279:(閑話)消えた彼女
ちょい修正
「リンコは、何か悩みがあるようじゃの」
ミルリルにいわれて、俺は首を傾げる。我が道を行くポンコツ聖女に悩みねえ……? そんなタイプには見えんけどな。
「あれで中身は繊細なんじゃ。ヨシュアを含めて男の回路はどれもこれも真っ直ぐに繋がっておるがの。女子の場合は入り組んでおるのじゃ。同じ記号が書かれた“すいっち”でも、押したら同じ機能が同じように動くものではないぞ?」
まあ、ジェンダーについてあまり意見はないが、案外そんなものかもしれん。気を配ってやれといわれて注意してみると、ふとした瞬間にリンコが遠くを見るような表情をすることに気付いた。なるほどミルリルさんの観察眼では、これが気になったわけだ。指摘されんとわからんあたり、しょせん俺も回路が単純にしか繋がっていなかったということか。
とはいうものの、どうしたらいいのかはわからん。ミルリル先生に訊いたところで“そんなことは自分で考えるのじゃ”と一蹴されて頭を悩ませることになった。
わからんもんは対処のしようもないのだ。ここは単純なりに開き直るしかない。
「なあリンコ、もしかしてホームシックか?」
できるだけさりげなく話しかけたつもりだったが、ポンコツ聖女はあからさまにギクリと身を強張らせた。いや、そんな警戒されるような訊き方したつもりは……。
「こやつ、真正面からぶん殴りおった」
呆れ顔のミルリルさんが首を振る。どうやらド直球だったようだ。
「そこは“おぶらあと”で包むというのが大人の嗜みであろうが」
「包まれてなかった?」
「うむ。わらわも、“おぶらあと”が何かは知らんがの」
リンコは笑顔で首を振る。
「ああ、いいよ気にしないで。あんまり深刻な話じゃないから。家族には、特に用はないんだ。そんなに仲良くなかったし」
「そう、なのか? それじゃ、恋人とか?」
「ヨシュア! そういうとこじゃぞ⁉︎」
すまん、デリカシーがないのは自覚しているのだが、女子高生とコミュニケーションを取ったことなんてないから加減がわからんのだ。
「いやー、ぼく女子高出身だし、そういうのは、いないかな。ええと……」
「リンコ、無理に話すことではないぞ。ちょっと沈んでおるのが、気になっただけじゃ。……いや、わらわではなく、ヨシュアがの」
ちょっと、俺に丸投げしないで。ポンコツとはいえ聖女や女子高生の生態なんて知らんし。取扱説明書でも付けてくれんとメンテもケアもできんっつうの。
「あのね、親しい友達がいたんだよ。同い年の、女の子でね。こっちに飛ばされる前に、些細なことで喧嘩しちゃってさ。そのまま、ぼくが居なくなったから、その後どうしてるのかなって。ちょっとだけ、気になってさ。それだけだよ、平気」
それだけ、というには重い話のように聞こえる。動揺しているリンコなんて、初めて見たし。
「本当に?」
「う、うん。あと一日か二日遅かったら、ふつうに仲直りしてた。その程度の……どうでもいい話だよ」
それは逆に、ほんの些細なことだけに、彼女の心で抜けないトゲみたいに引っ掛かってるんだろう。
俺は少し考える。自分の場合は係累も多くは亡くなっているし、社畜時代に不義理が続いて交友関係もあらかた疎遠になっていたから、捨てたところでさほどのダメージではなかった。が、もし残してきたものがあるのだとしたら解決策がないわけではないのだ。それは、ひとつの可能性でしかないんだけどな。
「なあリンコ、その子は、オタ気質だったりするか?」
「え? ああ、うん。そりゃ、ぼくの親友だったくらいだからね。わりとベタなオタクだね。ゲームにラノベにアニメに歴史、あとBL」
「……それなら、大丈夫かな。手を貸してやれるとは思うんだけど、少しだけ覚悟してもらいたいことがある。良いかな」
「……どういうこと?」
翌日、俺はリンコを伴って思い付く限りの場所を回った。ミルリルさんは俺の隣であれこれとアイディアを出し、リンコを驚かせ、慌てさせ、困惑させた。
「これは面白いのう。“ぽろろいどかめら”とは初耳じゃ。おぬしに殺す以外の才能があろうとは知らなんだ」
「ポラロイドカメラ、ね。じゃリンコ、そこ立って、はい笑ってー」
「……あの、ヨシュア? なんでこんな、ヒラヒラ」
「いいから、もっと笑って。笑顔が硬いぞ!」
「「なになにー? たーきふ、なにしてんのー♪」」
「ひゃあ⁉︎」
「おーし、みんな笑ってー」
◇ ◇
「うひぇッ⁉︎」
あたしは、その荷札を見て思わず悲鳴を上げた。妙に重い段ボール箱を取り落としそうになって焦る。こんなもん足に落ちたら骨折れるわ。
「なに、どしたの真紀」
「な、なんでもない。友達から、荷物が届いたの」
「あら、あんたにも友達いたのね?」
失礼な母親である。あたしにだって、友達くらいいる。……いた、といった方が良いかもしれないけど。大学に入ってからの友人関係は、親しくなっても少しだけ距離のあるものだったから。
本当に親友と呼べるような子は、ひとりしかいない。その思い出が、いまもあたしを縛り、心のなかに暗い影を落としている。四年近くも経っているというのに、何をしても心が晴れない。世界は淡いグレーにしか感じられない。
あのとき、ちゃんと謝っていれば。あのとき、呼び止めていれば。あのとき、一緒に帰っていれば。
そしたら、凛子はいなくなったりしなかったのかも。自分も一緒に行方不明になってたかもしれないけど、それならそれで良かった。こんな気持ちを引きずって、モノトーンの世界で永遠に生き続けるより、ずっと。
「……嘘でしょ。……誰かの悪戯?」
「どしたのよ。爆弾でも届いた?」
このご時世に不謹慎極まりない母親である。まあ、ある意味、爆弾ではあったが。
あたしは部屋に戻り、机の上に小包を置く。もしこれが悪戯だとしたら、異常に手が込んでいて、しかも悪意に満ちている。行方不明になった幼馴染から、国際郵便で小包が届いたら、誰だって驚く。そりゃ変な声も出るわ。
「しかも……なんで、こんな国?」
うん、わからん。地理の授業で名前くらいは聞いたことがある……気がする、けど正直どこにあるのかも浮かんでこない。そんな国だ。
もしかして、凛子が犯罪組織かなんかに売られたの?
「う〜ん……それは、ないかな」
いつもボサボサ頭で、ヒョローッとして影が薄くて、女の子というよりも少年……しかも小学生男子みたいな感じの子だ。失礼な話、あんまり値が付く感じはしない。
凛子はマイペースでつかみどころがなく、性別も年齢も、何を考えているのかもわからなくて、みんな距離を置いた。教師も同級生も、彼女の家族もだ。親しかったのは、あたしだけ。除け者にされた変人と、その飼い主。ひどいいわれようだったが、彼女は気にしなかった。他人のことには、興味がなかったのかもしれない。成績は抜群に良かったけど、いつもつまんなそうで、ずっと野良犬みたいに、何かを探してた。ここじゃないどこかに、本当の居場所があるんじゃないかって。あたしには、そんな風に見えた。
考えてもわからない。あたしは小包を解く。えらく厳重に梱包されたそれはガチガチに固められて、撲殺できそうなくらいに重くて硬かった。ビニールテープで固められた油紙を剥ぐと、魔法陣みたいな模様があった。触れると一瞬だけ光った気がして、慌てて手を引っ込める。たぶん、気のせいだ。
「あんた、なにしてんのよ、もう……」
見た目も重さも届いた経緯も、何もかもが怪しいことこの上ない。荷札の文字に見覚えがなければ、そのまま警察に持って行くところだ。凛子は驚くほど頭は良いのに、字は驚くほど雑で汚い。その象形文字みたいな字体で、あたしの住所と名前が書き記されていた。
「消えたんじゃなくて……逃げた、のかな」
家から。家族から。社会から。日本から。凛子にはずっと、居場所がなかった。凛子の親は長男と世間体ばかりを気にして、彼女を見向きもしなかった。優秀な成績も、将来の夢も、苦手ながら頑張った料理や運動のトロフィーも、全部どうでもいいゴミとして振り払い、放り捨てた。
彼女自身の意思を無視して厳しいだけで退屈なミッション系の女子高に押し込まれたとき、親から期待されないように、凛子も親に期待しなくなった。
“三年間の我慢。それで家を出られるんだから”そういって、彼女は笑った。
我慢が出来なくなったのか、それとも事件に巻き込まれたのか。凛子が失踪してすぐ、彼女の家は空き家になった。どうしたのかは知らない。色々と噂はあったけど、何にしろ凛子を心配している風ではなかった。それどころか、もう死んだものとでも考えたのだろう。訪ねた家の前のゴミ置場に、凛子の私物が捨ててあった。
これが、この世界に、彼女が残したものか。
驚くほど少ないそれを見て、あたしは泣くのをやめた。何かを諦めた。通っていた高校でも全校集会が開かれたけれども、結論は“素行不良だとこうなる”みたいなものだった。憤慨したのは、あたしだけだ。みんな半笑いで聞き流し、ひと月も経たずに忘れた。
所轄の警察署では、捜査を続けているといってたけど、具体的な話は聞けなかった。家でも学校でもたまに話題にはなったけど、皆もう絶望的だって思ってるのがわかった。生きているなんて、誰も思ってない。
「ああ、思い出しただけで腹立ってきた」
いや、他人のことばかり悪くいうけど……。
「……あたしだって、同じか」
ずっと、忘れようとしてた。凛子が戻ってこないことは、覚悟してたんだ。
ゴトリと、えらい重さのでっかい棒が机の上に落ちる。ビニールテープで厳重に巻かれたそれは、よくわからないので放置。段ボール箱のなかには他にA4の封筒がひとつと分厚いノートが一冊。開くと日記のようだが、例によって字が汚くてよくわからない。その下に、服が入っていた。広げると、白衣と高校の制服だった。名札を見ると、三枝と書いてある。行方不明になったとき、凛子が着ていたものだ。
一瞬やっぱり誘拐されたのかと思って青褪めたけど、綺麗に洗濯されプレスされて畳まれているのに違和感があった。
「……ん?」
服の上に、便箋が一枚。
開くと、凛子の字が踊ってた。
“ごめん。ぼくのオゴリで、東京行きなよ。真紀だいすき。しあわせになれ。”
オゴリというのが気になって、さっきの棒を切り開いてみると、それは金貨っぽいものだった。それが何十枚も積み重なって、棒になってる。ムッチャ重いわけだ。いや、あたしは、こういうのあんまり詳しくないんだけど……。
「ちょっと凛子、これ違法なんじゃないの?」
こういうところは変わってない。いつだってそうだった。他人の都合も気持ちも気にせず一方的に我が道を行き、振り返って勝手なことをドヤ顔でいうのだ。なにが“ごめん”よ。なにが“だいすき”よ。ふざけんなっつうの!
「謝りたいのは、あたしの方だよ! あたしの方が、ずっとずっと大好きだよ‼︎」
気が付いたら、部屋は薄暗くなってた。涙と鼻水でグチャグチャの顔で、あたしは便箋を握り締めていた。美大に行きたい。東京で、絵を描く仕事がしたい。あの頃のあたしは、ずっとそんなことをいってた。でも本当は、無理だってわかってたのだ。お金も才能も親の理解もない田舎の女子高生に、そんなの夢物語でしかなかったから。
地元の大学に進んでからも、絵を描くのはずっと続けてたけど。それは惰性でしかなかった。これは趣味。ただの遊び。そうやって諦めきれない夢を必死で忘れようとしてたのに。いまさら、遅過ぎる。こんなの、残酷過ぎる。
「……そもそも金貨で送られたところで、あたしにどうしろってのよ」
横によけて置いた大判の封筒を開く。カードみたいなものがモッサリと大量に入っていた。中身を机の上にぶち撒ける。もう、どうでもいい。どこでどうしているにしても、凛子は帰ってこないんだ。あたしはひとり、こんな田舎でしょうもない人生を……。
「お?」
それは、何十枚もの写真だった。最近あんまり見かけなくなった、ポラロイドカメラの写真。どれもよくわからない場所で、たくさんの人たちが写っている。人、たちが……?
「ちょ、え⁉︎」
ちっこい。いや、凛子もちっこいのだが、隣にいる子は、それ以上にちっこい。子供、なのかな。それに、そのまた隣の子は、耳が。
「猫耳?」
猫耳に、犬耳に、長ッ⁉︎ エルフ⁉︎
なにこれ、コスプレ大会⁉︎ 日本でもこれほど大規模なイベントは……って、これ本当にイベントか?
後ろに写っているのは、ええと……犬? どう見ても狼のように思えるんだけど、サイズがピレネー犬を超えている。他の写真にも別のポーズで写ってる。尻尾が動きでブレてるから、人形とかじゃない。表情はえらく懐っこい感じで、周囲の誰も危機感を抱いていないようだけど、リードも首輪もない。黄色い布を巻いてるだけだ。大丈夫なの、このイベント。
写真は、みんな違う場所だ。写っているコスプレイヤー……なのか役者なのか知らんけど、全部バラバラで大きかったり小さかったりいろんな服といろんな耳といろんな性別で、これ……何なの?
写真を裏返すと、それぞれ凛子の象形文字で説明らしきものが書いてある。
“妖獣スノーウルフのモフ。もふもふだからモフ(ヒネリなし)”
“苦労人のクマ獣人ビオーさん。もふもふ”
“人狼美少女メイファちゃんに、ルクル・ポーン・マイラ。もふもふ”
「なんだ、それ。もふもふしかいってねえし」
“シーサーペントの骨、でかい! 頭はマイソーしたって”
“ハーグワイ共和国の南領府、ラファンの市場。見たことない魚、意外とウマし”
“ラファンの冒険者ギルド、受付嬢ヅカ系巨乳猫耳美女(要素多過ぎ!?)”
“南領のお疲れ領主マッキン氏。独身”
“エルフの魔女エクラさん、百七十歳(極秘事項)”
“サルズの町の城壁と、えいへい隊!”
“ドワーフのターメイさんに教わって、魔物の解体にチャレンジ”
“魔物から出てきた、魔力が込められたタマ。グロい”
「いや、いやいやいやいや……待てや。その前に説明要るだろ、おい」
順番も時系列も関連性もガン無視で雑多にゴチャッと突っ込んであるから、何がなんだか全然わかんないんだけど。なんじゃこれ。イベントじゃないとしたら、あれじゃん。
写真の山を引っくり返していると、下からクシャクシャになった紙が出てきた。どうも目につくように添えてあったけど、輸送途中に封筒内で揉みくちゃにされてこうなったみたい。
さすが凛子、段取り下手なのも変わってない。紙には手書きの顔文字付きでバーンと太文字が躍っていた。
“マッキー大変? ぼく異世界に、転移しちった!”
「しちった、じゃねえ! なんだよそれ⁉︎ タイトルかよ、しかも読ませる順番おかしいだろ!?」
……まあ、それは凛子の責任じゃないか。こっちが開いてみた順番だもん。
「変わってないなァ……」
あたしはなんだかグッタリして、写真の山を眺める。ずいぶんいっぱい、いろんなとこを回って撮ったみたい。たぶん、あたしが異世界転移を信じてくれるように。そして、幸せにやってるんだって伝えるためにだ。
どの写真にも、凛子は写ってる。見切れてたり、照れて逃げようとしてたり、ブレて残像みたいになってたりはするけど。いろんな服で。いろんな顔で。いろんな場所で。いろんな人たちと。
“トラ獣人のティグさん、ルイさん巨乳!”
“海賊砦と、エルフの子たちCawaii!”
“サルズの町のボス、街区長ケルグさんとスイーツw”
“サルズの商業ギルドで集合写真、オッサン率高し”
「笑ってるし。なんだよ、それ。あんた、そんなニヘラッと肩組んで仲間に囲まれるようなタイプじゃなかったじゃん。リア充かよ、爆発しろ」
“ドワーフの美少女ミルリルちゃんと、カメラマンの魔王ヨシュア(郡山出身)”
“サルズの服屋。というより仕立て屋? ドワーフ職人マジ有能”
“着替えさせられた。冬なのに……むっちゃスースーする”
「……そのドレス、死ぬほど似合ってない……っていうか、なんだよ、それ。それじゃ……あんた、女の子みたいじゃん⁉︎」
なんか、ヘンなの。凛子、こんな女の子ぽい表情するようになったんだ。こんな幸せそうな顔して。こんないっぱい、いっぱい仲間がいて。どうも若い子より爺ちゃんとオッサンに可愛がられてるみたいだけど。あの子、亡くなった爺ちゃん婆ちゃんが大好きだったみたいだからなぁ……。
ジャングルみたいな背景に手前だけ雪景色という奇妙な集合写真があった。その真ん中で、イカみたいな船か飛行機かよくわからないものに跨って、凛子は開き直ったように胸を張っている。なんだこれ。
“ドワーフのハイマン爺ちゃんたちと作ったエクラノプラーン!”
えくらのぷらーん……とやらが何かは知らんけど、すっごく誇らしげで、幸せそうだ。
「そっか。凛子、やっと見付けたんだ。……自分らしく生きられる場所」
それが日本じゃなかったのは残念だけど。そこにあたしがいられないのは、すごく悔しいけど。でも、あたしも、もういっぺん本気で頑張ってみる。いつか見付けてみせるよ。
そして、あんたみたいに、笑ってみせる。




