308:ストレイ・ディクテイター
なんか来るといわれたところで、それが友好的な存在であるはずもなく。数十メートル先にある傾斜の向こうで姿は見えないが、グチャゴリボリと湿った音が上がっている時点でお察しである。ボソボソいう響きは無数の手足が雪原を踏みしめる音。その割に声も息遣いも衣擦れも武器が立てる金属音も聞こえない。
「これは、やっぱ……」
「あれじゃな」
ベソリと、巨大な熊手のようなものが傾斜の端に現れる。ゆっくりと、伸び上がるようにその姿を露わにする。臼砲を背中から生やした、電車ほどもあるムカデのような代物がワサワサと脚を蠢かしながらこちらに向かってくる。その素材になっているのは皇国軍の兵士と馬だ。融合や癒着に相性でもあるのか、人馬兵は混じっていない。
「うぇええ……何だよもう趣味悪ぃ、っていうかアタマおかしいだろ皇帝⁉︎」
……あれも屍肉質ゴーレムの一種か。皇国主催の外道魔法実験成果展示会みたいなのに再三巻き込まれていい加減ウンザリしてはいるものの、その反面で少し気は楽になった。
「生身の人間を殺すよりは楽かの?」
「そりゃそうだ。人殺しが好きなわけじゃない。死体を見るのも触れるのも嫌だ。ハイダル王子のとこに持ち込む以外で使い道があるわけでもないしな」
「「「……もぅおオォオオ」」」
ようやく聞こえてきたのは、ウシガエルの鳴き声のような湿った響き。大小様々な音階だが、意思は感じられない。動きも鈍く、知能も低そうだ。そもそも、そんなものがあるのかさえ疑問だが。
「百を超える兵と馬を混ぜ倒した結果があれとは、話にならんの。余計なことをせず、そのまま配置した方が遥かに有効な戦力になったであろうに」
「それだよ。前から違和感があったんだ」
皇国は戦略も戦術も戦備も、ひどく理性的で先進的な部分と愚鈍で錯乱的な部分とが極端すぎる。その原因が派閥や職能や国内の地域間もしくは人種間の格差や不協和音なのであれば、わかりやすいんだけど。皇国に限って、そんなことはない。
「前に、皇国軍は軍権が皇帝に一本化してるから強固で対応が迅速、みたいな話を聞いた気がするんだけどさ」
「うむ。そう聞いておるがの」
「敗色濃厚になって、それが裏目に出てるんじゃないのかな。政治的・軍事的な判断に必要な情報収集や事前交渉や実力行使に当たる実行部隊が機能していない。間違った情報で動かされて支障が出ても確認が取れないから修正されない。上層部が間違った判断をしても止める者がいない。それどころか、皇国の場合は現場が勝手な判断で独断専行してるだろ」
「あれもそうかの?」
ミルリルは、来た道に死体となって転がっていた、“無駄にハイコストな烏合の衆”を指す。籠城側を大きく上回る兵力で城砦に攻め込んできたは良いが、動きもバラバラで布陣も杓子定規、おまけに指揮系統はこちらの動きに対応する様子もなく、そもそも上級指揮官らしき存在が見当たらない。こちらの銃砲火器や装甲兵員輸送車について不慣れだった可能性を考慮したにせよ、だ。それぞれ勝手に事前の指示通り攻め込んできて、呆気なく無駄死にしたように見える。
「もしかしたら、まだ自軍部隊が殲滅された情報が決定権者にまで上がってないんじゃないか? 最悪、上がっているけど偽情報か現場の叛乱だと思われて粛正されたか」
後部座席でヒエルマーが溜め息を吐く。
「ありえそうな話だけどな、魔王。何でそこまで見てきたように断言できるんだ」
「俺のいたところで、実際に起きたことだからさ。半世紀以上も前、世界を支配しかけた帝国でな。優秀な武器と兵士、規律と練度の高い部隊。忠誠心の高い直属部隊。カリスマ性に秀でた独裁者。それも、勝ってるうちは良いんだよ。でも道を誤り始めたら崩れ出すのも早い。権力の集中は腐敗も迷走も崩壊も集中しちゃうから代替えが利かないんだ」
全部自分で決定して、監視して管理して遂行して。部下も臣下も臣民も信用できないから、意思決定権は渡さず国ごと奈落の底へ破滅の道をひた走った。人的・物的資源の乏しさも理由のひとつではあったけどな。
きっと皇国もそうだ。皇帝はもう、おかしくなっているんだろう。目の前にいるこいつらだって、現場の判断で自ら死体の塊になるとは思えない。信用できない皇帝が、効率性も採算性も将来性も無視して盲目的に従うゾンビになることを命じたのだろう。でなければ、戦力の投入が場当たり的に過ぎる。
「鍛えた身体に立派な武器を持ってたって、頭がおかしくなったら戦いにならない」
哀れではあるが、理解はできる。心を通わせる者が身近にいなければ、自分もそうなるであろう可能性も含めてだ。
「なるほど、さすが魔王じゃ。それでか」
「え?」
「おぬし、冬の間だけケースマイアンを離れると急にいい出しよったのは、民に自立と自律を促すための目的があったのじゃな?」
「いや、ないよ」
「「えええええぇ⁉︎」」
なんでかミルリルとヒエルマーが揃って不満そうな声を上げる。
「そこは嘘でも“その通りだ”とかいうところであろうが⁉︎」
いや、知らんし。そもそもケースマイアンのみんなは、別に俺の“民”じゃねえだろよ。
「それは単に、ミルリルとふたりで楽しい冬休みを送りたかったからなんだけど」
「おぅふ」
「あと、海で新鮮な魚介類を食べたかった。なんかバタバタして、どれも中途半端にしか実現できてないけどな」
「……おぬしは、正直じゃの」
ミルリルは呆れ顔で首を振る。
「ちなみに、褒めてはおらん」
「うん。それは、わかります、さすがに」
その間にも屍肉質ゴーレム……というか死体でできたムカデ怪物はウゾウゾと斜面を這い上がってくるが、動きは鈍く知能もほぼ無いようなので脅威というよりも嫌悪しか感じられない。
「あれ、砲座も丸ごと取り込んでるみたいだから、グレネードか炎弾でも撃ち込んだら吹っ飛ばせるんじゃないかな」
いわれてヒエルマーが銃座に上がり、小さな炎の雨を降らせる。生身の兵士でも火傷させる程度の威力しかなさそうなその攻撃魔法が着弾と同時に火花を散らし、たちまち連鎖爆発でムカデの胴体を爆発炎上させた。
「呆気ないな」
子エルフは一撃で戦果を挙げながら、あんまり嬉しそうな感じでもなく銃座を降りる。屍肉質ゴーレムもどきは背中を反らせて苦しみ悶えるようにズルズルと斜面を滑り落ち、悪臭を放つ煙を上げながら転げ落ちて姿を消した。途中で誘爆でもしたのか、空中に黒っぽい肉片が飛び散るのが見えて、それきり周囲は静まり返る。城塞内の戦闘も一段落したのか、俺たちのいる城壁外に戦闘音は聞こえてこない。
「……ふむ。良い話を聞いたの」
「へ?」
さっきの話で、ポジティブな要素があったとは思えないんだけど。
「独裁者が孤立しているとなれば、話は簡単じゃ。皇帝を殺せば、皇国は終わる。残った烏合の衆など共和国の寡兵でもどうにかなるのじゃ」
「それは……まあ、そうだろうね」
「どの道あやつは殺さねばいかん相手じゃ。今度こそ順序は違えんであろう?」
「ああ、うん」
「ヒエルマー、喜ぶが良い。魔王陛下が胸糞悪い全てを、綺麗さっぱりと消し去ってくれるぞ!」
子エルフはひどく無表情な顔でミルリルを見て俺を見て、ムカデが消えた坂の向こうを見た後、また俺を見た。
「……わぁい」
すげえ棒読みだなオイ!




