319:スラムとスラマー
「ぼ、ぼくらは」
震える声に振り返ると、不安そうな顔の子供たちを代表して、クマ獣人の子がオズオズと俺に声を掛けてきていた。
「……どう、すれば」
「このまま装甲兵員輸送車に乗ってれば安全だけど……そうだな、お前らの住んでたとこがどこか教えてくれれば先に届けることもできる」
「城壁の、向こう」
指したのは、北側の外れだ。ミルリルを見ると、首を傾げる。まず現地の安全を確保してからの方が良いというところか。
「少し待ってろ、そこがどうなってるか確認してくる」
「ワウ、少し子供らを守っていてくれるかの」
「ワゥ」
首に有翼族少女ノニャを乗せた白雪狼からは“任せろ”という感じのリアクションが返ってきたので、俺たちは稜線上にキャスパーを残して銃座に出る。
「すぐに戻るが、もし皇国軍の襲撃があっても絶対に外には出るな。この乗り物は、攻撃魔法や砲撃くらいじゃ壊れたりしないからな。このなかの方が安全だ。わかったな?」
「「「「……うん」」」」
半信半疑ではあるのだろうが、子供たちは顔を見合わせてから頷く。俺はミルリルをお姫様抱っこで、城壁上まで転移で飛ぶ。まずは敵情視察だ。もう俺たちが向かって来るのを見て対処を始めているのかと思いきや、城壁の上に兵士は見えない。少なくとも、俺たちが着地した城壁東側には誰もいない。砲座を設置してすらいない。いまから迎撃の準備を始めても、俺たちが到着する方が早い。
「……何をしているのじゃ、あやつらは」
「逃げる準備とか? でも逃げる先はもう、北側の港町しかないんじゃないのかな」
南西側には既に騎乗ゴーレム部隊が惨敗を喫したケースマイアンと、南部貴族領を中心に復興を始めた強国である王国。東側には皇国軍反乱部隊を殲滅した共和国。友好国は元々ないようだし、いまの皇国本隊が向かったところで勝てる相手はいない。
「籠城戦、かのう?」
「そうかもしれんけど、籠城ってのは“城壁から外に向けて”警戒線を敷くものなんじゃないのかね」
のじゃロリ先生は、そんなもんは知らん、とばかりに首を振る。ごもっともである。
「皇都全域を防衛するには、もう兵士の数が足らんのじゃろ」
「だとしたら、皇国の城……何て呼んでるのか知らないけど、皇帝がいる中心部に厚く守りを固めているってことになるか」
「皇宮やらいうておったはずじゃ。おそらく、あの珍妙な塔のある城じゃ」
ミルリルが指さす方角に、白い壁だけどデザインはどこか悪魔城っぽい感じの建物が見えていた。いまいる城壁から皇都の中心までは一キロ以上はありそうなので、要はそれだけ巨大な建物だということになる。
「途中に阻止線らしいものはある?」
「ないの。道は真っ直ぐ素通しじゃ。あやつら、兵が足らんというより頭が足らんのかもしれん」
辛辣である。まあ、兵が足らん時点で、取れる方策も割ける人手も足りなくなるのだろうけど。
「まあ、いいや。それは俺たちの問題だ」
「北側の貧民窟じゃな。家族は無事で居ると良いが」
そこで、ふと気づいて止まる。子供らの名前くらい聞いてくりゃ良かった。親を探すにも何ていえばいいかわからん。凡ミス、というか皇都侵攻ばかり考えて、子供らに意識が向いてなかった。
「ソックロン、マーイ、ケイテル、コッフ、カイニャ、ルー、イエナ、オークル、ピーエラ、ウトラ、チョシャと、ノニャじゃ」
「……すげえ」
ミルリルさんマジで尊敬する。考えを読まれたのはいつものことだけど、名前を聞き出すのもそれを覚えてるのもすごい。
「迷子を拾ったんじゃ、そのくらいは当たり前のことじゃ」
その当たり前ができない社会人三十四歳は軽く凹むのですが。うん、魔王はみんなに支えられて生きてます。
「いいから急ぐのじゃ」
城壁の北側まで転移で飛び、周囲を警戒しながら城壁外を見渡す。目当てのものは、すぐにわかった。というよりも……
「どこでも、こうなるのじゃな」
ミルリルの言葉の意味は俺にもすぐわかった。諸部族連合領タランタレンで見た亜人の集落も、こんなだった。ゴミと廃材を組み合わせた、吹けば飛ぶような小屋。皇都からの生活排水が流れ込んだドブ川。いまは冬だから臭気や汚泥の発酵もないが、その代わりに寒さに耐えかね必死に寄り集まって震えている感じが痛々しい。ミルリルに袖を引かれて、俺は貧民窟の端まで転移を掛ける。
「ああ、ちょっと訊きたいんじゃが、ここに子供らを連れて行かれた者はおらんか」
無関心な素振りを見せながら、何人かが武器を後ろ手に持つような気配があった。警戒されるのは当然だが、無意味な諍いは避けたい。
「俺たちが無事に連れ戻したので、親に引き渡したい」
「嘘をつけ」
怒りと憎しみと諦めと不信感が、ごた混ぜになって発酵したような視線。
「まあ、信じんのは勝手じゃ。いま連れてくるので、親を呼んでおいてくれんか。子供らの名は、クマ獣人のソックロンと、人狼のマーイ、ケイテル……」
十一人全員の名前と特徴を上げて、全員が無事に保護されていることを伝える。東側の丘に停めた乗り物のなかにいるのですぐに連れてくるといって、ひとまず車に戻る。
とりあえず、ひどい扱いを受けてはいるが緊急事態というわけではなさそうだ。子供らはいっぺん親元に返して、救援の方法は皇国を潰してから考えよう。
「待て」
自警団か愚連隊かハッキリしない感じの男たちが五人、俺たちの前を塞ぐ。三人が人狼で、あとはクマ獣人と虎獣人がひとりずつ。みな毛並みはゴワゴワでドブに染まったような鼠色。手にしている武器は形も長さも雑多な木の棒だ。
「子供らを救ったというのに、金目の物を置いていけとでもいうつもりかの」
「黙れ。お前ら、皇国軍の手先だろう」
「子供らを盾に女を奪ってまだ足りんとでもいうのか」
どうやら誤解があるようだが、時間が惜しい。殴り掛かってきたら対処しようと思うが、そういう感じではない。薄汚れているのは身形だけで、嫌な目をしてはいない。
「その女というのがマーイの姉とルーの叔母であれば、助けて子供らと一緒に居るぞ」
「本当か⁉︎」
「……お前ら、皇国軍、ではないのか?」
「悪いけど、俺たちは別口だ。そんなに警戒しなくても、子供らを返したらすぐ立ち去る。急ぎの用があるんでな」
「用?」
「皇帝を殺す」
凄んでいた男たちが、一瞬キョトンとした顔になる。言葉の意味が頭に入らないようだ。
「“ケースマイアンの三万人殺し”という話を聞いたことはないかの?」
「百の亜人が三万の王国軍を破ったって与太か」
「それじゃ。その与太の主役が、この男。殲滅の魔王、ターキフ・ヨシュアじゃ」
「……それを、信じろとでも」
「信じんでよい。ただ、邪魔だけはするでないぞ。魔王は、祟る。貴様らごときが下手に触れるとな」
ブワリと、目の前で膨れ上がった深紅の闘気に、屈強な獣人たちが怯む。
「灰も残らんぞ?」




