……ひッ!?」
戦列を乱し逃げ出そうと動きかけた魔導師たちの元に、なにかが落ちてくる。
あれは、ヤバい。なんなのかはわからないが、とてつもなくヤバいものだということだけは、直感で理解した。
「勇者様!」
「オラ走れ! そっちじゃねぇ、前だバカ野郎ッ!」
無防備な状態で攻撃を受けた場合、そのまま下がるのは悪手だ。狙い打ちにされる。格闘技ではそういうとき、ガードを固めて懐に入る以外に逃げ道はない。いまもそれが功を奏したようだ。
頭を抱えて地面に伏せると、周囲の地面が激しく揺さぶられて掘り起こされる。轟音と爆風を凌ぎ切って、振り返ると魔導師たちは陣地ごと粉々になっていた。
危うく死にかけた。立ち上がろうとしたところで再度襲ってきた衝撃に吹き飛ばされて転がり、俺は煙と硝煙のなかで混乱した頭を振る。なんなんだ、いったい……
「待て、硝煙? ……くそッ、硝煙、だと!?」
風切音が、また聞こえてきた。上空から次々に落ちてくる物は紛れもなく、小さな爆弾だった。
◇◇
「弾着、いまじゃ!」
双眼鏡で観測していたミルリルが距離と方位の修正を行う。正直、俺には弾着すら微かにしか見えん。ミルリルちゃん、アンタ裸眼でも平野の向こう側まで見えるって豪語してたじゃないの。双眼鏡返して……。
「よぉし! 東砲座、1番そのまま! 2番は左に2度! 3番は角度そのまま、俯角2度じゃ!」
「「「応ッ!」」」
「西砲座、1番2番いいぞ! そのままドンドン放て! 3番は右に5度、仰角3度じゃ、残った魔導師どもの退路を潰す!」
「「「応ッ!」」」
開戦は、敵弓兵の一斉射撃から始まった。山なりの軌跡を描いて飛んでくる長弓の曲射はたしかに当たれば死ぬが、そもそも敵の射程内に味方はいない。唯一、機関銃座が射程圏にあるものの、そこは陸走竜の甲殻(俺には亀の甲羅にしか見えん直径5mほどのドーム)を基礎に丸太と大岩で補強し、王国軍から奪った盾を鱗状に組み合わせた防壁を立ててある。おまけに馬防柵と空堀と有刺鉄線とで完全隔離された安全地帯だ。弓矢程度では揺らぎもしない。
ちなみにランドラゴンは長距離射撃で倒した1頭の他にも2頭が追加で狩られ、ドラゴンステーキパーティの後で甲羅が確保されたのだ。
魔導師部隊から飛んで来た攻撃魔法の法弾は、距離があり過ぎたのかケースマイアンの城壁をわずかに破壊して霧散した。
お返しに放ったシモノフの14.5×114ミリ弾は重甲冑を着込んでいたらしい魔導師の指揮官を空き缶のように吹き飛ばした後、数人を巻き添えにして後方へ抜けて行った。あまりに凄まじい威力で、敵に物理攻撃対策の障壁があったのかなかったのかも確認できない。
ダメ押しで放った見込み発射の迫撃砲弾が、逃げ惑う魔導師たちを着実に屠ってゆく。ドワーフには数学の基礎があるのか勘が異常なのかは不明だが、実弾訓練はほとんど出来なかったというのにほぼ意図通りの場所に落としているらしいのには驚かされる。
こちらとしては脅威となる魔導師と竜騎兵だけは可能な限り早急に潰しておきたかったのだが、成功したのは魔導師だけ。ワイバーンの方はいまだ影も形も見えない。
「ヨシュア、正面の重装歩兵が動くぞ!」
先ほど合図の太鼓と笛と旗で、敵の主戦力である重装甲歩兵が守りを固めるのは見た。ガチガチにガードを固めた状態で停止していたやつらは、次の合図でようやく前進を始めたようだ。
こちらの兵の姿が見えない状態なので進行方向を定められないのかとも思ったのだが、どっちにしろ出入り口はひとつ。いずれ渓谷の入り口を目指すしかないのだ。待機させられていたのは向こうの指揮の混乱か、あるいはなんらかの意図があったのだろう。
「……しかしまあ、ようもあのような戦法を考えたものよのう」
「考えはするが、実現しようとは思わん」
「兵数がものをいう戦場では効果があるのかもしれんが、カネとひとと時間と労力の盛大な浪費じゃ」
ミルリルと周囲のドワーフたちは、感心半分呆れ半分で重装歩兵の前進を眺める。
俺も実戦下の密集陣形など初めて見る。速度は遅いが守りは完璧、盾と槍を組み合わせ密集体型で移動するさまは、まるで巨大な1頭の怪獣だ。どれほどの武勇を誇る獣人であっても、10や20では掠り傷も負わせられないだろう。押されて囲まれ、磨り潰されて終わりだ。
獣人やドワーフ、エルフにはやろうと思っても出来ないし、そもそもやろうとも思わない戦い方なのだろう。
歴史好きなら眼福なのかもしれんが……あの速度は、上から見ているとまどろっこしいことこの上ない。
「さあヨシュア、始めるぞ!」
「了解、そちらの判断で適時行え、残数の把握を怠るなよ!」
「おう、任せるのじゃ! ケネス爺、ケルマン爺、まずは2-1から2-4じゃ、用意せい!」
「了解、2-1、2-2、安全装置解除!」
「2-3、2-4、準備良しじゃ」
「先頭が効果圏内に入った。まだじゃ、もう少し……3、……2、……1、いまじゃ!」
ドワーフの爺さんたちがリモートコントロールのスイッチを押すと、重装歩兵の一団が土煙のなかに消えた。
まずはドズンと腹に響く圧力、地響きから一瞬遅れて、爆発音が耳に轟く。宙高く舞い上がった甲冑はほとんど俺たちの目線近くまで噴き上げられ、引きちぎられ粉砕され原形を留めないバラバラの残骸になって敵陣に降り注いだ。
爆風が去った後には巨大なクレーターと、その外延部に倒れたままピクリとも動かない兵士の姿が2~300ほど。
残りは、跡形もなかった。本当に、なんにも。
誰もが、言葉を失くす。ドン引きとかではない。こうなるとわかってはいて、思った通りの結果にはなったのだが、なかなか脳が情報を受け付けないのだ。数分の沈黙の後、妙に平坦な声でドワーフの爺さんたちがつぶやく。
「数千……いや、1万はおった重装歩兵が、……粉微塵じゃな」
「……なん、ッちゅうもんを、……造り出したんじゃ、おぬしらの、国は」
俺の国、ではないんだが。まあ、強大な軍事力という意味では、俺の国も同じ穴のムジナだ。
「よおし! 小銃隊、出番じゃ!」
「「「応!!」」」
いち早く我に返ったらしいミルリルの指示に、城壁上に展開したエルフたちが答える。
眼下を見渡すと、戦場を大きく迂回した重装騎兵部隊が崖下を高速で突進してくるのが見えた。何騎か走りがヨレているように見えるのは爆発の衝撃によるものか。それでも果敢に馬防柵を縫い、鉄条網を回り込んで、渓谷入口を目指す。そこを強硬突破しスロープを駆け上がって、俺たちがいるケースマイアン本陣を狙うつもりなのだろう。
主力は、銀の甲冑に赤い外套。近衛の騎兵だった。




