277:遥かな囁き
内湾に入ったホバークラフトをそのまま陸まで乗り上げて、王子たちを降ろす。
「「「おうじー!」」」
子供たちがワラワラと駆けてくるのが見えた。見たところ元気そうで、動きも活発で、笑顔だ。
「「「おかえりー」」」
王子や双子に抱き着きキャイキャイとはしゃぐ年少組の後ろから、年長の女の子が歩いてくる。白のワンピース姿で穏やかに笑う彼女の横には、白雪狼のモフが寄り添っている。
「テニアン」
王子が声を掛けると、すっかりお姉さんな顔で頭を下げる。
「おかえりなさい、おうじ。よくぞ、ごぶじで」
「遅くなってすまない。テニアンには、大変な苦労を掛けた。本当に、感謝している」
「もったいない、おことばです」
「「……テニアン?」」
フェルとエアルが、子供たちと一緒にテニアンを抱き寄せる。いつものテニアンちゃんではあるんだけど、しばらく見ないうちに、ずいぶんと落ち着きが出ている。
でも、それは異常なのだ。
俺は知らなかった――もし知っていたら、もっと何か他の方法を考えたのかもしれない――けど、成長の遅いエルフにとって、十一歳はほとんど幼児なのだとか。いままで接してきたケースマイアンや共和国の子供たちが皆しっかりしていたから、それにテニアンちゃんも利発そうで落ち着きがあったから……俺は状況を甘く見ていた。アイヴァンさんの娘コリナちゃんが十四歳、冒険者カルモンの娘さんノーラちゃんが十一歳だけど、彼女たちに比べてテニアンや他の巫女さんたちは少し言葉が覚束ない感じがあった。それは外国人だからかなと勘違いしていた。
でも、それは言い訳だ。ミルリルから聞いた話では、人間の年齢でいうと半分くらい。となると、テニアンちゃんは人間の五、六歳だ。最初にそれを聞いたとき、俺は思わず蒼褪めた。そんな幼い子を(さらに幼い子たちのお世話を任せて)孤島に一週間近くも放置するなど完全な幼児虐待である。そこはもう、猛省するしかない。
「魔王陛下、妃陛下の助けもあって、ソルベシアでは数多くの仲間たちを救うことができた。いま、あの地は森に覆われて、百を超える同胞が平和な暮らしを取り戻している」
「それは、すばらしい、ごかつやく、でした。わたし、たちも」
動きを止めたテニアンちゃんの腕へと、モフが励ますように軽く触れる。
「……みん、な。……ちゃん、と、げんきに……して、まひた」
限界だったのだろう。テニアンちゃんはボロボロと涙を零した。エグエグと泣き崩れる彼女を双子が抱き締めて支える。ミルリルも一緒に細い身体をさすった。
「よしよし、よう頑張ったのう。幼子たちは、みな健やかに過ごせたのが見てよーくわかるのじゃ」
「……ちゃんと、ごはん、たべました。……ちゃんと、あたたかく、して、ねむりまひた。……だれも、ないたり、わがまま、いったり、……しない、で」
「そうか、そうか。 それもこれも、皆テニアンのお陰じゃな。おぬしのお姉さんぶりは、それは見事なものじゃ。その歳でテニアンほどの者は、魔王領ケースマイアンにもおらんのう!」
ワッシャワッシャと撫でくり回し、褒め称えて俺を見る。いや、うん。偉いとは思うし俺も賞賛してあげたいけどさ。あなたはここで俺に何をしろというのですか。お土産……とか? 何かあったっけな。武器弾薬兵器の他には……お菓子? いまの状況としては、なんか違うよね。かといって他の巫女さんたちに渡した滑車付複合素材弓も違ってる気がする。
すすすと近付いてきたリンコとドワーフ爺さんたちが、俺の横で素っ気ない木箱を手渡してくる。
「こんなこともあろうかと」
「なにこれ、もしかして」
「サルズの古い知り合いから、手に入れておいたんじゃ」
「ここぞというときの贈答用じゃがの。ここが最適の使い時じゃ」
この色気ゼロの箱、ぜったい“奇跡のルケモン”の作品だよね。ありがたいけど、本当に渡して大丈夫か!?
“なにしてんの”“どうした”“早くせい”といわんばかりの視線に押され、ダメ押しでリンコに突かれて俺は団子になったエルフの少女たちに歩み寄る。
「テニアン」
「……ふぁい?」
張り詰めたものが崩壊してしまったらしく、十一歳の“お姉さん”は涙と鼻水でベロベロになった顔を上げる。そのままではあんまりなので、サイモンからもらったシルクのハンカチを出して、顔を拭ってやる。
「此度の遠征の間、共和国ソルベシア租借地防衛の任、実に大儀であった。そなたの尽力のお陰で、魔王領ケースマイアンと、共和国と、ソルベシア王国との友好関係は結ばれた」
顔を拭いたハンカチはそのまま手渡し、その上に木箱を乗せた。テニアンちゃんは受け取ったものの、状況が理解できずキョトンとしている。
「これは、その友好と和平の懸け橋になってくれたそなたへの、魔王領ケースマイアンからの褒賞の品だ。ぜひ受け取ってほしい」
「「「え」」」
テニアンちゃんと双子は目を白黒させているし、王子は困惑している。正直いえば、俺もだ。
「……魔王陛下、それは?」
いや、知らん。開けてのお楽しみ、ではあるのだが実は不安の方が大きい。“奇跡のルケモン”のことだから危なっかしくてしょうがない。ここは、何か凄まじいものが入っていないことを祈るしかない。
「我らケースマイアンの民からの、ほんの気持ちだ」
「……ありがとう、……ございまふ」
開けてもいいかと目顔で尋ねられたので、内心ドキドキしつつ笑顔で頷く。包装も装飾もない木箱はふつうにカパリと開き、なかからネックレスのようなものが現れた。細いチェーンの先には、ごく小さな乳白色の玉。たぶん……魔珠だ。俺にとってはギクッとするような剣呑な光が瞬いたのが見えたものの、テニアンちゃんの手で持ち上げられると光は静まって濁りは澄んで透明なガラス玉に変わる。
「きれい」
「気に入ってもらえたか」
「……はい、とっても。……いただいて、いいのですか?」
「ああ、是非とも受け取ってほしい。ほら、付けてあげよう」
背中に回って、チェーンに触れると自然に分かれて再びくっついた。なんかゴッソリと魔力を抜かれた感じがしたが、気のせいだと思い込む。気のせい、だよね。ね?
「声が、聞こえます、魔王陛下」
おい! なんかテニアンちゃん急に雰囲気変わったぞ!? ルケモンさーん、アンタなにやらかした!?
「「テニ、アン?」」
王子と双子も察したらしく俺に目を向けてくる。いや知らんて。
「テニアン、声というのは?」
「ミリアンとマシアンの声です。ああ、メリアンとルキアンもいますね」
ウソだろ。ソルベシアにいる巫女の声か!? 七千キロ先だぞ!?
「西方神殿の……シャリエル、カイエル、オリクエルという方々も」
巫女通信の中継アンテナかよ。便利なのかもしれんけど、機構や機能がどうなってるのかはわからん。わからんことは、とりあえずスルーだ。
「そなたに、精霊の導きがあらんことを」
とかなんとか適当なことをいって逃げる。リンコとドワーフ爺さんたちを咎める目で見たのだが、満面の笑みでサムズアップしてきやがった。なんだよもう、助かったけど。
「なんだよあれ、機能は聞いてないのか?」
「女性が喜ぶもの、って頼んだんじゃ。喜んでくれたようじゃの」
「すごいよね、使い放題の携帯電話をもらったみたいなもんでしょ? メール機能とかないのかな。なかったら付けてもらう?」
「やめろ。お前ら、この世界の常識やら秩序やらを壊そうとしてるぞ」
「「「ヨシュアがいうか?」」」
ぐぬぬ……そこは反論できん。というところでようやく、船着き場にマッキン領主とエクラ女史が立っているのに気付く。感動の再会を邪魔しないように、ずっと待っていてくれたようだ。
「すみません、お待たせしました」
「いや、無事に戻ってこられてよかった。ここの子供らも、特に問題なく過ごしていたと思うが、寂しいのだけはどうにもできんからな」
「不在の間は、お世話になりました。色々あったものですから、帰りが遅れてしまいまして」
「アンタたちの活躍は、なんとなく伝わってきてたよ」
エクラさんの苦笑する顔を見て、俺はリアクションに困る。七千キロ先の話を、何で知ってる。というか、どこまで知ってるんだ。エルフには魔法的な長距離通信網でもあるのか。
「まあ、そんなことはどうでもいいんだよ。今日は、ちょっと挨拶をと思ってね」
あっさりと引いたエクラさんは、怪訝な顔になっているであろう俺に肩をすくめて、マッキン領主に説明を促す。
「短い間ながらも、色々と世話になった。恩を返せないままで心苦しいんだがな」
「ちょっと、待ってください。なんですか、いきなり。そんな、ふたりとも、それじゃまるで……」
小太り領主はこれまた困り顔で、俺を見て首を振った。
「お別れを、いいに来た」




