317:墜ちる少女
「前進、そのまま。街道の側溝があるので、そこで少し左じゃ」
「了解」
俺はミルリルのナビゲートを信じて装甲兵員輸送車を進ませる。横殴りの吹雪で、視界はほとんどない。駆け去ったワウを追いかけるとはいっても相手は白い毛で覆われ、吹雪のなかでは視認できない。ミルリルはワウの足跡を読み取っているようだが、俺の目には地面の凹凸もハッキリしない。
「……停止じゃ」
「敵?」
「ワウじゃの。何か警戒しておる」
ミルリルが指で示した先に、小さな吹き溜まりがある。こんもりと盛り上がった小山に見えていた白いものが伏せたワウと気付くまで数分掛かった。白雪狼は俺たちの方をチラリと振り返り、“邪魔しないで”的な顔をした。……気がする。
「ヨシュア、囮を務めさせて悪いがの。そこを回り込んで、“きゃすぱー”を前に出してもらえんか」
「了解」
ワウのいるところを迂回して、のじゃロリさんに指定された位置まで前進、敵の出方を待つ。囮というが、どうせ皇国軍の武器程度ではキャスパーの装甲に傷も付けられない。
ワウの伏せていた場所を考えると、いま俺たちのいる少し先に敵、もしくは警戒対象がいるはずなのだ。どんな相手かは不明。分厚い雪のカーテンに遮られて、数メートル先さえ見えない。
「何か来よるぞ」
暴風雪を掻き分けるようにして現れたのは、毛皮の上着を着込んだ蛮族風の集団だった。手に持っているのは刃渡り一メートルほどの剣鉈。獣人というわけではなさそうだが、装備も着衣も雰囲気も皇国軍とは毛色が違う。
「なんだ、あれ」
「ウワァ……アアゥ!」
「ヨシュア、全速後退じゃ!」
剣鉈を持った敵くらいで緊急回避する必要が理解できなかったが、とりあえずは指示通りに後退。十メートルほど下がったところで、手振りで指示されるがままに停止する。彼女はフロントガラスに顔をくっ付けるようにして上空を警戒している。
「ワゥウ、アゥ!」
「わからん! ……すまんヨシュア、一緒に来てくれんか」
ミルリルは運転席から俺を立たせて銃座から屋根の上に立たせる。
「ワウは何て?」
「前に待ち構えておったのは、囮にされた皇国の少数民族。その周囲に展開して嗾けているのが皇国軍。そいつらは、どうでも良いがの。いま上空を旋回しているのが、ノニャだそうじゃ」
「その子、飛べないんじゃ……おい待て、冗談だろ⁉︎」
「飛べないのではない、首輪で縛られて飛ばせてもらえんかっただけじゃ」
じゃあいまは、って話だ。通信手段もない有翼族の少女にできるのは偵察ではない。おそらく隷属の首輪を爆弾がわりにして、俺たち目掛けて突っ込んでくるよう命じられているのだ。
俺も上空を見渡すが、吹き荒れる雪で何にも見えん。立ってるだけで突風に煽られ、キャスパーの屋根から振り落とされそうになる。
「ヨシュア!」
ミルリルが上空を指差すが、俺には何もわからない。何か小さなものが急旋回する一瞬だけ、広げられた翼が見えた気はしたものの、すぐ風雪のなかに消えた。そのときの軌道から現れる先を読んで待ち受けるが、どこにも見当たらない。予想外の方向から現れて頭上を横切り、想定外の方向に飛び去る。
「あれ、退避機動? もしかして、撃ち墜とされることを警戒しているのか?」
「わらわたちの戦い方を見ておれば、そういう考え方にもなろう。ノニャを撃つ気はないがの」
「もちろんだ」
「頼むぞヨシュア、こちらの懐に入り込まれる前に、あの首輪を外すのじゃ!」
あの首輪、といわれても困る。降下速度が速過ぎて首輪どころか空飛ぶ少女そのものが視認できない。凄まじい速度と運動性、まるで生きたミサイルだ。飛び去る影を目掛けて手当たり次第に収納を掛けると、五、六回目くらいに手応えがある。
「取った!」
擦れ違いざま、有翼族の少女と目が合った気がした。位置を把握したのか、こちらの非武装を確認したのか。キュンと急角度で上昇してゆくノニャの軌道で、嫌な予感が確信に変わる。
高高度でバンクして、真直ぐ垂直に急降下するつもりなのだ。降ってくる少女の身体は、文字通りのスーサイドダイブだ。引き起こしのことなど、微塵も考えていない。
「ワウ、受け止めろ!」
「ワゥ!」
白雪狼の巨体が大きく跳躍して、堕ちてきた有翼族の少女をガップリと頭から咥える。さすがに加減はしてるのだろうが、喰われたようにしか見えん。
「「「「おおおぉ……」」」」
爆発を合図に突撃するのが常道だろうが、ワウの咆哮を聞き誤ったのかバラバラに向かってくる皇国軍兵士の雄叫びが聞こえてきた。雪の向こうで数は不明だが、声からして百ほどか。
「ふざけおって……あの、ド外道どもがァッ!」
憤怒の赤色光を撒き散らし、ミルリルが車内からPKMを引き摺り出す。銃座の上で仁王立ちになった彼女は、突進してくる皇国軍兵士たちを近付く間もなく小銃弾で薙ぎ払う。アサルトライフル弾仕様のRPKではなく小銃弾仕様のPKMを選んだ時点で、後方に控えた魔導師や重装兵まで生かしておかないという決意があるのだ。
雪の帳から姿を見せるとすぐ、血と肉片と臓腑を雪原にブチ撒けて転がり、皇国軍の突撃部隊は二分と掛からず全滅した。
「魔導師が治癒魔法を掛けたりは……?」
「できるものなら、やってみれば良いのじゃ」
キャスパーを前進させた俺は、ミルリルの言葉の意味を思い知る。魔導師らしき一団は、正確に前頭部を撃ち抜かれて、呻いていた。
「「「お、おぉ⁉︎ ぉお……⁉︎」」」
「なに、これ」
キャスパーを降りて敵陣を調べていた俺は、思わず唖然としてしまった。魔導師たちは揃って雪の上に膝をつき、脳を半分がた溢しながら、痛みか困惑か子供のような泣き顔でプルプルと首を振っている。
極寒で血流が抑えられているのもあるだろうが、開頭手術中に放置されたような姿は何でまだ生きてるんだと疑問に思うほどだ。そんな状態が長く続くはずもなく、彼らは小さく息を吐いて次々に倒れ、動かなくなった。
「残るは、お前じゃ」
敵陣の奥には、怯えて震える指揮官がひとり。ひとりだけ、外套の色が違う。略綬をぶら下げ腰に剣を佩いて、戦闘よりも後方で踏ん反り返っていることに慣れたようなデブだ。
「貴様だけは生かしておいた、その意味はわかるであろう?」
歩み寄る俺とミルリルを見て、デブの指揮官はキョロキョロと視線を動かす。ノニャの首輪を起爆させるはずの魔導師を探しているのだろう。
「なッ……なぜ、起爆せんのだ!」
「自分で確かめてみろよ」
指揮官の背後に、収納から首輪を出す。一瞬の間を置いて起こった爆発に後頭部を弾き飛ばされ、前に叩き付けられる。
「むああぁッ!」
ガバッと顔を上げ、指揮官は激しく首を振った。抵抗の意思を示す相手に、銃を向けようとして止める。ある程度の情報収集くらいはしたい。踏み込んで顎を蹴り上げようとした俺の足を潜るように、デブは土下座して泣き叫びながら許しを乞うた。
「こ、降伏する! な、なん、でも、話す! だから、もうやめてくれ!」
“もう”も何も、こいつには危害も攻撃も加えていない。ミルリルと俺は顔を見合わせて首を振った。
「皇国軍の指揮官は、無能の恥知らずばかりが就くのが慣習なのかの?」
「まともに戦えた相手は、ケースマイアンに侵攻してきた騎乗ゴーレム部隊の指揮官だけだな」
げポプという音に視線を戻すと、デブは失禁しながら泡を吹いて気絶していた。




