339:悪縁
二時間くらいは眠っただろうか。ミルリルに揺り起こされて、俺は騎乗ゴーレムの操縦席で目覚める。魔力の節約のため一部だけ起動していた全周モニターを立ち上げ、装甲兵員輸送車の陰で周囲を警戒する。
「敵襲?」
「敵、ではなく獣とは思うが、何かデカいもんが来よるぞ。右手奥、森の深い方からじゃ」
木々を掻き分け地面を揺らしながら、何かがこちらに向かって来ているようだ。操縦席では外の音がよくわからないので、ゴーレムの胸部ハッチを開けて耳を澄ませる。
「群れ?」
「いまのところ、気配は、ひとつじゃの」
だとしたら、たしかにデカい。梢が揺れるワサワサいう音が、かなり広範囲で鳴っている。ベキボキと木が折れているような音までしてる。月明かりも差し込まない山間部の森では、暗過ぎて相手の正体はよくわからない。暗視ゴーグルで見透かそうとするが、そもそも森の奥で揺れて倒れる木しか目に入らん。
「なんだろ、あれ」
「なにかはわからんが、龍種でもない限り問題はなかろう」
ミルリルさんは、そうかもしれんけれども。俺にとっては有角兎でも距離を詰められたら割と生命の危機なんですよ。
低い唸り声。鯨のように天高く噴き上げられる息吹。地響きが近付いてきて、ミルリルが小さく笑う。
「これも縁かのう、見よ」
「……え? いや、俺にはまだなんも見えんのですが、なに?」
「おぬしの天敵、防盾角鹿じゃ」
「ちょッ……また!?」
いや、天敵でもなんでもないけどな。あんときは、ただ単に、ちょっと銃の選択を誤ったってだけで、防盾角鹿自体は、そんなに苦手とか怖いとかは、ないんだけど……たぶん。
まだミルリルさんしか対象を視認できてないので何ともいえんが、前のときみたいな酷いことにはならんだろ。さすがに、もう拳銃弾で挑む気はない。今度こそ、ふつうに仕留める。
「……ほう?」
ミルリルさん、その防盾角鹿を見て何を納得してるんだか知らないけど、ツッコんだらダメなフラグっぽいので黙っとこう。
「わらわは、勘違いしておったわ。前に倒した防盾角鹿が、そこそこ立派な個体なんじゃとな」
「いや、かなり大きかったよあれ。二頭の子持ちだったから、成熟した雌でしょ……って、おい待て」
やっぱダメなフラグだった。シルエットが露わになる。のそりと巨体が姿を現す。
「あれが、雄じゃ」
「うそん……!」
なにあれ、怖ッ!? 前言撤回。無理無理無理、俺あのシカ、ぜったいダメだわ。
前に――ミルリルが――仕留めた雌はマイクロバスより少し小さいくらいの“巨体”だったが、雄はヤダルが乗ってきたウラルの軍用トラックくらいある。頭までの高さだけで三メートルを超え、そこから雌とは比較にならない傘状の巨大なツノが天を衝いて伸びている。体長は不明ながらも、キャスパーよりデカいのは確実だ。
「……これ、完全に怪獣じゃん」
どうすんだよ、こんなん拳銃弾どころかフルサイズライフル弾だって効かんわ。
「ほれ、おぬしの新しい玩具の出番じゃ」
「ウィンチェスターのこと? いや、あれライフル弾といってもふつうの鹿を撃つくらいのタマだから、あんなドラゴンの親戚みたいなのを倒すのは無理だと思うぞ?」
「となれば、“けーぴーぶい”かの? 仕留めるだけなら良いが、肉が傷んでしまうのう」
このひと、我が身の安全どころか倒した後のバーベキューの心配してはるでオイ⁉︎
「倒すのは、確定事項なんですか。逃げるとかは……」
「おぬしとふたりならば、それも良かろう。しかし、そうもいくまい?」
ミルリルが指した先では、キャスパーの窓に鈴生りになって、泣きそうな顔でこちらを見ている避難民たちの姿があった。
「何か手を考えて……たとえば、転移で運ぶとかじゃな。それで仮に逃げ切れたとしても、あやつらは、こう思うじゃろ。“魔王は、鹿より弱い”と」
いや、弱いわ! そもそも、あれを鹿と呼ぶのがおかしい。
「おぬしの、いいたいことはわかる。しかし……わらわの我儘ですまんがの。どうしても、それは許せんのじゃ」
化け物みたいな鹿から逃げたからって、避難民から侮られることはないと思うけど。そういう問題じゃないんだろうな。“魔王陛下なら何があっても大丈夫”みたいな安心感を得られるかどうかで、彼らのその後が違ってくるんだ。だって……
「おぬしは、あやつらとの別れ際に、いうつもりなんじゃろ? “何か困ったことがあれば、なんでもいってくれ、力になる”とな」
「……ああ、うん。そうね」
困ったとき。挫けそうなとき。いざというとき。
それが、いまだ。たかが――というのはずいぶんと語弊があるとは思うけれども――鹿を相手に尻尾撒いて逃げるような魔王に、何を頼るというのだ。彼らの精神的な後ろ盾として、なにがあってもドーンと構えてカッコよく解決してくれるスーパーヒーロー的な精神的お守りとして存在するために。俺は。俺たちは……
「「「まおぉおお……」」」
装甲兵員輸送車の車内から、小さな子供たちの泣き声が聞こえてくる。助けてって、いいたいのに我慢してるのだ。あんな化け物と対峙したら、俺たちに被害が及ぶのだと気遣っているのか。
「うむ、我が妃よ。それは、さすがに看過できんな」
「御意?」
ミルリルさんは、俺のドヤ顔を生暖かい目で見ながらも。魔王夫婦のミニコントに付き合ってくれた。ちょっとセリフが疑問形だったけど。
俺は騎乗ゴーレムのハッチから出て、ミルリルとふたりで子供たちに手を振る。
「お前ら、喜べーッ!」
「「「……???」」」
困惑の表情で見返すボーイズ&ガールズに満面の笑みで応え、小山のような雄鹿に宣戦布告する。どうなろうと知るかボケ、やるだけやったるわ。
「明日の朝飯は、焼き肉だぞー!!」




