310:ふたりの旅路
城砦の寒々しい寝台で一泊して、翌朝。
聖女も使徒も子エルフも皇国軍の死体の山も、後のことは何もかもエクラさんにお任せして俺とミルリルは旅に出た。今度は、初めてのガチなカチコミだ。ついでとか結果的にとか誰かのサポートとかなし崩しとかじゃなく。純粋に、単純に、自分たちの敵を殺しに行く。もう迷うこともない。宣戦布告も済んでて話も通っててリコンファームも不要。無粋な出迎えくらいはあるかもしれないけど。というか、もう散々あったけど。
「ミル」
「異常なし、そのまま前進じゃ」
道中は森のなかや狭い山道を抜けるので、足はとっておきの虎の子ウラル。トラックではなくサイドカー付きバイクの方だ。もちろん不便なんだけど。走破性も全輪駆動車ほどじゃないし。寒いし。でも、これは“ふたりの乗り物”だ。サイモンに装備と弾薬の追加を頼もうと思って、やめた。このまま、あるもので。ありのままの自分で、殺しに行こう。なんとなく、そう思った。それは例えば、晴れた休日の昼下がりにふらりと出かける旅行のように。いや、自分でも意味わからんが。
ところどころ雪が吹き溜まった森のなかを走り抜けながら、俺は側車で楽し気にUZIを抱えるミルリルを見た。
「楽しいのう、ヨシュア?」
「うん。なんでかな、不思議なくらいにワクワクする」
「ふたり一緒だからじゃの♪」
まあ、たしかにそれもある。でもそれ以上に、これは一種の逃避行なんじゃないかと思うのだ。何からの逃避かといえば、たぶん現実からだ。
良いものも悪いものも好きなものも嫌いなものも、いままで積み上げてきた色々なものをみーんな放り出して、当てもなく目的もなく計画もなしに出かけるのって、すごく“自由”な気がする。ゴールだけ決めてオープンチケット取ってふらりと旅立った学生時代の海外旅行みたいな。ほんの数回でしかなかったその無計画な旅行を、社畜時代には何度も何度も思い出したんだっけな。もう一回やりたいなとか、楽しかったなとかじゃない。どこか他人事のような、古い映画の一シーンみたいに繰り返し思い出されて。それは、かつて自由だった魂の、原風景だったんだろうと、思う。
泥濘でスリップし始めたので速度を落とし、ライン取りを考えて進む。二輪駆動でタイヤのグリップは良いんだけど俺の運転が上手じゃないこともありバランスを崩しやすいのだ。
しばらく進むと、視界が開けてきた。とはいっても、深い森の真っただ中なので、外が見えるというわけではない。
「ほぉ……これは綺麗じゃの」
薄暗い森の奥、木漏れ日がいくつも光の帯になって俺たちが進む小道を照らす。静まり返って動く者もない絵画のような風景のなかを進んでゆくと、この世界に自分たちしかいないような感覚になってく。こういう青臭い感傷的な感じとか、ホント久しぶり。
「つかまってな、少し揺れるぞ」
森の深い場所まで進むと、雪がほとんどなくなる代わりに路面が荒れ始める。ウラルの尻を振り土や泥水を跳ね飛ばしながら、俺は慎重にスロットルを開く。地面に埋まった根や窪みで車体が跳ね上げられるたびに、ミルリルはキャッキャと嬌声を上げる。あまり寒さは感じない。ずっと続く“何かに守られている感覚”は、ルケモン翁の奇跡による加護なのかもしれん。
「この森は、エルフの手が入っとるようじゃの。道沿いに結界が張られておる」
ミルリルは小道の外を指して説明してくれるが、俺には見てもわからん。どうやら通行する旅人を野獣や魔獣から守るための結界らしい。道理で、静かなわけだ。
「それじゃ、この辺りに危険な魔獣とかはいない?」
「古い簡易結界じゃ。そこまで万能ではないのう。現に、冬眠しとるクマが何頭か居るようじゃ」
ミルリルさんの見立てでは、岩に擬態する大岩熊か、暗黒の森にも棲んでる凶暴で巨大な灰色大熊らしい。たしか冬眠中のクマって半覚醒状態だったはず。できるだけ刺激しないように進む。
走り続けること二時間ほど。小高い山の上に出た俺たちは、ウラルを停車させて休憩に入る。乾いた草の上にテーブル代わりの段ボールを置いて、香草茶とお茶菓子を並べる。
エンジンを切ると、急に音が消えて軽い耳鳴りが残った。鼻をつまんだり耳を引っ張ったりしている俺を見て、ミルリルさんが笑う。
「金床耳じゃな。鍛冶師でも新人の頃には耳に残った音に悩まされるんじゃ」
彼女が俺の耳に手を当てると、すぐに治してくれた。
「おお、ありがとう。これ、治癒魔法?」
「いや、魔法とも呼べん簡易な魔力循環じゃ。たいがいの鍛冶師ならば身に着けておる」
耳が正常に戻ると、森の静けさが実感されるようになった。ときおり風が木の葉を揺らし、遠くで小鳥のさえずりが聞こえる。近くの葉陰でカサカサいってるのは、なにかリスくらいの小動物だろう。
汗ばんだ身体に当たる風が心地よい。喉が渇いていたのか、お茶が美味い。
「こういうのは、ホッとするのう」
樹幹の隙間から見える空は晴れ渡り、雲ひとつない。ドローンも、もう俺たちの上空にはいない。
キャスマイアでの顛末を、昨夜リンコから聞いた。皇国軍の海戦力全てを投入した海上侵攻作戦は、呆気なく海の藻屑と消えた。勝てるはずがないことは、おそらく皇国海軍の連中も理解していたように思う。キャスマイアが青銅砲の射程に入る頃には、共和国艦艇から完全に包囲されていたのだ。魔導師部隊の攻撃魔法で砲台ごと爆破炎上させられ、漂流しかけたところを投石砲の一斉砲撃を受けて沈んだ。冬の海に落ちた皇国軍水兵に生き残りはいない。数倍の戦力で対峙した共和国軍に被害はなかったが、それだけの兵と兵器を引き付けたことで皇国海軍の目的は果たされたのだろう。
本命であった陸軍部隊の壊滅は、水兵たちの責任ではない。
共和国で西部山脈と呼ばれる――当然ながら皇国では別の呼び方をしているのだろう――山岳地帯を抜けると、しばらく平坦な道が続く。ケースマイアンから皇都への偵察行で見た、簡易舗装されたフラットな路面だ。たしか、敵の隠れられる場所をなくし、侵攻を阻むためのものとか聞いた気がする。皇国は臼砲や攻撃魔法を得意としているので、そのための射界を確保するのだ。どこまで有効なのかは知らんが。
「ここ、もう皇国っぽいね。通ってきた道のどこかで国境を越えたはずだけど」
「関所や標識はなかったのう」
「国境線の選定で争っているなら、兵士くらいはおくもんじゃないのかね」
いまのところ、待ち受ける兵士の姿はない。もう皇都を守る以外の戦力は残っていないのかもしれない。
「ああ、その先を左じゃ」
三叉路が見えてくると、ミルリルが確信に満ちた声でいった。
「道知ってるの?」
「知るわけなかろう。皇国なぞ、おぬしと行ったのが最初で最後じゃ」
ということは、よくわからんがドワーフの勘か。俺は、のじゃナビの指示に従ってハンドルを切る。どのみち他に頼るべきナビゲーションはない。リンコや有翼族のサポートは断った。可能な限り支援は受けないようにしようと思ったのだ。特に意味はない。そうする理由も自覚してはいない。なんとなく、でしかないことも含めてミルリルには伝わっている……のは、いつものことだけど。その上で、のじゃロリ先生どうもメッチャ楽しんでいるようなのですが、なぜ?
「これこそ、わらわが、ずっと夢見ておった旅じゃ」
お椀型ヘルメットのゴーグルを外すと、満面の笑みでこちらを見る。道中の泥跳ねで逆パンダみたいになってますが、そこがまた可愛い。
「ミルリルさん、バックパッカー体質なんですかね」
「ばっくぱっかー、やらいうのは知らんが、たぶんそれじゃな。なーんも持たずなーんも考えずに、風の吹くまま気の向くままに遥か遠くへ向かい、見たこともない風景を探すのじゃ」
「まさにそれですな、バックパッカー気質。俺も昔、同じこと思ってたけど。楽しいよな、この感じ」
不安と期待と喪失感と疎外感が、甘酸っぱい孤独感と混じり合った感じ。このまま永遠に続けばいい。
「なんなら皇帝もどうでもよい」
やっぱり、ミルリルさんと俺シンクロしてるわ。
「そうな」
そんなわけには、いかんけど。殺すさ。あいつは俺たちが抱えた最大で最低の、負債だから。
「ヨシュア、腹が減ったのう」
「ああ、もうすぐ昼だからな。どっかで食事の準備でも……」
ミルリルさん、どこ見てはるのん? なんでUZI構えてるんですか、それもしかして。
「届くといいが、少し足りんかもしれん……よし!」
よし、ていわれても困りますが。なんやら数百メートル先で森が揺れたような気はしましたがね。俺の視力ではなんも見えん。
「敵?」
「鹿じゃ。ノルダナンで仕留めた防盾角鹿ほどではないが、美味そうな小鹿だったのでな」
ああ、マントレディア、だっけ。トカレフ弾を豆鉄砲のように弾いた化け物シカ。そんなもんいたら逃げるけど、あれたしか共和国にしか棲息してないってミルリルさんがいうてた気がする。
「そこを少し左じゃ。そこの、倒木の奥じゃな」
雪を被ったフラットな路面をウラルで走りつつ、射止めた獲物を確認に行く。昼飯は、焼き肉かな。




