307:ラン・オーバー・ラン
ああ、最悪だ。なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだ。大小さまざまな塊がキャスパーの大径タイヤでゴリゴリと踏み躙られ潰れてゆく感触をハンドルとシート越しに味わいながら俺は無心に車を走らせる。ときおり銃座からPKM軽機関銃やM79グレネードランチャー、あるいはUZI短機関銃の発射音が鳴り響くが、雑兵の始末は基本的にはこちらの担当だ。俺がそう決めた。
「脅威排除じゃ」
当然ミルリルだって、好きこのんで殺しているわけじゃない。それでもやらなければ自分たちに、もしくは自分たちが守りたいと思っているひとたちに返ってくるのだから、逃げてはいけないのだ。
「……でも、なあ……」
俺は誰にも聞こえない声でボソッと呟く。皇国軍の侵攻部隊は逃げも隠れもせず雪原に布陣して装甲兵員輸送車を待ち構え、攻撃してくる。当然ながら刀槍やら弓で歯が立つわけもなく殲滅されるのだが、あの馬鹿ども、それでも逃げずに立ち塞がるのだ。キャスパーの、進路上に。車幅が二メートル半、高さが三メートル近くある十トン越えの巨大な鉄の塊が唸りを上げて向かって来るんだから、生身の人間が敵うはずないってことくらい誰でも理解できるだろうに。仲間が踏み潰され部隊が壊滅して、どうしても敵わないと思い知ってなお、彼らが向かう先は近くの友軍部隊のところ。しかも雪原に踏み込まず轍の上を移動するから、俺たちは進路上のそいつらを射殺するか轢殺するかの二択しかない。キャスパーはスタックが怖いので雪原に入りたくないし、サッサと城塞を回り込んで西側の砲座を潰さなければいけないから徒歩の速度に合わせていられないのだ。エクラさんたちと別れて以降、皇国軍の砲声を聞いてはいないが、向こうがどうなっているのかわからない以上は急ぐしかない。
前方数百メートル先、北側砲兵陣地の生き残りらしい兵士の一団がフラフラと逃げてゆくのが見えた。
「……ああ、クソ」
せめて轢き殺されないところを逃げるくらいの頭はないのか。もう百人以上を轢いている。敵とはいえ気分は最低最悪だ。戦った結果として射殺するのはまだ受け入れられるのだが、これは気持ちがどんどん澱んでゆく。
東側を一掃した俺たちは、北側城門前を回って西側に回り込む。東側から北側にかけては軽い登り勾配だったが、今度は緩い下りになる。地図で見た外部城壁は一周で三キロ近いのだから、車でもひと苦労である。
「敵は……見当たらんのう」
イルム城塞を囲むように広がる森は、外部城壁から三百メートルほどのところまでは切り拓かれて平地になっていた。そこの雪原に点在するのは人馬の死体と砲座の残骸だけ。動く者は、もういない。まだ城内の戦闘は続いているようだが、音も金属音もまばらにしか聞こえてこない。まあ、エクラさんに頼んだからには少なくとも聖女ミユキくらいは無事に残っているだろう。
それにしても……。
「なんか、思ってたんと違うな」
「なにがじゃ」
敵が見当たらないので銃座から降りたミルリルが、助手席に腰を下ろす。
「イルム城塞は共和国の国境紛争で何度も皇国軍の襲撃を耐え抜いた、難攻不落の城塞だって聞いた。けどこれ、そんなに優秀な城塞って印象はないんだよね。むしろ……なんていうか、かなり雑?」
そんなに多くの兵を置ける感じでもないし、補給や自給自足に向いている風でもない。たかが二百の敗残兵が籠城するのにも物資に事欠き、防衛に右往左往する有様なのだ。現に不器用そうな不死兵に城壁をあっさり乗り越えられてしまっている。
後部コンパートメントで銃眼から攻撃魔法を放っていたヒエルマーも、もう用が済んだとばかりに運転席のところに歩いてきた。
「城塞としては、遺棄されて三十年近いからな。当時の補給線も切れているし、それを支えた衛星都市も寂れたり消えたりしてる。城塞自体も、野盗が入り込むのを防ぐために備蓄用の倉庫も潰して、井戸も埋めているはずだ。城壁も、何カ所か崩れてると聞いた」
堅牢な城砦だった頃の機能が残ってないのか。俺の微妙な印象が、それだけの問題によるものかはわからんけど。
「七十年前だったか、北部の港町を占領されたから、共和国中西部の国境線は防衛地点として、あまり意味がなくなったんだ」
侵略者側からすると攻め落としたいのは大都市だろうし、ふつう海を持った国で拓けているのは海沿いだ。大規模な侵攻を行うなら海から艦船で送り込んだ方が大量の兵と物資を運べる。
「でも、あれだな。海洋国なのに首都ハーグワイは内陸にあるのって、もしかして遷都した?」
「なんでわかった」
俺の疑問に、ヒエルマーが意外そうな声を出す。なんだよ、子エルフ俺のことアホだと思ってないか?
「わからんけど、俺が共和国を統治するなら、首都はキャスマイアに置く。いまの位置だと艦砲に晒されるから、首都機能自体は少し内陸にだな」
「キャスマイアは、前の首都だ。北部の港町を皇国に奪われてから、内陸部に移された」
キャスマイアが地方都市にしては色々と整ってる感じがしたのは、元・首都だった名残か。それにしても、内陸に異動するのは良いけど、二百哩、約三百二十キロは離れ過ぎじゃないか?
「遷都前、いまのハーグワイの位置には何があった?」
「北領の領府だったと聞いている」
「ほう? あそこは、中央領ではなかったのじゃな」
「百年ほど前まで、北領は政治も経済も軍事もかなり優秀だった。いまより領地も広くて、共和国の食料は半分以上が北領によるものだったらしい」
「どうして没落したんじゃ。中央に妬まれて力を削がれたか?」
「いや、西領が皇国と裏で繋がって武装盗賊団を送り込んだという噂だ」
「……度し難いのう。全く成長しておらん」
轍を辿ってノロノロと進んでいた俺たちは、静まり返った平地に出る。大きく拓けた五百メートル四方の雪原には、砲座もなく兵士の姿もない。侵攻してきた兵士の多くを倒したとはいっても、まだ数百は残っているはずなんだけど。
「皇国軍、おらんのう」
深い轍の跡が、何本か南に伸びていた。円形に近い城壁の西から南方向にかけて、時計でいうと七時から八時方向で大きく傾斜が付いているようだ。轍は、そちらに向かっている。
キャスパーを進めようとした俺に、ヒエルマーが緊迫した声を上げた。
「気を付けろ、魔王。なんか、来るぞ」




