312:贄の子たち
しばらく走ると日が暮れてきたので、早めに地形を把握して夕飯の準備に入る。視界を確保するため少し高くなった丘の、森に入ったところにある大きな木の陰。そこに焚き火を着け、串に刺した鹿肉を焼く。夜営は、もうちょっと奥まった場所で装甲兵員輸送車を出すつもりだ。
「おお、良い匂いじゃのう」
「ガーリックパウダーと胡椒があったんでね。後で平焼きパンを出すよ」
鍋でお湯を沸かして、根菜と一緒に骨周りの肉を煮込む。味付けはこちらも、塩胡椒とガーリックパウダー。肉は骨の近くが一番美味いらしいしな。ちなみに仔鹿の解体は、ミルリルが手早く行ってくれた。
「ミルリル、鹿を捌くの上手いんだな。前に海賊砦で兎を解体したときは大変だったけど」
「あれは子供らに経験させるためだったからのう。手を出さんようにしておったのじゃ」
「なるほど。……それはともかく、なんぼなんでも多くないか?」
デカい塊肉の串焼きが、焚き火の周りにズラッと三十以上。これ、二十人分くらいあるんだけど。
「なに、すぐに足りなくなるはずじゃ」
「……ッ!」
気配に気付いて銃を抜きかけた俺を、ミルリルが身振りで止める。森の奥に光る眼は二十以上。必死に押し殺した息遣いが聞こえてくる。何か強い感情が伝わってくるが、それが何なのか俺にはわからない。
「おぬしらも、鹿肉を食わんか」
明るい声で、ミルリルが彼らに声を掛ける。柔らかな口調から、それが敵ではないことがわかった。おそらく、大人でもない。
カショリと、硬く締まった雪を踏む音。無防備で迷いがあり、軽い。
「……子供か」
「近付いて来る前に首輪を外してくれんか。嫌な予感がするんじゃ」
「おい、まさか」
視界に入ってすぐ、見える限りの首輪を収納するが、その直後に子供たちは泣きながら突進してきた。
「「「ああああァーッ!」」」
「ミル!」
「大丈夫じゃ!」
十数名の子供たちをしっかりと受け止めて、ミルリルは吠える。
「よーしよし、もう大丈夫じゃ、おぬしらも、おぬしらの家族も、ケースマイアンの魔王がもらい受けたぞ! 絶対に見放したりせん! 危害を加える者があれば、蹂躙の魔王と、その妻が容赦せん!」
子供たちは、みな戸惑いながら目を見合わせる。どうして何も起こらないのかという顔で自分たちの首を撫で回す。
……最悪だ。まったく、最低で、クソ以下のやり方だ。
「あの皇国軍、この子たちに自爆攻撃させたのか!?」
「そんなところかの。戦果を確認しようと、その馬鹿どもがアホ面を揃えておるわ」
ミルリルは片手で子供たちを慰め、片手で死を振り撒く。彼女のUZIが鳴るたびに、茂みの奥で魔力光が散って何か大きなものが崩れ落ちる。その数、四体。残ったひとりが悲鳴を上げながら逃げてゆく。森から飛び出したそれは皇国軍の軍服を着た兵士だとわかった。走り去る黒衣の背中に、怒りの弾丸が叩き込まれた。
「待っておれ、ジジイ! 貴様の命も明日が最後じゃ!」
怒号とともに発射された弾丸が、背後の木陰に隠れていたカメラ役の屍肉質ゴーレムを撃ち倒した。頭部に埋め込まれた魔石が砕けて青白い魔力光を放つ。
ふっと短く息を吐くと、ミルリルはUZIを背中に回して両手で子供たちを抱き寄せる。
「さあ、もう大丈夫じゃ。おぬしら、腹は減ってないかの。肉もスープも食べ頃じゃ。パンもある。水も茶もある。飯の後には甘いものも出してやろう」
優しくいい聞かせる声に、恐慌状態だった子供たちは次第に落ち着きを取り戻す。それでも自分たちが無事に帰れるとは思っていないのだろう。俺の方に顔を向ける者はすぐに目を逸らし助けを求めるようにミルリルへと縋り付く。
ああ、君たち。それはわたしの宝物なのですが。あんま触るなよ、減るから。
十一人いた子供たちのうち、八人が獣人。ふたりがエルフで、ひとりがドワーフ。要するに、皇国では人権のない亜人を捨て駒に使ったのだろう。胸糞悪いが、そもそも人間でも捨て駒やらゾンビやら屍肉質ゴーレムやらにされているのだから、ある意味で平等といえなくもない。
みんな痩せ細って目だけがギラギラしている感じは、海賊砦で見たソルベシアの褐色エルフの子供たちと同じだ。おそらく年齢も、そう変わらんだろう。エルフの子も耳はまだ短く、俺は本人たちにいわれるまで人間と見分けが付かなかった。
「ほれ、肉はもう焼けておる。早よう食わんと焦げるぞ?」
「スープが欲しい子は器を取ってくれ。パンと匙は、その箱の上にある」
手に取ったパンをこっそり懐に隠そうとした人狼の男の子が、俺と目が合うとビクッと身を強張らせた。
「取るのは構わないし、足りなければもっと出す。隠さなくてもいいから、好きなだけ食って……」
そこで、理由に気付いた。そうだよな。こんなにガリガリなのに、死ぬ覚悟で向かってきたんだもの。
「誰のために持って帰るんじゃ?」
ミルリルが優しく尋ねると、涙を堪えるように俯きながら人狼の子はモソモソと囁いた。
「……妹に。……ずっと、お腹、減ったって」
「おお、おぬしは良い兄じゃの。妹への土産は、別に用意してやるのでな。まずは自分が食うのじゃ。おぬしらの家族にも、必ず持たせてやろう」
「「「……ホントに?」」」
俺は携行食の段ボール箱をいくつか出して、中身を見せてやる。
「ああ、ほら。明日、住んでるところに着いたら、これを配るからな。こっちのは軽いし、丈夫な袋に入ってるから、すぐ食べなくても腐らない。でも、焼いた肉やパンは、いま食わないと美味くないだろ?」
子供たちの不信感と警戒感を解きほぐす。
「さあ、好きなだけ食うが良い。わらわたちも、同じ物をもらうでな。ほれ、明日は長旅になりそうじゃからのう。腹ごしらえもせんでは倒れてしまうぞ?」
おずおずと肉やパンに口を付けた子供たちは、たちまちガツガツと詰め込み始める。泣きながら肉を咬んでいるクマ獣人の子は、美味い美味いと呪文のように呟き続ける。
「……ころす」
嗚咽とともに咀嚼する子供らを慈しみに満ちた聖母のような顔で見渡しながら、ミルリルの口からは本音がボソッと漏れた。俺は子供のことになると堪え性がなくなるとかいわれたけど。結局は、あれね。
「似たもの夫婦じゃのう」
「そういうことなんだろうね」
食事を終えると、森の奥にキャスパーを出して後部コンパートメントに毛布を敷く。明日は皇都に向かうと告げて、子供たちを毛布と寝袋に包まらせる。不安そうにキョロキョロする子には、装甲車のなかは絶対に大丈夫だ、城より頑丈だと鉄の装甲を叩きながら何度も教えた。
急に食べ過ぎてお腹が痛くなったりすることもなく、チビッ子たちは幸せそうな顔で眠りに就いた。
「ミルリル、あの子たちは皇都から来たのか?」
ちなみに俺も尋ねてはみたのだが、警戒心と緊張と食い物への興味で、話はまるで要領を得なかった。その子らの話を繋ぎ合わせて判断するには、俺の能力では足りない。
「うむ。皇都の城壁外に、亜人ばかりが暮らす貧民窟があるそうじゃ。そこで、兵隊どもに攫われたらしいの」
「俺たちのところに突撃しろって?」
「そうじゃ。首輪を着けられて、魔王を殺さねば家族が死ぬとな。死んだ後で、家族に金貨を渡すといっておったそうじゃがの。……捨て金を撒くような連中が、こんな手を使うわけもなかろう」
怒りを込めた顔で、ミルリルは息を吐く。前にいた世界でも、似たような話はある。それでも子供を使うのは外道だって認識くらいはあったはずだけど。
「良かったな、ミルリル」
「ぬ!?」
キッと鋭い目で振り返った彼女を真正面から見つめて、俺は笑う。
「今度は、迷わない。絶対に、向かって来る敵を、最後まで殺し尽くす。皇帝も、兵士も、あいつらに与する者たちを、みんな」
殺意は、憎しみの果てにあるんだと思ってた。迷いも躊躇いもない純粋な殺意は、暴力や苛立ちの延長線上に生まれるものなんだと考えてた。でも、たぶん違う。
俺がいま抱いているものは、皇帝に対する親近感だ。怒るほど、憎むほどに、まだ見ぬ老人を近くに感じている。その眼を見るのが楽しみで仕方がない。末期の息吹を聞くときが待ち遠しくて堪らない。明日、俺は皇帝を殺す。どんなに困難でも、どこまで追い詰めても。
そして俺は、幸せな眠りに就く。翌日に迫った、血の宴を夢見ながら。




