296:政治的焔
「ちょっと待ったァ!」
こっそり抜け出そうとした俺は、部屋を出たところでアッサリ衛兵に捕まった。よりによって――というか、たぶん意図的な配置なんだろうけれども――俺たちが前に首都入りしたとき一緒に来たキャスマイア衛兵部隊の副長さんである。異動になったのは知ってたけど、もうずっとこちら所属なのかね。
「ああ、副長さん……じゃなかったりします? もしかして」
「所属は、いまも衛兵隊ではあるんだけどな。首都の評議会直轄部隊の“機動衛兵隊長”、だとさ。他国の軍でいう、近衛騎兵みたいなもんだ」
「大出世じゃないですか!」
俺が祝いの言葉でも続けようとしたところで、副長さん改め機動衛兵隊長さんは首を傾げた。
「いや、そうでもないな。たぶん近衛って例えで誤解してんだろうけど、貴族のいない共和国じゃ歩兵より騎兵が上ってこたねえんだ。馬に乗ってんのは、警備を担当する地域に比べて人員が少な過ぎるってだけでな」
「身も蓋もないのう」
「しょうがねえだろ。魔王に危地を救われたのは確かだが、その余波は凄まじいもんだからな。良いことも悪いことも、喜ぶべきことも震え上がるしかないことも含めてだ」
「俺たちはその件で、どっかに呼ばれるんですかね。こっそり逃げようと思ってたんですけど」
「そんな訳にいくか。ふだん馬に乗って外回りの俺が配置されたのは、どうせ逃げ出すだろうから捕まえとけってことだろ。命令書はマッキン理事とエクラ理事の連名だからな」
ダメか。まあ、しょうがない。……っていうか、あのふたり、いまは理事なのね。
「それで、機動衛兵隊長……ううむ、“副長”に比べてえらい語呂が悪いのう」
「ファーナスだ。肩書は覚えなくていいぞ、どうせまた変わるしな」
各領の統廃合と公僕の更迭やら昇任やら配置転換、さらに近い将来には、領主管轄の衛兵隊を共和国の常備軍として再編成する計画まであるそうで、要は機動衛兵隊というもの自体が過渡期の暫定的編成なのだとか。
「共和国軍か。それは良いと思うがの。金食い虫の海軍も再編となると、二年や三年で終わる話ではないのう」
まったくだ、と機動衛兵隊長ファーナスさんは苦笑する。歴戦の猛者だけあって、どこか達観している。
「それじゃ、両陛下には議事堂までご足労願えとのことなんで、馬車で送ろう」
ホテルを出ると、正面玄関前に四頭立ての馬車が停まっていた。御者台で敬礼をしてくるのは、これまた以前キャスマイアで面識のある衛兵のひとりだ。中央領衛兵の外套の下にファーナスさんと同じ制服を着ているところからして、いまは機動衛兵隊の所属なのだろう。
「魔王陛下、体調崩されたと聞きましたが、大丈夫ですか?」
「うむ。わらわが看病して快癒させたのじゃ」
相変わらず仲良くて羨ましい、と御者台の衛兵は笑う。簡素ではあるが高価そうな馬車に乗せられ、俺たちはファーナスさんと一緒に議事堂に向かう。
綺麗に雪が除けられた通りを、馬車はスルスルと進んでゆく。前に訪れたのは戦時だったが、平時となるとさすが首都だけあって(しかも海外の首脳が訪問するとなれば尚のこと)除雪も整備もしっかししている。
「ところでファーナス殿、皇国との折衝は終わったのかの?」
「いや。噂じゃ、決裂しかけてる」
「「は?」」
なんだそれ。エクラさんからは、もう締結も時間の問題みたいに聞いてたんだけどな。
「もう少しで停戦合意がまとまるところだったけどな。お前らと一緒に西領府からエクラ理事が戻って、いきなり皇帝が引っくり返した」
「……あ、ああ。もしかして、人種差別意識か」
「れいしずむ、ってのが何かは知らんが、“亜人とは交渉も契約もする気はない”だとさ」
どうやら皇帝は自殺願望でもあるのか。自分が死にたいなら勝手に死ねばいいんだけれども、このままだと国ごと巻き込むぞ。もう万に届こうとする数の兵たちが皇帝の愚かさが原因で死んでるけどな。
「それで、皇帝は生きておるのか?」
「エクラ理事も、さすがに皇帝を手を掛けるほど無思慮じゃないさ。彼女にひと睨みされただけで自慢の髭が凍って、四、五日経ってもそのままだけどな」
その行動は無思慮っていわないですかね。気持ちはわかるにしてもさ。
「騎乗ゴーレムによる西領侵攻も、旧北領のイルム城塞で起きた“聖女の使徒”による内乱騒ぎも、この時期となれば作為的に思える。皇国の連中は関与を否定しているし共和国側は明白な侵略行為だと責め立てる。一気に信頼が崩れて、会議室の大机を挟んで代表と護衛が睨み合いだ。実情は滑稽だとはいえ、さすがに笑えんぞ」
「笑えませんね」
俺は静かに息を吐く。まあ、ちょうどいいか。纏まりかけた交渉なら邪魔しないつもりだったけど。これならどうなろうと俺たちの責任じゃない。
馬車は三ブロックほど進んで、前にも見た議事堂に滑り込む。停車した馬車の扉を開けて、執事風の男性がミルリルに手を貸そうと傅く。
「不要じゃ」
ステップの段差など物ともせず彼女はヒョイと飛び降りて先に進む。振り返るまでの数秒で周囲の安全確認を行ったのがわかった。ショールのように肩へと掛けられた布の下には拳銃のホルスターとUZIサブマシンガンが隠されている。
「くりあ、じゃの」
共和国の奴らは聞いてもわからん、という前提で“周囲に脅威なし”と伝えてくる。後から降りてくる俺の安全を確保してくれたのは、ありがたいけどなんか申し訳ない。ミルリルは彼女用にと大量に持ち込まれたドレス的な礼服を頑なに拒絶し、俺とお揃いのような商人服を持って来させたのだ。
ヒラヒラした裾や動きを拘束する意匠が戦闘の邪魔になるのを嫌ったのだろう。
「さて、参るぞ魔王陛下」
「俺の案内はここまでだ。貴殿らの健闘を……いや、できれば戦わずに済むことを祈ってる」
苦笑するファーナスさんに、ミルリルが満面の笑みを浮かべる。
「自分でも信じておらんことを口にするでないぞ。そんなわけなかろうが。エルフひとりでゴチャゴチャいうておる老害の前に、亜人の国を統べる魔王夫妻が出てくるのじゃぞ?」
「勘弁してくれ、ただでさえ火種があちこちで燻ってるってのに……」
「乞うご期待、じゃの」
楽しそうにいうミルリルさんを見て、執事風の男性が盛大に顔を強張らせるのがわかった。そこで判断したのか最初からの指示なのか、俺たちが通されたのは会議室からは長い廊下を隔てた部屋だった。賓客が待機するための場所のようだが、俺たちの到着後にソファなどの調度品やティーセットが運び込まれたのを見る限り、泥縄式の隔離策なのは明白だった。
「両陛下の御到着を伝えてまいりますので、少々お待ちくださいませ」
執事風の男性は、アタフタと出て行った。メイド的なお付きの女性が残ってお茶と茶菓子を勧めてくれるが、何をどこまで聞いているやら表情に余裕がない。
ミルリルを見ると、手を上げてこちらの動きを制した。聞き耳を立てているような遠い目をしている。
「……聞くに耐えんのう。あの阿呆、何様のつもりじゃ」
「誰?」
「皇帝じゃろうな」
だとしたら、何様って、そら皇帝陛下様なんじゃないかね。知らんけど。
「あ、妃陛下困ります、こちらでお待ちいただくようにと……」
止めようとしたお付きの女性を振り切って、俺とミルリルは部屋を出た。会議室のドアが開かれたのか、廊下の奥からキャンキャンとヒステリックな怒鳴り声が聞こえていた。
「人とも呼べぬ半獣どもとどんな信頼が築けるというのだ!」
「皇帝、陛下。どうか、声を……!」
「うるさい、こいつをつまみ出せ!」
蹴り出されるように廊下へ追いやられた執事風の男性を脇に避け、重厚なドアを蹴り開ける。護衛なのか扉に寄り掛かっていた大男が吹っ飛んで床に転がる。巨大な長テーブルを隔てて向き合っていた皇国と共和国の首脳陣が揃ってこちらを見た。
「「「なッ⁉︎」」」
闖入者を拘束するためか、数人の護衛が突っ込んできた。ヒョイヒョイと躱して投げ飛ばしたミルリルさんは、のじゃロリフックで轟沈させると溜め息まじりに首を振る。
「病んだ獣のように吠える声が耳障りでのう。捻り潰してやろうかと思うたんじゃ」
「無礼な! 何者だ、貴様ら!」
皇国側の残る護衛は剣を抜き掛けていたが、それを共和国側の代表者たちが必死に止めている。
「お止めください!」
「この部屋で武器の使用は、共和国に対する武力行使と判断します!」
ちなみに共和国側の護衛には見知った顔がいて、元“吶喊”の連中が壁際で頭を抱えているのが見えた。脳筋のティグとルイだけは、面白そうな表情を丸出しにしていたが。
静かになった会議室を見渡し、ミルリルさんが慈悲に満ちた笑みを浮かべる。
「訊きたいのはこちらじゃの。魔王陛下を侮辱した命知らずは、どこのどいつじゃ?」




