280:比翼
結局、俺は共和国政府からの要請を受けることにした。
俺が持つ力を利用されていることはわかっていたけど、それは構わない。一方的に何かを奪う気もないが、こちらだけ利益を得るつもりもない。ミルリルがいうところの――俺の知っている元の語とはずいぶん違う印象を受ける――“うぃんうぃ~ん”だ。相手が必要としているものを与え、代わりに自分たちが欲しいものを手に入れる。少なくとも俺個人に関していえば、それが何なのかは、まだわからないでいるのだけれども。
「……おぬしには、みな感謝しておる」
「え」
グリフォンの操縦席で、俺はミルリルを見る。
春を待たずに、いっぺんケースマイアンに戻ることになったのだ。リンコとドワーフの爺さんたちは、一足早く飛行船で帰還していた。エクラノプランは離着陸――特にケースマイアンへの着陸――に問題があったので、俺が預かったまま収納で運ぶことになった。便利な機体ではあるけれども課題は多く、本格的な活用を考えるのは北部の港を手に入れてからだ。
「そして、すまんとも思っておるのじゃ。口には出さんがの」
「なんだよ急に。すまんて、何が?」
「リンコから聞いた“片務的状況”、というやつじゃな。おぬしと接した者の多くが直面する問題じゃ。マッキン殿もエクラ殿も、いうておったであろう。与えられ支えられるばかりで、何も返してやれん。押し付けられた名とはいえ魔王と称する身、いっそ奪い尽くしてやればすんなり行くのであろうがの」
「いや……そういわれてもな」
「わかっておる。我が身に置き換えてみたところで、共和国から奪いたい物などないからの。ケースマイアンにしても、さほどの違いはあるまい。おぬしが求めるものは、おぬし自身のなかにしかない。となれば債務ばかりが積み重なって行くばかりじゃ。これはこれで、すぐに解決できるものではなかろう」
しかしの、とミルリルは呟く。
「根本にひとつ大きな問題があるのはわかっておるかの」
「問題? いや、多過ぎて何のことやら」
「おぬしが――少なくとも気持ちとしては、どこにも属しておらんことじゃ」
「……ああ、うん」
例えば、これが家族なら。そこまでではなくとも同族であったとしたら。さすがに何を奪ってもいいという話にはならないにしても、そこまで貸し借りの感覚を引きずることはなかった。たぶん、だけど。
「魔王、か」
それはケースマイアンの皆にとっては、ひとつの願望……あるいは棚ボタ的な解決策でもあったのかもしれない。対等と思うからギクシャクするのだ。上下関係や主従関係にしてしまえば問題は表面上、消える。いっそ奪い尽くしてくれたら、というのと同じ話だ。その解決は、あまり俺には馴染まない。
「わらわたちは無論、ヨシュアを同族と思っておる。掛け替えのない仲間、生死を共にする同胞と考えてはおるがの。それでも、最後に戻るところが……」
俺が目を向けると、ミルリルはハッと口を噤んで恥じ入るように頭を下げた。
「……すまぬ。わらわが、いうたことじゃの。“もし”も“でも”もないと」
きっと死ぬまで、最期のときまで消えない、心に刺さった小さなトゲ。
俺がこの世界の人間ではないという、変えようのない事実。それが、俺たちを縛る。いくら心が繋がっても、どんなに信頼で結ばれても、ふとしたときに考えてしまうのだろう。もし。
――もし、あのとき、出会わなければと。
「俺が、この世界に来たとき」
「ぬ?」
「いや、その前からだな。俺は誰にも、必要とされていなかった。家族が死んで、友人たちとも疎遠になって。何のために生きているのかも、わからなくなって、そして。考えるのをやめた。ただ食って、寝て、生きるために働いて。そのうち、それが当たり前になった。何も考えなくていいというのは、案外あれで楽なもんだったんだな。働くために働いて、気が付けば……」
気が付けば、真っ暗なところにいた。
進んでも何も見えず何も感じず、ただ足を運ぶだけ。遥か彼方に光が見えたけれども、そこに救いがあるなんて思ったわけじゃない。ただ立ち止まっているのが苦痛だったから。行く先があった方があれこれ悩まなくてもいいと思ったからだ。
どれだけ時間が経ったか、覚えていない。いつの間にやら近付いてきていた光のなかに入ると、そこは真っ白な場所だった。ああ、そうだ。ほんの少しの期待と、もはや予感とさえ呼べないほどハッキリした嫌な予感に包まれながら。そのとき、俺は思ったんだ。
これで何かが、変わるかもって。
“魔王陛下、妃陛下”
ヘッドセットを外した状態で計器盤に置かれていた通信機から、女性の声が聞こえてきた。有翼族のリーダー、ルヴィアさんだ。久しぶりに聞く彼女の声は、ひどく緊迫していた。何かが起きたのだろう。いつものように、面倒で危険な何かが。
「どうしたんじゃ」
“皇国軍が侵攻を開始しました。超大型の鉱石質ゴーレム二騎に、粘土質十三騎がケースマイアンに向けて移動中”
「いきなりじゃな。そのような話は聞いておらんが」
“はい。前兆は、ありませんでした。物資の集積も目立った兵の移動もなく、現に輜重部隊も連れていません。皇都郊外に点在する大型格納庫から全機がバラバラに発進し、ほぼ同時刻に東西国境付近で集結しました”
こちらの空中警戒を察知していた? 補給もなしに捨て身の短期決戦、となると事前に戦力と配置も把握しているはずだ。共和国との交渉が決裂したとの話は聞いたが、開戦は春からだと思っていた。
「東西に分かれておるのじゃな?」
“はい。大型の樹木質ゴーレム七騎が、共和国西領に向けて移動中です。こちらも輜重部隊は連れていません”
「ルヴィアさん、随伴歩兵は」
“ケースマイアン侵攻部隊、共和国侵攻部隊ともに百以下、六十前後です。魔術短杖を持った兵が騎体に取り付いています”
跨乗の魔導師のみか。これは、一か八かの死兵戦術だな。
「ケースマイアンの防衛は可能かのう?」
“先ほどハイマンさんたちが到着しています。射手と戦車の配置も完了、問題ありません”
「おぬしらは」
“陛下たちの北西方向頭上、RPG-7発射筒を二基と弾頭七発、全員M4装備で空中待機中です”
いわれて上空を見ると、三つの影があった。双眼鏡で確認する。アサルトライフルを背負いRPGを抱えているのは長い黒髪をなびかせたルヴィアさんと、栗色ポニテのメイヴさん。短髪のオーウェさんは少し離れている。M4装備で弾頭ケースを背負って、ふたりの護衛に着いているのだろう。
「あやつらの速度ならば、追い越せるのう」
振り返ったミルリルが、軽く眉を上げて微笑んだ。決まりだ。
「ルヴィアさん、有翼族部隊もケースマイアンで戦闘を支援してください」
“しかし、陛下たちは”
「ふたりで、“でえと”じゃ。邪魔するでないぞ?」
のじゃロリさんは、うっとりした表情で笑う。
そうだ。この気持ち。あのとき、そしていまも、俺が欲しかったもの。求めていたもの。手に入れたくて、果たせなかったもの。それは、もう隣にいる。
「なに、ちょびっと寄り道するだけじゃ。すぐに戻る」
“……ご武運を”
俺の腕にミルリルの手が触れると、瞬く光とともに温かなものが注がれてきた。
「そんな簡単に行かないと思うよ? こっちじゃ使える足もホバークラフトくらいだしさ」
呆れたようにいいながらも、笑みがこぼれるのを押さえられない。俺の心は、叫び出しそうなほどに昂っている。欲しかったものは、全部ここにある。怖いものなんて、何もない。
「心配要らん。ふたりでなら、どこまでだって飛べるのじゃ」
◇ ◇
「……エンシェント・ドワーフ? ミル嬢ちゃんがか?」
中央領に向かう馬橇の椅子で、俺はエクラを見た。
「おや、モルフォス坊やは、気付かなかったのかい?」
見た目だけは小娘に毛が生えたような美貌で、魔女は面白そうに笑う。モルフォスで呼ばれるのなんて何十年ぶりだろうな。南領主なんていったところで齢百何十だかの彼女に掛かれば、いくつになっても小坊主なんだろう。ここで下手に反発でもしたら、やれ襁褓を替えてやっただの乳をくれてやっただのと余計な話が始まる。俺は大人しく頷くに留めた。
「ただのドワーフが魔王妃だなんて、ふつうに考えりゃ、おかしいだろ?」
「そりゃ傑物だとは、思ってたがな。あのふたりは、そもそもが異常だ。違和感を持つにしても、肩書にじゃねえよ」
「それはまあ、そうかもしれないけどね。ただのドワーフにしちゃ魔力が強過ぎ、純粋過ぎだ。ターキフの影響かとも思ったが、ありゃ生まれつきだね。全盛期の“鍛冶王”カジネイルだって、あそこまでじゃない」
「そんなもんか。俺はエンシェント・ドワーフがどういうものかも、詳しくは知らん。少しばかり毛色の変わったドワーフだってことくらいでな」
「ああ、一定の割合いで現れる、“先祖帰り”のドワーフだよ。膂力も魔力も才能も、桁違いに優れている……とは、いわれているがね。何か見た目が違うでもなし。元がドワーフとなれば、能力差は誤差みたいなもんさ。それより彼らが気にしてるのは、言い伝えだよ」
遠くを見る目で、エクラは笑った。微笑んだ、といってもいいか。冷笑や嘲笑や苦笑や失笑は毎度嫌というほど見せられてきたが、こんな優し気な表情は初めて見る。
「言い伝え?」
「ああ。“正しき者と番えば、同胞たちを楽園へと導く”ってね」
「なんだ、そりゃ」
「何千年だかの昔、この大陸に流れ着いたのがエンシェント・ドワーフとその仲間たちだって話だけど……エルフですら覚えてない神話みたいなもんだ」
「この惨状じゃ、導かれたのが楽園ってのも眉唾だがな。……それで、その言い伝えだと、もし伴侶が、その……なんだ。間違った者なら?」
「さあねえ。そのときは、退屈で平凡な人生を終えるんだろうさ」
“サルズの魔女”は、西を見る。遥か彼方の空が、淡く光った気がした。
「……きっと、平穏にね」




