286:隠された陰謀
「ちょッ、……エクラさん⁉︎」
城壁から飛び降りた俺は折り重なった黒衣の死体を収納で排除して魔女の身体を掘り出す。失血のせいか低体温症を起こしているのか顔色は蒼褪め唇は紫に染まっている。
「……遅かった、じゃないか。……待ち、くたびれちゃっ、たよ」
「喋らないで、怪我は!」
着衣を捲り上げると、白い脇腹に抉られ引き千切られたひどい傷が見えた。生きているのが不思議なくらいだ。俺はエクラさんの身体を抱え上げると転移で上空に飛んで、すぐグリフォンの屋根に降り立つ。銃座から降りて治療中の子エルフを呼んだ。
「ヒエルマー! 頼む、大至急だ!」
「は、はい⁉︎」
ひと目見て状況を把握したらしく、ヒエルマーはすぐにエクラさんの着衣を脱がして治癒魔法を掛け始めた。俺は清潔なバスタオルを取り出して露出した肌を覆い、サイモンから手に入れた救急キットを開くと抗生物質を出して魔女の口に含ませる。ミネラルウォーターの蓋を開ける手が震えているのが自分でも情けなかった。もし、これが……
これがミルリルだったら。
「……くそッ」
「落ち着けヨシュア、エクラ殿は死なん。おぬしと、ヒエルマーのお陰じゃ」
穏やかな声でミルリルに諌められ、なんとか冷静さを取り戻す。蓋を開けたペットボトルを、エクラさんの口元に持って行く。唇はまだ紫色だが、顔はわずかに血の気が戻っていた。
「さあ、飲んでください。それは化膿止め……傷が膿むのを防ぐ薬です」
「……あ、ああ」
塞がった傷を見て、小樽の蒸留酒をハンドタオルに含ませ傷口を拭く。順番が間違っているのかもしれないが、治癒魔法を掛ける前の傷口に俺は触れられなかった。
「なんだい……冷たい、じゃないか」
「強い酒です。傷が腐るのを防ぎます」
「……へえ。……殺す、だけじゃなく、生かす方にも……秀でてるんだねえ」
笑いながらそういうエクラさんの目は、まだ少しピントが合っていない。
「処置は済んだ。治りかけに熱が出るかもしれないけど、もう死ぬことはないと思う」
「ありがとう、助かった」
「……すまないね、ヒエルマー」
子エルフは頰を上気させ、涙目でエクラさんを見る。
「あ、あんまり心配、掛けないでください。ぼくが、いつもいわれてたことじゃないですか」
「……そう、だねえ。これじゃ、アンタの母親に……顔向け、できない、ねえ」
血が足りない状態ではあるが、とりあえず危機的状況は脱したようだ。避難民に配った後に残った毛布を身体に巻いて、椅子に寄り掛からせる。
どこか恥じ入るような顔をしたエクラさんは、年齢不詳の美貌のせいか、ひどく幼げに見えた。
「エクラ殿ほどの者が、どうしてこんなことになったんじゃ」
「……魔力切れ、……してたとこに、法弾を喰らっちまったんだよ。……情けないったら、ありゃしない」
「え?」
なんでまた。実力のほどは伝聞でしかないが、少なくとも魔力に困るようなタマじゃなかろうに。何かとんでもない魔法で消費したとかいうなら、わからんでもない、が……
「エクラさん。もしかして、町にひと気がなかったのは、皇国軍に殺されたんじゃなくて」
“サルズの魔女”は俺の顔を見て首を振ったが、否定しているわけではなさそうだ。
「送れるだけの住民は、……ハーグワイに、ぶん投げたんだけどね。……まさか、まだ五千近くも残ってるだなんて、……思ってもいなかったんだよ」
「……キルゲライの、緊急転移魔法陣? もう完成していたんですか」
「第一層だけだよ。二層以降は急拵えの仮組みさ」
「ムチャクチャですよ。そんなの、魔力切れで済んだのがどうかしてます」
ヒエルマーは理解しているようだが、俺には何の話かサッパリだ。まあ、推測するに町の住民をみんな一気に避難させようとして魔力を使い果たしたというようなことなんだろう。
「他に、上手い手が思い付かなくてね。……半分くらいは……裸で着いたかもしれないが、まあ良いだろ。……こんなとこで、死ぬよりはさ」
「でも」
「……キルゲライたちが、命懸けで守ろうとした住民だよ。……できる限りは、助けてやりたいと思ったのさ」
沈んだ顔のエルフふたりを見て、西領府ケイオールに派遣された魔導窟のスタッフは全滅したらしいことがわかった。
「キルゲライさんというのは、お知り合いですか」
「……二代前の亭主だ。出会った頃は、ひどい跳ねっ返りでねえ……まあ、そんな話はいいやね。魔王陛下、悪いけど、そこの避難民をハーグワイまで送ってくれるかい?」
「構いませんが、ケイオールに残った皇国の魔導師は」
「……侵入していたのは、五十くらいかねえ。アタシが六割がた仕留めたから、残りは二十くらいだ。いまは、放っておいても構わないよ」
「戦闘音が聞こえましたが」
「衛兵は、死んだか逃げたかだ。キルゲライの仕掛けた罠に嵌ってるんだろ」
「罠? もう築城を始めていたんですか」
ヒエルマーが怪訝そうな顔で訊く。わずかに不安を覗かせているのが不可解だった。
「……さあね。領主館を中心に……随分と入念な仕掛けがされていたようだが、アタシはそちらには近付かなかったから、なんとも……」
「……秘匿してあったゴーレムかも」
「「「なに?」」」
俺たちとエクラ女史に緊迫した顔で睨み付けられ、ヒエルマーが怯む。
「い、いや、ぼくも“魔導学術特区”で噂を聞いただけだけど、西領主は首都に従属の姿勢を見せながら、皇国とも内通していたって」
「それは噂じゃない。周知の事実さ。でもそれで、なんでゴーレムなんて話が出てくるんだい」
「前回の叛乱に加わらなかったのを北領主や皇国から責められていたけど、その理由として“契約違反だから即時返還せよ”って文言があったとか」
エクラさんが考え込む。否定しないということは、思い当たる節はあるのだろう。女狐領主の逆ギレだと思っていたが、糾弾にも彼らなりの筋はあったのかもしれない。
「皇国から手に入れたってんなら、騎乗ゴーレムだろう? いくらなんでも、そんな馬鹿デカいもんを領府に運び込んだんなら、人目に付かない訳がないじゃないか」
ケースマイアンで見た騎乗ゴーレムは、分解したとしてもパーツ自体がかなり大きいものだった。手足はともかく胴体などの主要部品ならば馬車の荷台からはみ出す。
「領主館に出入りしている妙な男たちの姿は、目撃されていたんです。だから、領主館で組み立てていたんじゃないかって」
「組み立てるって、その部材は?」
「……そこまでは、わかりません」
「エクラさん、そういう報告は」
「ゴーレムかい? いや。少なくとも、アタシは聞いてないね。でも、そうだとしたら皇国の魔導師が罠の解除に血道を上げているのは腑に落ちる。ただし……」
ケイオールの方角から、轟音が上がる。ミルリルと視線を合わせると、彼女はわずかに頷いた。
それは、青銅砲の発砲音に聞こえた。
「それを手に入れることが起死回生の転機になると確信があったら、だけどねえ」




