303:神の下での平等
「「あ?」」
俺とミルリルは思わず不機嫌な声を漏らす。
“魔物とともに滅びよ”の方は、イラッとはするものの理解できなくはない。手駒が俺たちの手に落ちたなら見捨てるというだけの下衆な判断だろう。ただ、“悔い改める機は過ぎた”の方はわからん。
「そもそも聖女は悔い改めよと説いて回る“使徒”の元締めだったのではないのかの?」
「いえ、それは元衛兵の方々が、自主的に行われたことです」
ビューギーは聖女のような顔で穏やかな笑みを浮かべた。
「誰もが幸せに暮らせる社会を作りたいという、わたしの理想に賛同してくれたのでしょう。共和国に布教して理想郷を作る活動をするといわれていましたから」
自分の救済願望を自分で喰らった結果か、理想論で脳内お花畑な感じがどうにも痛々しい。ミルリルが聖女ミユキを見て、処置なしとばかりに首を振る。
「まあ、よいわ。彼の老害には、我が魔王陛下が格別の死を賜るのじゃ」
俺ですか。いいけどね。
「……では、わたしも」
聖女は俺の前で小首を傾げる。なにが“わたしも”じゃ、と怪訝に思った俺は、やがてそれが首を差し出しているポーズなのだと気付く。いや、わしらそんなデカい刃物持ってないから差し出されてもどうもできんわ。ミルリルの小刀でゴリゴリやるとかシャレにならんし。そもそもやる気もない。
「阿呆な真似はやめよ。おぬしを殺して、わらわたちに何の得があるんじゃ」
「わたしも皇帝陛下の僕で、叛乱軍の首謀者です」
「笑わすでないぞ。神輿に乗せられたお飾りであろうが。二百からの兵が詰めておる砦に襲撃を掛けて、出てきよったのは三十やそこらじゃ。おおかた、あれも」
迫りくる騎兵と兵員を載せた馬橇を指す。迎え撃つ者もなければ、迎え入れる者もない。砦のなかは、静まり返ったままだ。
「頸木から外れたおぬしを殺すか連れ戻すかという戦力であろう」
「皇帝陛下にとって、わたしには連れ戻すほどの価値はありません」
わからん。“聖女の使徒”は皇帝の命で動いていたのか、利用されただけなのか。可能性として考えられるのは、皇国軍が占領するまで城砦を確保しておくための囮とか? 何にしろミユキが捨て駒として配置され、用済みとして処分される運命なのは確かだ。
「勝手に召喚され振り回されて祭り上げられ、最後は切り捨てられて自死を遂げるか。そんな最期がおぬしの望みだったのか?」
聖女の目がわずかに泳ぐが、笑みは崩れない。
「……わたしの望みは、自由で平等で皆が幸せな世界です」
「おめでたいのう。そんなもん、お題目を唱えるだけで作れるわけがなかろうが。自らの意思で足掻き苦しみながら考え、仲間と力を合わせてひとつずつ糧を積む他にないのじゃ」
ヨシュアに頼り切りのわらわにいえた義理ではないがの、とミルリルは小さく呟いた。
エクラさんは、腕を組んで顎に手を当て、何か考えている風で聖女を見据えている。既に手も口も出す気はなくしたようだ。
「生かしておいていただけるのでしたら、失礼します」
転がっていた魔術短杖を拾って立ち去るミユキの背に、ミルリルは溜め息で声を掛ける。
「どうするというのじゃ」
「砦を守ります」
「おぬしは、この砦にも砦に逃げ込んだ敗残兵どもにも、義理も責任も縁もゆかりもないであろうが。守れんことも勝てぬことも、わかっておるはずじゃ」
それでも戦うのだろう。彼女は、きっと。
ずっと自分が、そうして欲しかったから。
彼女が待ち焦がれていた救済者に、望んでいた庇護者に、求めていた無私の守護者に、彼女自身がなろうとしている。かつて自分が放った助けを呼ぶ声に、彼女の心は縛られているのだ。ミーニャも罪なことをしたもんだ。
「このままでは無駄死にじゃ。それも、無能で他力本願な恥知らずの腰抜けどものためにのう」
「勝てるかどうかなんて、どうでもいいんです。彼らの価値も、何を考えているのかも、わたしには関係ありません。守りたいから、守るんです。わたしに、助けを求めているから。守ってあげなければいけないんです!」
聖女みたいに笑いながら、ボロボロと涙を零す。寒さか恐怖か、手足は震えている。彼女は心も身体も、特に強いわけではない。魔導師としての特殊能力があるわけでもなさそうだ。エクラさんとの戦闘を見る限り、雑兵に毛が生えた程度の能力しかない。武器は魔術短杖だけ。魔導防壁の掛かった甲冑も、俺が剥ぎ取ってしまった。
「魔王陛下、妃陛下」
エクラさんが、ヒョイと飛び上がって俺たちの間に立つ。
「ミューキ、外に出るのは少し待ってくれるかい。あの軍勢、ちょいとばかり嫌な感じがするんだよ」
「どうしたんじゃ、エクラ殿? あの程度の騎兵であれば、こちらで止めるがの」
「いや、馬橇の方だよ」
先行しているのは騎兵部隊。双眼鏡で見る限り、幌の掛かった橇の中身は確認できないが……あれは輜重部隊なんじゃないのか?
「皇国の魔導師は、人間の心や身体を弄り回すのが得意でね。ゴーレムを作ったのはその副産物さ」
馬橇が停められ、兵士たちがゾロゾロと降りてくる。
「昔っから研究を重ねてきた極秘事項が、“不死兵”っていう、死なない兵士なんだよ」
「……ああ、そうみたいですね」
俺は双眼鏡越しの視界に、思わず呻き声を上げる。ヒョコヒョコした動きは屍肉質ゴーレムと同じだ。むしろ、あの兵士の方がオリジナルか。
「ただ、あいつら死なないっていうよりも……」
うむ、と頷きながらミルリルが鼻で嗤った。
「……最初から、死んどるの」




