265:渓谷の村
「煙が、濃くなっておるようじゃの」
「煙の方に向かうか?」
「いや、そのまま前進じゃ。逃れてきた者たちは、あの岩山から来ておった」
すぐに銃座から、戦意に満ちた声が返ってくる。
「戦場は、そこじゃ」
北東に見えている渓谷に向かってキャスパーを進めると、逃げてくる一団に出会った。今度は老人や子供を守って避難している若い世代、といっても王子たちと同じか少し上くらい。エルフの年齢は見てもわからんが、人間でいうと十代後半といったところか。
向かってきたキャスパーの巨大な車体を見て身構えるが、銃座のミルリルが彼らを宥める。
「落ち着け、助けに来たのじゃ。負傷者はおるか?」
「あ、ああ……いや、いない」
先ほどと同じようにエルフたちから拘禁枷を外し、水と携行食料を与えて南に向かうよう伝える。もう動けないという老人のために簡易テントを立て、水と食料を多めに置いた。
「じゃあ、ここを避難民の中継地点にする。先に森まで向かった連中が、助けを連れて戻るはずだ。少し待ってろ。俺たちは救出に向かう」
車に戻ろうとした俺たちの背後で、婆さんがハイダル王子を見て呟く。
「……あなた、さまは」
「ああ。国を滅ぼした無能の末裔だ。苦労をかけてすまぬ」
「とんでもございません、これは我らの咎」
頭を下げた王子に、老婆は自分たち愚かな先人が招いた結果だと答える。
「この命で救えるだけの民は救いたいと、死の淵から戻ってきた。若造の思い上がりとわかってはいるが、それでも諦めることができんのだ」
「勿体ないお言葉でございます」
平伏する老婆と若者に背を向け、王子は俺たちを追ってキャスパーの車体横に飛び乗る。すぐ降りられるように車内には入らず、そのままつかまって行くようだ。
「魔王陛下、お願いします」
「ヨシュア、前進じゃ。四半哩ほど先で戦闘音がしておる」
いくつか砂丘を通過して稜線上に出ると、弓や手槍で抵抗しているエルフらしき男たちがいた。戦っている相手は革の胸当てに反りの入った片手剣を持った男たち。装備が共通化しているので兵士なのだろうが、森になった連中よりも装備や服が簡素だ。
「王子、あれは」
「帝国の水兵です」
「海軍の兵士? でも海までは、まだ百哩近くあるんじゃないのか?」
王子たちの説明によると、北の海岸線まではフラットな路面を百哩前後。北東に向かうと海への直線距離はずっと近いが、険しい岩山やら崖を越えて行く必要があるのだそうな。
「それにしても、内陸深くまで入ってきたもんだな」
「「帝国海軍で、上陸戦での戦果は個人の取り分」」
欲をかいて深入りしたってことか。三十ほどの水兵たちは、ミルリルが放ったPKMの銃弾で死んだ。
「魔王陛下、少しだけ待ってください。“恵みの通貨”を使います」
いってる側から魔力の噴出が始まり、水兵たちの死体が十メートル四方ほどの森に変わる。それで王族だと気付いたのだろう、応戦していたエルフたちが膝をついて祈りに似た姿勢を取る。
「行ってください。まだ先に、戦っている者たちが」
「おるの。ヨシュア、その岩山の先じゃ、右から回り込んでくれんか」
「了解……あッ」
車を出しかけた俺は思い出して振り返り、エルフたちの拘禁枷を収納で剥ぐ。ちょっと距離があったので個別照準を併用したのだが、何人か失敗して痛そうなリアクションを取られてしまった。再挑戦して、結果的にはどうにか自由にしてやれた。いま降りてく時間はないので、すまん。
「見えたぞ、敵じゃ」
俺には視界外だが、銃座から掃射された小銃弾が遙か彼方で血飛沫を上げる。岩山を回り込んだときには、同じような戦闘装備の水兵たちが事切れていた。
そこでも王子が通りすがりに“恵みの通貨”を使い、まばらに広がった林を作る。どんどん手慣れてきてる気がする。
「王子、まだ敵はおるぞ。使い続けて魔力は大丈夫なのかのう?」
「ご心配なく、妃陛下。消費される力のほとんどは死んだ者たちのものですから」
それは結構、だけど緑の端がユラユラと揺れているのが怖い。風じゃないよね。絶対、俺たち狙ってるよね。
「この草とか、人間が近付くと食われる?」
「数日は活性化が続きますから、周囲の恵みを得ようとします」
フワッとした表現にされたけど、答えはイエスだ。それを聞いた俺は、慌てて針路を変更する。さすがにキャスパーごと取り込まれることはなさそうだけど、好んで近付きたくはない。
「しかし、便利だな“恵みの通貨”。これ、たぶん避難民たちのシェルターにもなるし、敵の追撃を防ぐバリケードにもなる」
「……ここまで逃げて来られるものがいれば、じゃな」
「そうね」
さらに奥に行くと、エルフらしき貫頭衣の男女の死体があった。それを剥ごうとしている水兵をミルリルが射殺して、王子が敵味方の死体を丸ごと小さな林に変える。
「王子……なんというか、良いのか?」
「はい。自らの命を森に返すことができるとしたら、エルフとしてそれ以上の喜びはありません」
「そんなもんかの」
流れ作業のように五十人ほどの水兵を殺し緑地を広げながら前進して行くと、渓谷の出口が見えてきた。
直径十メートルほどのトンネルがあり、出口の両側には枯れた倒木を組んだバリケードのようなものが置かれている。倒木の陰には、何人か倒れたまま動かないエルフがいて、生き残った十人ほどが必死に矢を放っている。
「何やってる、押せ押せ!」
「魔族は死に損ないが十人だぞ、攻め込め!」
トンネルのなかでは数十名の水兵たちが陣取り、数枚重ねた木製の盾を前面に置いて攻め込あぐねている。エルフの長弓は木の盾に刺さって止まり、露出部分を射抜かれ倒れた水兵は後続と入れ替わって、また剣山のようになった盾を構える。
いままで見てきた水兵たちはここを突破したのか回り込んだのか不明だが、敵の本隊はこいつら、もしくはトンネルの先にいるようだ。
「ヨシュア、撃っても良いのか。穴蔵の先が見えんのじゃ」
「巫女さんたち、この穴の先にエルフの仲間はいるか?」
「「「「よわい、すごく」」」」
運転席の後ろに集まっていた巫女たちの声が、震える声で告げた。
「「「「いま、きえた」」」」
「もう感知できる範囲に、仲間の命は感じません」
「ミル」
「了解じゃ」
凄まじい勢いで銃声が響いた。小銃弾が重ねた木の盾を易々と粉砕し、後続までまとめて水兵たちを薙ぎ払う。静かになったトンネルの前で、エルフの射手たちが振り返る。ようやくこちらに気付いたらしい。キャスパーから降りた王子に、恐る恐る近付いてくる。
「お前たちは、どこから来た。それに、逃げた者たちは……」
答えあぐねる王子に、ミルリルが銃座の上から助け舟を出す。
「通りすがりの者じゃ。行きがかり上、おぬしらが逃したお仲間にも手を貸した。いま三十名ほどが、南に逃れておる」
「南? 砂の海にか?」
「なに、百哩ほど行けば、“恵みの通貨”で森ができておるからの。もうすぐ助けを寄越してくれるはずじゃ。おぬしらも向かうと良い」
「……そんなはずは、ない」
「信じる信じないは勝手じゃ。この穴の向こうが、どうなっているかだけは教えてくれんかの」
「無理だ、行ったって死ぬだけだぞ!」
ミルリルの合図で、俺たちを止めようとしていたエルフたちの拘禁枷を収納で剥ぐ。
ボソリと目の前に放り出された枷の束を見て、屈強な男たちがあからさまに怯む。
「気遣ってくれるのは、ありがたいがの。わらわたちは、死なんのじゃ」
「……あ、ああ」
その間にも、キャスパーから駆け下りた巫女さんたちが倒れたままの男たちに治癒魔法をかけて回る。全員とはいかなかったが、手分けして対処した結果、何人かは命を取り留めたようだ。
「後は任せよ。おぬしらは南に向かうのじゃ」
「感謝する」
男たちに見送られて、俺たちはキャスパーでトンネルに入って行く。内部に折り重なった死体は、その場で森にもできないので俺が収納で預かっておくことにした。
「カイマニの村は全滅かの」
エルフの戦士たちが皆の脱出を支援しながら村を出たときには生き残りはいたらしいが、それは殿軍として残った者たちだ。総勢百近い水兵が南下したということは、無事でいる可能性は低い。
それでも。
「行くしかないだろ。もしかしたら、まだ生き残ってる者はいるかもしれない」
トンネルを抜けたところは、岩山に守られた直径一キロ弱の窪地だった。かつては長閑な隠れ里だったようだが、いまは破壊された物資とエルフの死体が転がる修羅場に変わっていた。家や死体を漁って略奪に勤しむ兵士の一団が、こちらを見て呆けたような笑みを浮かべた。敵なのか何なのかも理解できないのだろう。なかには指をさして笑う馬鹿までいて、帝国海軍の程度が知れた。
「生存者は」
「「「「いない」」」」
「……そうか、それは残念じゃの」
巫女さんたちの返答に、ミルリルが吐息を漏らす。続く言葉には失意と慈しみが混じっていた。
「カイマニの民よ、天で見ておるが良い。せいぜいこの地を大きな森にしてくれるわ、クズどもの骸でのう」




