311:先触れ
簡易舗装のフラットな道路から少し入った森の外れ。倒れていたのは、ミルリルさんのいう通り仔鹿である。目と首を撃ち抜かれて、血を流している。
すぐ食べるんだとしたら、どうすんだこれ。こういうの皮剥ぐ前に血抜きとかするんだっけ?
「ヨシュア、監視されておる」
仔鹿の前で屈み込んで、ミルリルさんが小さく囁いた。もしかして、そのためにわざわざ鹿を撃ったとか?
「いや。無論こやつは、ちゃんと食うつもりじゃ」
ミルリルさんは小刀を抜くと手慣れた様子で鹿の頸動脈に切れ目を入れ、手早く枝に縛り付ける。
「この先四半哩ほどのところに、気配を消した密偵のような輩がおる。その辺りに雪を掘り返した跡が残っておったので、道に罠があると見て良かろう」
「どうする?」
ウラルを指して、収納するか尋ねる。
「いまは、このままじゃ。できれば殺さず、生け捕りにして情報を得たい。合図をしたら、うらるを置いたまま転移で距離を詰めてくれんか。この道の先にある倒木の陰じゃ」
「了解」
血抜きの済んだ仔鹿を抱えて、俺たちはバイクのところに戻る。
「うむ、景色の良いところでばーべきゅー、じゃな!」
彼女は明るい声でいいながらハンドタオルで血の跡を拭うと、そのまま鹿の首に巻いてサイドカーに積んだ。目線はこちらに向いているが、気配を読むためか瞳はボンヤリした表情になっていた。ミルリルは既に臨戦態勢にある。俺はバイクのフロントシートに座り、ミルリルは後部座席に乗る。
「速度は、さっきと同じくらいで良い。おそらく罠を爆発させる気であろう。手前で停止して転移じゃ」
「了解、タイミングを頼む」
俺はウラルを発進させ、四百メートル先にあるトラップまでチキンレースのように加速させてゆく。
「阿呆が、わかりやすく身構えよったぞ」
俺には、全然見えん。残り二百メートル。指定された辺りに、雪を均した跡が見えた。よくわかったな、こんなの。
「いまじゃ」
ウラルのブレーキを掛けると車体が滑って路肩に外れた。首筋にミルリルの手が掛かったのを確認して転移で倒木の陰まで飛ぶ。目を見開いて固まる小柄な男の姿があった。その手には魔術短杖。攻撃魔法を使うべきか爆発の信号を発するべきか物理的に殴りかかるべきか迷ったような間が男の命運を分けた。
「げぅッ」
深々と突き刺さった会心の“のじゃロリフック”で男は土下座するように崩れ落ちた。
「皇国軍、ではなさそうじゃの。皇帝の影か」
「特殊部隊? ええと……専属監視者みたいな?」
「そうだと思うが、詳しい話は本人に聞けば良かろう」
倒木に縛り上げられた男は、すぐに目を覚ます。手足も身体も口も拘束されたことに気づいて悔しそうな顔をするものの、すぐに表情を消し身構えた。
「質問は、ひとつじゃ。首を縦に振るか横に振るかで良い。どちらにも従わんのであれば、それはそれで良い」
「……むっ、ぐ」
「ああ、首輪は外したのでな。できるかどうかは知らんが、自爆覚悟の決意は無駄じゃ」
「!」
信じられんだろうし、そもそも自分の首は見えんだろうから、俺は外した首輪を上空遙か彼方に出現させた。仰向けに縛られた男からすると、視界の先に爆発する首輪が見えたことだろう。細かい破片がバラバラと落ちてくる。
「あれが合図で皇国軍の増援が来るのであれば、それはそれで良い。どの道、わらわたちは皇都に踏み込んで皇帝を殺す気でおるからのう」
「……」
「さて、質問じゃ。おぬしら皇国の雑魚どもは、あの老害に、どこまで付き合うつもりじゃ?」
ビクリと、男の身体が震えた。
「なるほど。あの能無しのジジイは、これを聞いておるのじゃな」
目が泳ぐ。肯定でも否定でもないが激しい動揺だけは伝わってくる。
「……ふむ。もしや皇帝だけではなく、広く皇都に布告でもしておるのか。魔王夫妻を血祭りに上げる様を臣民に伝えるとでも抜かしよったか」
男は小さく首を振るものの、あまり意味はない。
「皇帝には、もう殺しに行くと宣言しておる。何をどうしようと結果は変わらぬ。だから正直にいえば、おぬしら下々の連中がどうしようと、わらわたちはさして気にもせんのじゃ。立ち塞がれば殺す。隠れておるのならば探しはせんし、逃げるのならば追わぬ」
「……」
「魔王との美しき旅路の終わりは、遅いほど良い。そう思ってはおるがの。かというて結果は変わらんのじゃ。ヨシュア、手を振ってやれ」
「ん?」
「リンコの“どろ〜ん”に比べれば随分と無様なもんじゃのう」
屍肉質ゴーレムの親戚、といったところか。頭に魔石を埋め込まれた人形のような物体が森の陰から姿を現していた。ボディに使われているのは、おそらくゴブリンだ。歪な手足で、足を引き摺るように森の奥へと消える。
「用済みじゃ。どこへなりと消えよ」
男を縛っていたロープを解いて、ミルリルは背を向ける。俺たちは、道の脇に突っ込んだままのウラルに向かって歩き出す。
「阿呆の考えることなど、ハナからお見通しじゃ」
振り返りざまUZIを発射し、銃弾は魔術短杖を構えた男の頭を砕いた。崩れ落ちる男が最期に放ったであろう信号で、路面が爆発した。
「……そうなることもな」
バイクに被害はない。俺たちもかすり傷ひとつ負っていない。それでも、やるせない苛立ちが残った。
「結局は、皇帝を殺すまで、終わらんのじゃな」
「そうね。長引かせたところで良いことはなさそうだ。早く片付けた方が良いのかもしれん」




