270:最後のひとり
「……これは、いつまで続くんだ」
「おい、やめろ。あいつらに放り出されたいのか」
「こんなことをして、ただで済むわけがないのに」
コソコソと身勝手な泣き言を漏らす村人を無視して、俺は運転席に着いた。だが実際、このまま海岸線まで攻め込むのには無理がある。
分厚い装甲で室内が圧迫されたキャスパーは狭く、後部コンパートメントは十人程度の乗員しか想定していないのだ。半分は子供とはいえ二十六人が詰め込まれている現状はギュウギュウで、都心の満員電車のようになっている。
海までの距離は、まだ二キロ以上はあるか。ここからでは水平線がギリギリ見えるか見えないか。俺の目では船のシルエットもろくに視認できない。
「……ミリアン、子供達の容体は」
「もう、へいき、です。おさが、ちゆまほう、ひきついで、くれました」
振り返ると、子供達は水を飲んで携行食を与えられているところだった。衰弱してはいるんだろうが、いますぐ問題になることはなさそうだ。しかし……。
「最後のひとりの、反応は」
「とおい。それに、すごく、よわい、です」
焦りが思考を空転させる。ここは一度、崖の上まで戻るべきか。その後でミルリルとふたりで船まで飛べば身軽だし話も早い。行って帰って、小一時間もあれば……。
「ヨシュア、おぬしにじゃ」
銃座のミルリルが俺にヘッドセットを手渡してくる。通信機、てことはリンコか? 海岸線まで拾いにきてくれてたんだっけ、すっかり忘れてた。
「俺だ」
“ああ、お待たせー! いま着いたよ!”
えらい騒音とともに、ポンコツ聖女の弾む声が耳に入ってくる。どういうテンションなんだか。
「着いた?」
“なんか岸に船いっぱいあるけど、これ敵だよね? 吹っ飛ばしていい?”
「ダメだ! そこに人質がいる!」
“……そうなの? 上空のドローンからは見えないけど……あ!”
「おい、“あ!”ってなんだよ⁉︎ 何が見えた⁉︎」
“いま旗艦ぽいのが、帆を上げたみたいだね。たぶん、出航しようとしてる”
「冗談じゃねえぞ、ミル……」
いや、ダメだ。二十六人プラス三人を装甲車にギュウ詰めにしたこんな状態で、海岸線まで出たって何にもできない。
ここでホバークラフトのグリフォンに乗り換えて……いや、キャビンの容積はそう変わらないし、そもそもグリフォンの装甲は無いに等しい。戦闘中はエルフたちをキャスパーに放置することになる。まだ平野のどこにどれだけ敵が残っているのかもわからないから、降ろすわけにもいかない。崖の上まで送り届けている時間もないし、キャスパーの運転は俺にしかできない。
かといって炎天下に窓も開かない車内に詰め込んだまま置き去りとか、パチンコ屋の駐車場じゃないんだから。檻に入れられた状態よりひどい。
八方塞がりだな、これ。
「まおう、へいか」
運転席で悩む俺に、ミリアンが南を指し示す。
「おうじが、もりを」
「森を、どうした?」
「ひろげて、います」
「は?」
銃座から顔を出すと、崖の上から緑の光が放たれているのが見えた。何をどうしたやら魔力の大盤振る舞いだ。平地目掛けてシャワーのように降り注いだ緑の光は着弾すると超巨大なポップコーンみたいに次々と爆ぜて木々を生み出し、荒れ地は見る見る緑に呑まれてゆく。そこにいた生き残りの馬や物資や帝国軍兵士も巻き込んで押し潰し打ち砕き引き千切りながら蹂躙し、緑の瀑布は四方八方に食指を伸ばしながらグングンと広がっていった。下生えが死体の山でポップして、ニョキニョキと樹木が生まれる。既に見たものではあったが、手の付けようもない凄まじい力は、ほとんど天災だ。
「何してんだ王子、っていうか、あれ……」
「こっちに、近付いて来ておるのう」
距離があるから実感は薄いものの、緑化エリアは凄まじい速度で膨張し周囲に溢れ出しているのだろう。縦横十キロ近かった平地が、あっという間に密林へと変貌してゆく。
「……なあミルリル、もうキャスパーじゃ坂の下までも帰れないんじゃないか?」
「そうかもしれんのう」
銃座で顔を見合わせる俺たちに、ミリアンが声を掛ける。
「おうじが、すぐ、くると」
「なんでわかる」
「みこの、ことよせ、です」
言寄せ。エルフの通信か。詳細は知らんけど、植物を媒体にして行えるとか、いってたような。
「巫女と巫女とは、離れても話ができるんじゃのう?」
「はい。もう、しゃっくる、ないですから。はなし、できます」
逆にいえば、帝国軍に使役されていたときは拘禁枷で自由に話せないように縛られていたのか? まあ、それはいいんだけど。
「王子は、ここまでどうやって移動するんだ」
ミリアンは、あれこれ弾き飛ばしながら連鎖爆発して行く緑の爆弾を指す。
「あれに、のって」
「「え?」」
キャスパーのすぐ近くにまで飛び火した“恵みの通貨”で緑の誘爆が起き、跳ね上がるように出現した木に崖の上から飛来した緑のロープが突き刺さる。蔦のように巻き付いたロープが樹木をアンカーとしてガッチリと固定された。
遥か彼方の崖の上から、ロープを伝って何かが滑ってくる。何かも何も王子なんだろうけどな。
「おいおい、あの距離をジップラインか?」
よく見ると王子と護衛のふたりだ。さすがに腕力だけでホールドしているのではなく、三人乗りのゴンドラのようなものに乗っている。木で出来てる風だから、たぶん“恵みの通貨”によるお手製なんだろう。
「ほう、あれは面白そうじゃのう」
ミルリルさんは興味深そうに見てるけど、誘われても俺は乗らないからな。
「魔王陛下、妃陛下」
最大で二百メートル以上の高さがあるとこから滑ってきたというのに怖がる様子もなく、近くまで来ると王子と双子はヒラリと飛び降りる。ゴンドラはその勢いのまま木立にぶち当たって砕けた。やっぱ俺は誘われても乗らん。
銃座から降りて出迎えた俺たちに、王子は頭を下げる。護衛の双子は渡しておいた滑車付複合素材弓を構え、周囲を警戒する。
「ご尽力ありがとうございました。お怪我はありませんでしたか」
「無論じゃ。二十六人は救出したんだがのう、残るひとりが海軍の連中に連れ去られたようじゃ。これからふたりで船に乗り込もうかと思っておる」
「俺が来たのは、それです」
「……それ、とは?」
「海上にいる最後のひとりは、魔力の反応がひどく弱いのです。正確には、魔王陛下の戦闘を見てから反応が急に弱まり、北の海岸線へと移動し始めました」
「連れ去られて、死に掛けているとか?」
「崖の上から見ていたところ、帝国軍は、そのひとりだけを船まで運んで、そのまま出航しようとしています。帝国にとって価値のある人材。だとしたら殺しはしません。隠蔽魔法を使った、と考える方が自然です」
急速に、嫌な予感がし始めていた。いや、それが予感じゃないこともわかっていたのだ。俺は王子の言葉を待つ。ここから先は、救出じゃなくなるんだろうなと暗澹たる気持ちで。
「隠蔽のように高度な魔法は、魔力の制約があっては使えない。あいつは拘禁枷を着けられていないのです。おそらく連れ去られたのではありません」
「あいつ、というたな。おぬしの知り合いか」
ミルリルを見返した王子の目が、ひどく暗い色を湛える。
「……おそらく、ですが。俺の予想が正しければ、あれは第二王子ミアン。俺の異母兄で、帝国に加担してソルベシアの崩壊に手を貸した、売国奴です」




