320:静寂の罠
結局、貧民窟の獣人自警団は揃って車まで子供たちを迎えに来ることになった。俺たちの言葉を信じることにしたかミルリルさんの闘気に恐れをなしたか、先ほどまでとは打って変わって大人しい。
とはいえ完全に信用しているわけではないらしく、武器は携行しているし警戒も解いてはいない。
「ウゥ、ワゥ」
「狼だ! ケッセル、応援を呼んでこい!」
駆け出そうとした人狼の青年をミルリルが手を振って止める。
「待て、心配ない。わらわたちの連れの、白雪狼じゃ」
「ワゥ?」
稜線の向こうから姿を現したワウがこちらを攻撃する気配もなく、のほほんとした顔で尻尾を振っているのを見て危険はないと判断したようだ。
ポテポテと歩いてきたワウが背中に有翼族の少女を乗せているのを怪訝そうに眺める。ノニャ……ワウの首に抱きついたまま幸せそうに寝とるし。
「あの……背中の子は?」
「友達のようじゃの」
「白雪狼と、有翼族の子供が? 相手は妖獣だぞ!?」
「人懐っこいやつじゃからの。あやつが怒ったのは、あの娘を傷付けようとした皇国軍のクズに対してだけじゃ」
「白雪狼って……そんなもんなのか?」
人狼のひとりが意見を求めるものの、仲間の自警団員たちは“知るわけないだろう”という感じで首を振る。白雪狼なんて、ふつうに暮らしていれば見る機会はないらしいからな。
「よう頑張ったのう、もう大丈夫じゃ。お仲間が迎えにきたぞ」
キャスパーの後部ドアを開けて、ミルリルが子供たちに声を掛ける。自警団(と勝手に呼んでいるが実際はどうなのか知らん)の連中を見てホッとした顔になる。お互いに面識と信頼関係はあるようで、ひと安心だ。
「こいつらを、どこで」
クマ獣人の男から訊かれたので、彼らとの接触が共和国の東側国境近くだったことを伝える。獣人とはいえ、子供の足で移動できる距離ではない。
「皇国軍に攫われて、隷属の首輪を付けられての。わらわたちを襲うように命じられておったんじゃ。もうそのようなことは起きんようにするが、しばらく気を配っておいてくれんかの」
「あ、ああ」
子供たちを引き渡した後で、俺は彼らに声を掛ける。さすがに、あの環境を放置するのは気が咎める。
「なあ、あんなところで暮らすくらいなら、みんなでケースマイアンに来ないか?」
「え?」
「慣れるまで苦労はするかもしれんけど、住むところと食う物くらいは不自由させないぞ。迎えが必要なら乗り物を出すし、もちろん皇国の連中に邪魔なんかさせない。どうだ?」
「……ケース、マイアン」
自警団員は仲間同士で目配せしながら恥ずかしそうに項垂れる。なんだ、そのモジモジした反応は。そんなんマッチョな兄さんたちがやってもピクリともしねーぞ。
「……あんたたち、本当に亜人の国を、奪還したのか」
「どれだけ信用しておらんかと思えば、そこからか」
ミルリルが呆れ顔でいう。
「まあ、良いわ。こちらの用は夕刻までに片が付くはずじゃ。先の話を決めるのは、それからでも遅くはなかろう」
俺はノニャを乗せたワウを手招きして、改めて自警団員に引き合わせる。子供らには約束していた携行食や保存食の箱を大判のミネラルウォーターと一緒に持たせた。
「こやつは白雪狼のワウ。こっちの有翼族はノニャじゃ。すまんが、わらわたちが戻るまで預かってくれんか。できるだけ早く済ませるのでな」
「それは、構わないが、用って」
「先ほど、いうたであろう?」
「「「……‼︎」」」
「まさか本気で、皇帝を殺すつもりか⁉︎」
「つもりも何も、それは既定事項じゃ。それでは、頼むぞ?」
「ワゥ」
「無茶だ、たったふたりで何ができる⁉︎」
心配なんだか親切なんだか、クマ獣人の男は俺たちを止めようとして思い留まるのを繰り返している。
できることなら止めたいんだけど、ミルリルの闘気を思い出して、自分に阻止する力も資格もないと理解しているのだろう。ケースマイアンのクマ獣人ビオーみたいに真面目な苦労人タイプなのかも。
「……何でも、じゃな」
「え」
「魔王とふたりならば、わらわは、何でもできるのじゃ」
幸せそうに微笑むミルリルを見て、クマ獣人氏は毒気を抜かれた表情になる。
すみませんね、この子少しテンション上がってるみたいで。獣人青年団は揃って目が点になってるけど、いま説明している時間はないので先に行かせてもらいますわ。
俺はキャスパーを始動して、逸れていた脇道から街道に戻った。緩い坂を下って東側城門に向かう間、ミルリルは必要な装備を選んで身に付け銃座に上がる。ウキウキと物凄い量の武器弾薬を運ぶ様は、冬眠前のリスのようだ。
「ミルリル、用意は」
「万全じゃ」
城門までは三百メートルほど。相変らず、こちらに対して迎撃の用意はない。城門も閉まってはいるが、守りに着く衛兵が配置されているでもなく、バリケードが築かれているわけでもない。
たかが木製の門扉、キャスパーの鼻先で突き破ることは可能だろう。
「ふむ、手前を空けた配置に作為が感じられるの」
シュポンとM79のグレネードが打ち上げられる。一瞬の間を置いて激しい爆発が起き、城壁の一部を巻き込んで城門周辺がガラガラと崩落した。
「門に爆薬を仕込んだか。やるな皇国軍」
「何を嬉しそうにいうておるのじゃ」
そういうミルリルも声が弾んでいる。瓦礫を踏み砕いて乗り越え、キャスパーは皇都へと踏み込む。真っ直ぐな広い大通りが、皇宮に向かって伸びていた。道幅は十五メートルほど。通りにも左右の建物にも、ひと気はない。待ち構える兵も、進路を遮る遮蔽もなし。
「これは……」
「当然、罠じゃの」
手を掛け、時間とカネを掛け、恐らくは多くの兵や民の命も天秤に乗せた、巨大な罠だ。俺たちを迎えるためだけに作られた、皇帝最後の悪足掻き。
「皇帝にとっては、もう後がないのじゃ。騎兵に歩兵に攻撃魔導師、騎乗ゴーレムに青銅砲座、手元に残った兵力を総動員しておるのは間違いなかろう」
俺には感じられない気配を読んで、昂揚したミルリルが笑みを含んだ声で告げる。
「左右の通りに配置されて、わらわたちの通過を待ち構えておるはずじゃ」
「となると、潰して行くか突っ切るか、だな」
銃座のミルリルが高らかに笑う。
「当然、全速力で突撃じゃ! 魔王陛下の力を、暗愚な老害とその下僕どもに見せつけてくれようぞ!」
「了解、全速前進! 振り落とされんなよ!」
積雪路ばっかで限界性能を試す機会もなかったキャスパーを、俺は初めて全開まで回す。5.6リッターの直列六気筒ターボディーゼルエンジンが雄叫びを上げ、十トン超えの巨体をグングンと加速させて行く。いくら頑張ったところで重装甲車両、トップスピードは時速百キロに届かないのだが、この世界では想定外の高速移動体だ。側道に身構えて攻撃のときを待っている連中にとって、動く的などせいぜいが騎兵の全速力、時速四、五十キロ程度だろう。
「……って、うっはー⁉︎」
突進するキャスパーの進路上。時間差で打ち上げられた大量の矢と攻撃魔法と砲弾が左右から奥行きのある弧を描くのを見て、俺とミルリルは思わず歓声を上げた。
「やるな皇国軍。面で来たかー!?」
「なに、わらわたちの戦いはこれからじゃ!」
その意気は良いのですがミルリルさん、どこぞの打ち切り漫画みたいなセリフはやめてください。
俺は弾幕が薄い方向にハンドルを切って攻撃を躱す。激しく揺れ跳ね回る動きを物ともせず、銃座からは対空機銃のように銃弾が発射されている。こちらに着弾する軌道の砲弾を選んでいるのだろう。落下し始めた砲弾が空中で爆発し、炎と煙と鏃と瓦礫の残骸が降り注いでは車体を打つ。
「ミルリル!」
「大丈夫、問題ないぞ! そのまま突っ込むのじゃ!」
ミルリルの声に、俺はアクセルを踏み込む。チラッと見たメーターは時速八十キロ強、大径タイヤは泥濘を跳ね上げ皇宮目指して突き進む。この世界には、最高速度で突っ走る装甲車両を止められるほどの攻撃手段はない。あるはずがない。
「……いかん! ヨシュア、回避……‼︎」
愚かにも俺は、そう思っていたのだ。




