321:ガントレット
装甲兵員輸送車の進路上に魔法陣が浮かび、ミルリルの警告でそれが阻止線を形成することがわかった。案の定、目の前に直径二メートル近い大木を削り出したような巨大な木杭が天を衝くように出現する。馬防柵。ケースマイアンで自分たちが使った手だ。同時に道いっぱいの杭が飛び出したわけではない。右に左に避けることは可能だが、その行き着く先には殺戮用の空間があるはずだ。視線を向けた先に光。皇宮の檣楼上から空中に出現した魔法陣が瞬いているのが見えた。
減速は間に合わない。過給機付きの大排気量エンジンで巨体を加速させることはできても、慣性の法則までは捻じ曲げられない。ブレーキはタイヤを止めようとはするが、十トン超えの車体が停止するまでには、おそらく数百メートルを必要とする。
「く、そッ!」
収納、と叫び掛けて俺は一瞬の躊躇を余儀なくされる。キャスパーを収納してミルリルを抱え、転移で危地を脱するか。
「舐められたもんじゃ」
銃座から上がった、いっそ長閑なまでに穏やかな声が俺の焦りを霧散させる。
「音に聞こえた“殲滅の魔王”を、この程度の小細工で止められると思うておったとはのう?」
暴れ回る車体の揺れを物ともせず正確に打ち上げられたグレネードが、上空遙か彼方で爆発する。狙いを定めていた上階の魔導師たちを檣楼から薙ぎ払い、空中の魔法陣ごと吹き飛ばした。
雪混じりの泥濘で派手に横滑りしながらキャスパーの車体がようやく停止したのは、殺戮用の空間どころかそれを優に百メートル近くも超えた皇宮の正面ゲート前だった。
「助かった、ミルリル」
「いうたであろうが。おぬしとふたりなら」
淡い紅色の光が、ふんわりと俺を包む。
「……わらわは、何でもできるのじゃ」
皇宮の入り口付近から、バラバラと十人ほどの兵士たちが現れる。その姿は見覚えのある墨色の外套に包まれてはいたが、サイズと動きとバランスがおかしい。
「……ほう?」
ミルリルが、そいつらを見て少しだけ感心したような声を上げる。身体補綴ゴーレムとでもいうのか。要は、ゴーレム技術を使ったサイボーグだ。攻撃や移動のために手足が延長され、感覚器を増強したのか頭や後背部に膨らみや突起がある。
「不細工な出来損ないばかりを見せられると、あの程度のものでも悪くないように思えるのう」
「まあ、な。少なくとも友軍の邪魔はしないし、戦力の嵩上げにもなってる。最初からあれを量産すりゃ良かったんだ」
「敵に思い付くような問題ならば当然、自軍でも考えておる。それができん理由があったんじゃ。開発にカネが掛かりすぎるか、運用に熟練技術が必要か、戦場に出せんほど脆弱か、適合成功率が悪いか……あるいは、その全部じゃ」
一歩踏み出して溜めを作り、手足の長いゴーレム兵士が宙に飛び上がる。後ろ手に構えていたのは二メートル弱の殻竿。ケースマイアンに侵攻してきた騎乗ゴーレムが、同じような物を持っていた。もしかしたら皇国の伝統的な武器なのかもしれない。
「ヨシュア、車体そのまま。わらわの合図で全力後退を頼む」
「了解」
RPKと思われる軽機関銃の連射音が響き、飛び上がった手長足長の兵士たちは呆気なく叩き落される。アサルトライフル弾でも抜けたということは、追加武装は攻撃と移動に使う義手義足だけで防御力は低い。
「詰めが甘いのう」
基本的には前近代の戦争を想定した用兵なのだから、銃弾に耐えられないことを責めるのは酷というものだろう。刀槍と弓矢の戦場ならば暴れ回れたのかもしれない。
「いまじゃ、後退!」
ミルリルの合図で、俺はリバースに入れたギアを繋ぎアクセルを踏み込む。上空に視線が逸れたのを狙って、ずんぐりした体躯の兵士たちが四人、低く構えた姿勢で突進してくるところだった。今度は銃弾を掻い潜り、幾らかは跳ね返してキャスパーの目前まで迫る。
「停止じゃ!」
車体が完全停止するより早く、全自動射撃の銃声が銃座から上がった。音圧が高く連射速度が速い。小銃弾仕様のPKM軽機関銃か。あと少しのところまで届いた重装型ゴーレム兵士だったが、肘膝の可動部を撃ち抜かれて泥濘の上に倒れ込む。疾駆する勢いのままゴロゴロと転がった彼らは、拳銃弾だろうパンという軽い音とともに目玉を撃ち抜かれて事切れた。
「残りは?」
「散開したまま動かんのう。投擲か射出か、遠距離攻撃用の武器持ちと踏んでおったんじゃが」
装甲兵員輸送車の出番はここまでだ。俺たちは車か降りて、それぞれの武器を抱える。俺はAKMとイサカのショットガン。そして……
「ねえミルリルさん、それ少し無理ない?」
「建物のなかであれば、必要なのは弾数じゃ」
ホルスターの拳銃は固持したものの、珍しくUZIを手放したのじゃロリ先生が代わりに手にしたのは、両手に一丁ずつのPPShだ。携行袋には三十本ほどのボックスマガジンが刺さっていて、背中に回した予備の一丁にはドラムマガジンが装着されている。それトータルで優に千発超えてるよね。どんだけバラ撒く気ですか。
「さて、行くぞヨシュア」
M79のグレネードが発射され、皇宮の正面ドアが吹き飛ばされる。室内では使えないグレネードランチャーの出番も終了。俺が受け取って収納に仕舞う。
ドアから入ったフロアの奥に、魔術短杖を構えた魔導師の一団が隠れているのがわかった。正確には、隠れようとしているのが。
「こやつら魔導防壁は銃弾に効果がないと、いまだに学ばんのか」
単発で吐き出された拳銃弾が次々に魔導師たちを貫く。着弾と同時に青白い魔力光が弾け、身体が崩れ落ちると同時に拡散しながら消えてゆく。
ミルリルが吹き抜けの階段を登り、周囲を警戒しながら俺がその後に続く。
最終防衛線の内側に入っているはずだが、皇宮のなかはひどく静かで、剣や槍を扱う金属音も、防備を固める足音や怒号も聞こえてこない。
「兵士はいるのか?」
「気配はあるがのう。何の音もせんのが妙じゃの」
奇妙なのは、皇宮だけじゃない。皇都の城壁から見下ろしたとき、逃げ惑う一般市民の姿も見えず声も気配も、存在を何ひとつ感じなかったのだ。戦闘に備えて避難させるなどという気遣いをするようには見えん。実際、城壁外の貧民窟はそのままだったし。
「おかしな国だ」
そう呟いたところで、以前リンコから聞いた話を思い出す。
「ヨシュアの知ってる世界の“国”だと思うから判断が食い違うんだと思うよ」
まだその頃にはケースマイアンでドローンは作られていなかったし、王国も皇国も諸部族連合領も、ごく一部に足を踏み入れたに過ぎない状況だったから、国情は伝聞によるものが大部分を占めていたのだが。
元ポンコツ聖女にしてマッドエンジニアなJKは指を振りながら教えてくれたのだ。
「例えば、ヨシュアって郡山出身だったよね」
「両親の実家があるだけで、生まれも育ちも違う」
「そんなことはどうでも良いよ。皇国の資料館で見たんだけど……そうだ、郡山市の人口ってどのくらい?」
「……知らんけど、たしか三十何万。四十万まではいってないはず」
「そう。王国の人口って、それに毛が生えたくらいしかないんだよ」
毛て。元とはいえ聖女で女子高生なのに。
「公称百万、たぶん実数は七十万ちょいくらい」
“毛が生えたくらい”って、倍以上違うじゃん。でもまあ、国としては少ないな。
見た感じ、第一次産業のレベルは高いけど、文化レベルとしては前いた世界の前近代だもんな。あんまり人口の集中はできないのかも。魔法と亜人種族の存在が、どう影響するかがわからん。魔法は、少なくとも医療にはかなり貢献しているはず。リンコによれば、治癒魔法が医学の発展を阻害してもいるようだが。
「ちなみに王国の、面積は?」
「う~ん……正確な数字までは覚えてないけど、最低でも東北六県か、それ以上はあると思うよ。最大で東北プラス北関東くらい? 東西を急峻な地形で分断された南北に長い内陸国だから、地形も似てるっちゃ似てるかな。この大陸に高い山は少ないみたいだから、平地面積の割り合いは東北より多い」
王国は、東北全土を支配した巨大な郡山国って感じか。違うか。なんだその例。全ッ然、イメージの役に立ってねえ。
で、だ。その妙な例えが何を表わしているかというと……
「ただでさえ少ない人材と資本が分散していて集中運用ができないんだ。輸送や移動も人力と馬頼みなんでお察し。となると発展は難しくて、大規模な被害を受けた後の復興にも時間が掛かる。もしくは……」
ポンコツ聖女は首を傾げて苦笑した。
「復興そのものが望めない」
「ヨシュア、何をボンヤリしておる」
気付けば階段を登りきったところで、ミルリルが俺を振り返っていた。周囲の警戒を続けている彼女は、気配を読んで上階への通路を指す。廊下の先に、テーブルや木箱で遮蔽物が組まれているのが見えた。
「何か、忘れてる気がする」
「そういうことはある。多くは気のせいじゃ。何にしろ、考え事は戦闘の後にせい」
うむ、正論だ。俺がAKMでテーブルを撃ち抜くと、陰に隠れていた兵士たちが音もなく倒れた。毛足の長い絨毯の上を、鮮血が広がってゆく。
「脅威排除」
何で急にあんなこと思い出したんだ? 心に引っ掛かっている何かへの対処か。
皇宮の内部が静か過ぎること。皇都に人が少な過ぎること。急速な人口減で皇国がもう国の体を成していないこと。違和感の原因が、もし同根なのだとしたら。
「なあミルリル」
「なんじゃ、忘れ物は見つかったのか」
「もしかして、もう皇都は遺棄されてるってことはないかな? 丸ごと、召喚の、贄として」




