302:魔女と聖女
聖女の動きに反応したミルリルを、エクラさんは軽い手の動きで止める。聖女が向けた魔術短杖の軌道を逸らして眼前に迫ると、面頬のスリット越しに目を覗き込み、その先にいる皇帝に話しかける。
「人形遊びをする歳じゃないだろ、皇帝。ビューギーを離しな」
「わたしは、ミユキですと申し上げましたよ。魔女の小母さま?」
弾かれた魔術短杖が弧を描いて逆側から振り抜かれる。空を切った瞬間に閃光が走り衝撃波がエクラさんの身体を吹き飛ばした。
「エクッ……ら、さん?」
残像なんだか分身なんだか知らんけど、何事もなく腰に手を当てて聖女の背後に立っている魔女の姿があった。すかさず真後ろに振り返りもせず聖女の蹴りが放たれ、そのまま回転しながら身体を沈めてバックハンドブローが叩き込まれる。頭を下げて蹴りを躱したエクラさんは、指先で聖女の拳を止める。鈍い金属音が上がって初めて俺は聖女の拳が金属製籠手を装着した凶器だということを思い出す。その直後に追撃に振り下ろされた魔術短杖にしても、見るからに重く頑丈そうな金属製の鈍器だ。魔石か魔珠か先端部には赤黒い色の玉が嵌め込まれてはいるものの、それを固定する龍の爪に似た留め金は鋭く伸びてちょっとしたピッケルのようになった。あれは、魔道具か。
「なんだ、あれ」
風を切って一閃したその杖をエクラさんは手の甲で鬱陶しそうに弾く。何で甲高い金属音が上がったのかは知らん。魔女の肉体はそのままで兵器なのかもしれん。怒らせんとこ。
「あの御仁に関していえば、心配要らぬ。むしろ死なんようにせねばいかんのは、こちらじゃ」
うん、そうね。あれは無理。俺には目でも追えんし、頭でも理解しきれん。あんま近くにいると流れ魔法を喰らいかねん。
「騎兵どもはヒエルマーに仕留められたようじゃの」
「あ、忘れてた」
「向かってくる敵以外は手を出すなと伝えておいたからの。それで十分じゃ、あやつも敗残兵の十や二十に遅れを取ることはなかろう」
そんなもんですかね。まあ、キャスパーの車内にいる限り負傷するような攻撃を喰らうことはないだろう。城砦から見下ろした限り、平地に兵士の姿は見当たらない。ということは、だ。
「来よったぞ」
階下から上がってきた重装歩兵の集団が三十ほど。塔状大楯を抱えた前衛が十ほど。その後ろに大剣や大槌、長槍を持った偉丈夫が並んでいる。
「敗残兵にしては士気旺盛じゃが、戦場から逃げる前にその勇気は出せんかったもんかの」
ミルリルの挑発にも、反応はない。静かに陣形を組んだまま、魔女と聖女の戦闘も気に留めずこちらに向かってくる。
「操られてるのかもな」
「同じことじゃ。敵前逃亡した時点で、こやつらの死は規定事項じゃしの」
「……聖女は」
「わからぬ。それはエクラ殿の考えることじゃ」
踏み込んできた兵士たちを前に、一瞬だけ殺していいのかという逡巡が頭を過るが、それは武器を向けられた側が考えていいことではないと思い直す。
「ヨシュア」
「わかってるよ。この期に及んで迷ったりはしない」
重甲冑の相手を見てMAC10を収納し、AKMに持ち替える。ミルリルがUZIを構えて俺の攻撃を待つ気配があった。いつまでも彼女に甘えてはいけない。決断すべきは、俺なのだ。
「盾持ちと正面から来る奴らを潰す。周りから接近してくる敵は頼んだ」
「了解じゃ」
全自動射撃で前衛を薙ぎ払う。甲高い音が鳴り響くと、盾を貫通した銃弾が後方まで抜けたのか半数ほどが崩れ落ちた。それでも怯まず大剣持ちが散開、回り込もうと左右に駆け出した。真っ直ぐ向かってくるのは長槍を構えた正面の三人。俺は残弾を叩き込んで倒すと弾倉を交換せず汎用機関銃型のRPKに持ち替える。そのときには、UZIの拳銃弾が大剣持ち五名の眼球を貫いていた。視界を確保するためのスリットや開口部がある以上、分厚い甲冑も意味がない。ミルリルの射撃精度があってのことだが。
「脅威排除じゃ」
「こっちも済んだよ」
エクラさんの声に振り向くと、彼女の足元に崩れ落ちる聖女の姿があった。土下座をするように尻を上げてうずくまっているが、死んでいるようではない。
「どうなったのじゃ?」
「皇帝との接続を切ってやろうと思ったんだがね。これは、外すと死ぬね」
エクラさんがそういいながら聖女を仰向けに引っくり返す。もしかして、リンコが付けられていたのと同じ“隷属の首輪”か。術者を確保しなければ外せない厄介なタイプだ。
「エクラさん、聖女の甲冑に魔法的な干渉は?」
「ないね。魔導防壁だけだ」
収納で甲冑を剥ぎ取ると、簡素な黒衣を身に着けた細身の女性が現れる。そこそこ顔かたちは整っているものの、疲れて窶れた印象が強い。かつて見た聖女はこんな顔だったか、記憶は朧気だった。彼女の首には、以前にも見たチョーカー的な首輪が装着されていた。
「なかなか面倒な魔道具じゃ。おそらくリンコのと同じじゃの」
術者からの距離が十哩以上離れると爆発する。術者が死んでも、術者からの信号を受けても、首輪を外そうとしてもだ。仕様が同じだとしたら術者は皇帝ではなく、この砦もしくは十六キロ圏内にいる誰かということになるのだが。エクラさんに確認してもらったところ、城塞内にいる魔導師は七名。いずれも感じられる魔力の量や制御は凡庸で、さほどの能力を持っているようではないのだとか。
「隠蔽魔法を掛けているんだろう。となれば逆に、その微細な痕跡を探すかい?」
「術者を見付ける前に信号を出されたら爆発するかもしれない。収納で外そうかと思います」
「できるのかい?」
「首輪が解除されてから爆発までの間隔はわかりますか」
「一拍半。このくらいだ」
エクラさんが指を鳴らして間隔を示す。二秒弱。それだけあれば十分だろう。
「収納……くッ!!?」
「どうしたヨシュア」
聖女を確認するが、何も起きない。解除そのものは成功したようだ。
「奪った瞬間、ビリッと何かが指先に纏わり付くような感じがした。収納は手で行っているわけではないんだけどな」
「術者による干渉かね。早くどっかで捨てちまった方が良いよ」
「捨てるっていっても、どこに……」
「あそこじゃな」
屋上に出る階段の陰。ミルリルが指した先に、身構える黒衣の男が見えた。いままで隠蔽魔法でも掛けていたのか、誰も存在に気が付かなかった。
「……へえ。お前、ずっと聖女を監視してたのかい?」
エクラさんの言葉に、男は反応しない。スッと気配が希薄になる。また隠蔽魔法を掛け直して隠れて逃げるか攻撃するかするつもりなのだろう。その男の顔の前に、俺は収納から首輪を放り出す。
「「うぉッ!?」」
その瞬間、青白い閃光が弾けて男の顔面がカチ上げられた。首が千切れ飛んだように見えたが、身体ごと飛散してよくわからん。予想外の破壊力に、思わず変な声が出てしまった。俺の声に重なったもうひとつの叫びはエクラさんだろう。グリフォンから裸で放り出されたときと同じリアクションだった。
「なんという無駄な威力じゃ。たかが隷属のためにここまでしよるとは、皇国もえげつないのう……」
「……え」
息を呑む声に目をやると、聖女が意識を取り戻していた。甲冑が外されていることに気付いて怪訝そうな声を上げ、自分の身体をペタペタと触りながら周囲を見回す。
「あ……あの、これは……わたしは、どうなっているんですか」
「さあね。アタシは、それをアンタから訊きたいと思っているのさ。その時間が、あったらだけどね」
いまいる城塞の最上部からは、周囲の状況が良く見える。キャスパーの停まっている南側には何の動きもないのだけれども。北側から接近する大集団が、地平線近くに見え始めていた。
「先にいうておった皇国部隊の先陣じゃ。騎兵が五百に馬橇が二百といったところかの」
「あれが“聖女の使徒”に手を貸すつもりか、それとも討伐に向かって来るつもりかで俺たちの対応が変わってくるんだけどね」
俺の視線に、元聖女は首を振った。唇は笑みの形に歪んでいるけれども、彼女の目には何の感情も込められてはいない。
「先ほど、皇帝陛下から最後のお言葉がありました。“悔い改める機は過ぎた。魔物とともに滅びよ”と」




