272:イカにして天を望む
着水した機体がすいーっと旋回しながらこちらに近付いてくる。背部にT字型の巨大なテイルウィング。その支柱の両端に樽のような物が付いているが、なかで羽根が回っていることからダクトファンかターボファンか要するにそれが推進器だ。動力は不明だが、着水前の速度を見る限り、出力は高そう。
「やっほーヨシュアひさしぶりー」
機体横で開いたハッチから顔を出してポンコツ聖女改めマッドエンジニアな元JKが手を振る。ケースマイアンにいたときは女子高の制服に白衣だったのが、ポケットのいっぱいついたカーキ色のツナギに変わっている。ドワーフ工房の制服だが、不思議なことに現在の格好の方が女子っぽく見える。少し髪が伸びたせいか表情が明るくなったせいか。まあ、幸せそうで何よりだ。
「じゃあ、この青い線の上に飛んでくれるかな」
俺はミルリルと王子と護衛のふたりを一気に抱え、機体の指定位置に転移で乗り移る。そこだけ色違いになった帯状の部分だ。なんとなくイカに似た白い機体の前後に延びた青い帯は、機体横のハッチを跨いでいる。
「あ、翼側には乗らないでね」
この青帯のところが、構造体として荷重に耐えられる桁の部分ってことか。航空機でも“乗るな”て注意書きがあるのを見たことがある。
振り返ってホバークラフトを収納し、状況を確認する。対艦ミサイルの攻撃を受けた敵の砲艦は三隻、どれも傾斜が激しくこちらを攻撃するどころではなくなっていた。距離は……一キロメートルほどか。周囲の僚艦も救助のためか被害艦に群がって、とりあえず向かってくる様子はない。
「おっけー、それじゃ入って入って」
リンコはそのまま俺たち機内に誘導する。機体の横にあるハッチは地下室の入り口みたいな簡素な跳ね上げ式で、ハッチというより戸だ。その剥き出しの断面を見て俺はギョッとした。
「……木!? リンコ、もしかしてこの機体、木製なのか?」
「そうだよ。主構造部は木枠に布張り。樹脂で硬化コーティングしてあるし、魔法による強化も掛けてあるから大丈夫」
「……大丈夫、って……ホントに?」
「うん、何度も構造計算したからね。むしろ有機物の方が強化魔力の浸透効率が高いんだよ。最大強化した機体でなら、理論上は音速超えも可能」
「やめて。少なくとも俺たちが乗ってるときは勘弁して」
「王子様を乗せてはやらないってば。いまは推力不足で、そんなに出ないしさ」
可能なら超音速にチャレンジしてたような口ぶりである。最高速度が時速千二百キロとかって、ないわ。しかも木造布張りの機体で。お前の前世はイギリス人か。
「おうヨシュア、元気そうじゃの」
「少し肉が付いたか? 貫禄がついたの」
俺たちが入ってゆくと、ドワーフの爺さんズが振り返って笑う。たしかに、美味いもん食って太ったのかもしれん。乗員は操縦席にリンコとハイマン爺さん、後部にある操作卓のようなところにカレッタ爺さんのドワーフコンビだ。ケースマイアンの技術マニア組だな。
「どうじゃヨシュア、凄いじゃろう」
「ああ、驚いた。まさか地面効果翼機を作るとはな」
「なんじゃ、知っとったんか」
軍オタなら画像を見たことくらいはあるし、興味を持ったやつなら動画も見てるんじゃないかな。ゲームとかでも出てたし。でも、その程度だ。当然ながら乗ったこともないし、実機を見たこともない。原理の理解も漠然としたものでしかない。
エンジン推力の問題か、機体サイズは小さく作ったようだ。縦横は二十メートルを切るくらい。機内は細長く天井も低く、容積はキャスパーやグリフォンの半分ほど。いまいる八人で、既にギュウギュウだ。
とりあえず初対面の両者を簡単に紹介して、顔合わせと状況確認を済ませる。直近の砲艦は黙らせたとはいえ、戦闘中なのであまり細かい話をしている余裕はない。
「狭くてごめんね。客席の後部は、ほとんどが燃料積載用の機内タンクになってるんだ」
「そんなに……っていうか当然か。普通の小型機は七千キロも飛ばないもんな」
「う〜ん、まあ航続距離だけでいえば、七千くらい往復しても平気なんだけど」
「動力は、ガソリン? ディーゼル?」
「ガソリンと魔力のハイブリッド。ストックしてあった龍種の魔珠七個を接続して、蓄えた魔力を動力に変換してる。経済速度なら一ヶ月は飛び続けられるよ」
「ああ、前にドローンの話で聞いたな。それじゃ、このまま戻れるのか?」
「そうもいかないんだよね。経済速度でなら、っていったでしょ。外洋では、魔力のほとんどを魔導防壁に回す必要があったんで……」
「燃料は、もうすぐ空ッケツじゃい」
「魔導防壁? 途中に敵でもおったのか」
ミルリルの質問に、リンコとドワーフ爺さんズがゲッソリした顔で首を振る。
「シーサーペントっぽいのを見かけたことは見かけたけど、それどころじゃなくてね。波だよ」
「……ああ、そっか」
ミルリルにはわからんと思うが、俺は何となく理解した。
“カスピ海の怪物”と称される地面効果翼機はソビエト連邦で独自の発展を遂げたが、他国に広まらなかった――というより自国でもホバークラフトに取って代わられた――理由のひとつが、運用状況の制限とリスクだ。船より速く飛行機よりも経済的で大量の輸送が可能、という触れ込みだったエクラノプランだが、実際には内海の黒海とカスピ海でしか使えなかったのだ。おまけに、悪天候や高波や航行する他の船や漂流物にぶつかると航空機に近い軽金属の機体は簡単に壊れる。
まして木製フレームに布張りのイカなどひとたまりもないだろう。魔法による強化がどれほどのもんか知らんが、推力分を回す必要があったってことは通常状態での強度はそう高くない。
「途中に大荒れの海域があってね。波浪が十メートル越え。地面効果を望むどころか、着水しただけでバラバラになりそうな荒天だったんだよ」
「おぬしら、それでどうしたんじゃ」
「魔導防壁を重ね掛けして、あとは気合」
リンコがついーっと手で直進したことを示す。すげえ男前な選択だ。そんなんに乗りたくないけど。しかしケースマイアンの連中って、ものっそい地味ーなとこだけファンタジーだな。
「これ、高度は上げられないのか?」
「燃料を気にしなければ上がれるよ。そのまま継続して回せるのかどうかは、やってみないとわかんないけど」
よし、帰りは最悪それで行こう。多少のガソリンくらいあるし、必要ならサイモンから買ってくる。
「ヨシュア、後で魔珠に魔力補給を頼めるかな」
「了解。それじゃ、先に用事を済ませようか」
まだ混乱の只中にある帝国艦隊だが、一部がこちらに向かって回頭しているようだ。砲艦らしい二隻が救助艦艇を蹴散らすように離れていた。
「旗艦はどっち?」
「右じゃ。先頭の砲艦が小舟を引き連れて向かってきよるぞ。移乗戦闘艦とかいうたかの、接弦戦闘部隊を乗せた船じゃ」
この期に及んで、俺たちと殺し合いができると思っているのか。連絡用の巫女さんたちを回収したから、状況把握ができずにいるせいかな。陸地が一瞬で密林に覆われた現状を見れば、上陸した部隊が全滅したことくらい理解してもいいと思うんだけど。
「リンコ、念のため離れて待機できるか」
「大丈夫だよ。上空支援も可能だけど」
「いまはいい」
ガソリンのドラム缶二本と給油ポンプを渡して、燃料補給を頼む。
「魔王陛下」
自分のPPShを持った王子の後ろで、護衛の双子が訴えるような目をしている。
「王子とミルリルは運ぶが、フェルとエアルは無理だ。悪いけど、ここで待っていてもらえるか」
不満なのだろうが、彼女らも移動手段が俺の手持ち転移でしかないことは理解している。ゴネたところで無理なものは無理だし、足手纏いにしかならないこともわかっているのだ。不承不承、ふたりは頷く。
「「……王子を、頼む」」
「無論じゃ。擦り傷ひとつ付けずに戻すぞ。魔王夫妻の名に懸けてな」




