297:ブラフとブラフ
魔王という名を聞いて、皇帝を守るはずの護衛が一瞬だけ怯む。敵意を剥き出しにしたまま睨み付けてくるのは、ヒゲに解けない氷柱を垂らした老害だけだ。太った長身を黒衣に包み、気の強そうな太眉で口髭とあごひげを生やした姿は“悪のサンタクロース”といったところ。そこそこ威厳はあるようだが、人望はなさそう。
「おのれ、謀ったなメルロー!」
皇帝の怒号にも動じず、ケル・メルロー評議会理事長は静かに首を振る。
「魔王陛下との会合は別件で、こちらの都合です。この場にお招きするつもりは、ありませんでした」
いくぶん責めるような目で見られたが、だったらさっさと済ませておいてくれ。風邪でぶっ倒れてた分だけ時間はあげたんだからさ。
「理事長、渋々顔を出してやったというのに、ずいぶんな言い草じゃの。大人しくしていて欲しければ、惨めに泣き喚く老害の薄汚い罵り声など聞こえん部屋で待たせておくべきじゃ」
「それは……返す言葉もございません」
「だいたい、ケースマイアンと魔王陛下は皇国による最大の被害者であろうが。休暇で訪れたとはいえ、わらわたちは共和国でも度重なる被害に遭っておる。その当事者の頭越しに和平交渉もなかろう?」
「それは……もちろん存じておりますが、共和国との合同ではなく、皇国とケースマイアンの間で進めるべきかと」
まあ道理ではあるんだけど、そんなんする気はない。俺たちも、当の皇帝もだ。
「我が皇国が半獣や半魔と交渉などすると思うのか! 忌々しい魔族どもを討伐し攻め滅ぼして何が悪い!」
ああ、アカンて。自殺願望は爺さんの自由だけど、ここでやらかしたらハーグワイごと灰燼に帰す、って結末しか想像できん。
しかし意外なことにミルリルさんは無表情のまま、ツバを飛ばして興奮している皇帝を見据えて首を傾げた。
「……こんなのを相手に交渉するくらいなら、それこそ“地龍に芸を仕込む”方がよほど有益じゃな」
ミルリルに面罵されて、皇帝の顔色が変わる。護衛に攻撃命令でも出そうとしたのか手を振り上げ掛けたが、その袖がバリバリと凍結し始める。
「ぐッ、あ」
「……ねえ、ヒゲモジャの坊や。アンタ、本当に現実が見えてんのかい?」
「あ、くッ!」
「「陛下!」」
顔だけは笑みの形を残してはいるものの、エクラ女史は全身から明確な殺意を吹き上げている。
「ここで荒事を起こすのは、宣戦布告ってことだよ」
「黙れ半獣! 貴様になど、いわれずとも……」
「頭が腐ってても皇国軍は精兵だ。いまの共和国が相手なら、なんとか泥仕合に持ち込めるかもしれないがね。アンタが手を出そうとしてんのは、音に聞こえた“ケースマイアンの三万人殺し”“殲滅の魔王”だ。……その意味が、わかってるのかい?」
憤怒の表情のまま、皇帝たちの動きが止まる。妙なことに、彼らの頭上に赤い悪感情表示は見えなかった。魔導技術に長けた皇国の隠蔽か?
「いままで魔王が殺した兵は王国軍で三万、皇国軍と共和国の叛乱分子が一万五千てとこだ。諸部族連合や民間人犯罪者の行方不明も含めれば、優に五万以上の人間が大陸から消えてる。ついでに大陸中の砲艦戦闘艦と、ゴーレムを残らず磨り潰して、自分は擦り傷ひとつ負ってないって相手だ。そんな化け物を前にして、生身で喧嘩売って無事で済むとでも思ってんなら、おめでたいにも程があるってもんだよ」
皇帝の護衛たちは静かに身構えているが、猛り狂った“サルズの魔女”への対抗手段を持っているようには見えない。そんなん、俺でも無理だけど。
「南大陸でも、どこぞの大帝国が四万近い兵を溶かされたって話だからねえ。二つ名が“十万人殺し”になるのも時間の問題だよ」
余計なこといわないでください。それは俺じゃなくてハイダル王子の手柄だし。ていうかエクラさん、その情報どこからどうやって手に入れたんだ。
「半魔の分際で偉そうな口を利きよるわ。皇国に楯突いて、ただで済むとでも思っているのか」
「何の話をしたいんだか、思い当たることが多過ぎてわからないけどね。共和国に持ち込んだゴーレムのことをいってるんだとしたら、もう魔王に喰われたよ」
「「「なッ⁉︎」」」
なんだ、そのリアクション。あのタイミングでのゴーレム侵攻に利があるとしたら、ハーグワイで交渉中の皇国本隊に瑕疵を被せようとする皇国の内乱勢力だと思ったんだけどな。まさか皇帝の指示だったのか?
「ケースマイアンに向かった鉱石質ゴーレムは、“火を噴く魔獣”の一撃で粉々だとさ。まして樹木質や粘土質なんていうまでもなかろう?」
「……」
「いっぺん失敗したのに手も変えず挑むなんて、笑わせるね。いまごろ分解されるか鋳潰されるかでドワーフのオモチャになってるさ」
どうにも場の流れが読めんが、外交交渉で優位に立つ必要がない俺は早々に思考放棄した。わざとダルそうな感じでテーブルに腰掛け、皇帝を見て鼻で嗤う。
「無駄足だったな。実に、失望させられた。皇帝、などというご大層な称号を名乗る者が、まさかこれほどの小者とは」
俺は大袈裟にゲンナリしたポーズを見せつつ、収納から出した物をテーブルの上に出現させる。激昂していた両者も、それを見て息を呑んだまま固まった。
それは、切り取られた耳だった。
「いまのうちに、返しておこう。神聖魔導師団、とかいったか。おかしな人形使いの一座が我が魔王領を訪れたときの、忘れ物だ」
「「「……」」」
……あら、誰ひとりとして反応なし。頼りのミルリルさんまで、わずかに首を傾げている。これは、芝居掛かったプレゼンテーションが盛大にスベッたか。
「ルカチェフとかいう、耳無しの侯爵に我が伝言を持たせたはずだがな」
もう大昔に思えるが、騎乗ゴーレム部隊の偵察に向かった先で尋問したリンコの上司だ。名前など当然もう忘れていたので、 ミルリルさんから聞いた。
「もう一度、伝えておこう。我がケースマイアンの流儀だ。礼には礼を返す。悪意には悪意をだ。ただし、他国の事情に興味はないので、我らに敵対しなければ、こちらから攻め込むことはない。それはどの国に対してもだ。ただし、我が同胞に手を掛けようとする者には、容赦はせん」
ギリッと、歯を食い縛る者がいた。皇帝と、皇国の文官らしき中年男、そして護衛の何人かだ。
「自らに咎はないとでもいうつもりか。貴様ら蛮族がどれほど多くの皇国軍兵士を殺したと思っている!」
「その兵士は、どこで、何をしていた?」
発言者の皇国文官は俺を睨み付けたまま、わずかに目を泳がせる。
「屠った敵の数など、覚えてはおらんがな。こちらを殺そうと迫る者以外、手に掛けた覚えはない」
「我が国から聖女を攫ったことはどうなんだ!」
不利を悟った文官が、別の話にすり替えてきた。些か無理のある絡み方に違和感がある。これは交渉を優位に進めるための示威行為ではない。論争で勝っても皇国にケースマイアンから得られる物はないし、失う物は選べないのだから当然だ。
となると、瀬踏みか。こちらがどの程度の情報をつかんでいるのか、ケースマイアンがどの程度の脅威なのかを調べようとしている。
「……ふむ。それは、どちらの聖女だ?」
いいだろう、乗ってやる。文官の目を見て、俺は笑う。
「勝手に召喚しておきながら役立たずとして隷属の首輪を着けた皇国の元聖女か、皇国軍が攫って人形に作り変えた王国の元聖女か。お前がいうのは、どっちの聖女だ?」
「……」
「教えておくが、どちらも元は我が同胞だ。彼女らの末路がどうあれ皇国の罪は消えん。ただで済むと思うな」
黙りこくった文官を見て、もう得るものはないと判断した。俺とミルリルは目顔で頷き合って席を立つ。
「この場で皇国の訪問団に手を下すことは、共和国の威信に泥を塗ることになるのでな。数々の茶番も、今日のところは見逃してやろう」
皇帝が、目を細めてこちらを見る。何を企んでいるのかと訝しむような表情。それは、ダメだろ。いま皇帝がこの場に乗り込んでくるとしたら、豪胆な実力者か奸計に長けた曲者のはず。でもこいつの行動は、どちらでもない。
違和感の正体が、なんとなくわかった。
「共和国がどうかは知らんが、ケースマイアンは皇国に対して、何ひとつ期待していない。謝罪など不要。賠償も求めん。和平も望まん。話し合いに応じるつもりもない」
皇国側のひとりひとりに、俺は笑顔で視線を向ける。
「既に皇国はケースマイアンの、俺の敵だ。いまも巣の奥で震えている、腑抜けの老害に伝えろ」
「「「……!」」」
単なる勘だけで確信はなかったんだけど、反応を見る限り正解だったようだ。
こいつ、影武者だ。この皇帝もどきの醜態も、おそらく指示された瀬踏みのひとつだったのだろう。情報を吸い上げて状況を確認し、できれば共和国側に危害を加えさせて和平交渉を引っくり返す。因縁つけるヤクザと一緒だ。
チラッと視線を向けると、驚いてないのはエクラさんとミルリルさんだけ。やっぱり、このふたりは察した上での挑発だったか。というか、エクラさんは逆に俺を不審そうに見てる。なんでわかったんだこのボンクラ、って感じ。ひでえな。
「この件は、本国へ正式に抗議させていただく」
ケル・メルロー評議会理事長が皇国交渉団に苦虫を噛み潰したような顔で告げるけど、このタヌキも(みんなと一緒に驚いた顔はしてたけど)最初から知ってたんじゃないかと思われる。
「ふざけるな! 貴様ら、我らをどこまで愚弄する気だ⁉︎」
う〜ん。往生際が悪いけど、逆ギレするまでにキュー待ちしてたみたいな間があった。魔法的な何かで、本人この様子を見てるのかもな。
「そういえと命じられたか?」
俺の言葉に、皇帝もどきが目を泳がせる。
「魔王から、皇帝に伝言だ。せいぜい必死に逃げ隠れておくが良い。貴様が頼りにしているものを、ひとつずつ剥ぎ取り、壊し、打ち砕き、潰す。そして、守るものを失い、隠れる場所を失くした貴様のところに……」
威厳の演出を忘れて顔を伏せた皇帝代行の顔を下から掬い上げるように覗き込んで、俺は笑う。
「……魔王が、来るぞ?」




