263:聖者のスーベニア
エルフたちの話し合いの間、俺たちは側車付バイクのウラルを出して、周囲の偵察を兼ねたツーリングに出た。キャスパーは目印として集落の前に停車したままだ。当然、危ないので車内の銃器は収納しておいた。王子と護衛の双子には各自一丁ずつのPPShを装填済み弾倉とともに渡してあるので、もし集落に帝国軍の襲撃があったとしても俺たちが戻るまでは耐えられるだろう。
砂丘を超えて南に十五分も走ると、迫ってくる森の北端が見えた。思った以上に緑の侵食速度が速い。いまや樹冠が高く下生えも密生していて、馬どころか人の足でも踏破するのに苦労しそうなほどの密林である。バイクなど問題外だ。
大きく迂回して西側に回り込むが、東西の広がりも激しく、南側への通過は断念した。
草木の間を縫って走り抜けることもできるかもしれないけど、ソルベシアの民でもエルフでもない俺たちは、下手すると植物に食われかねん。
「このまま森が広がっていったら、西側にあるとかいってた帝国軍占領地の町だか城塞だかも森に呑まれるな」
「この地で暮らすエルフの楽園が再生するのであれば、それは悪くないことじゃ」
それはまあ、そうなのだろうが……俺の目には“緑化による自然の再生”というイメージからはほど遠い、ひどく暴力的な結末に思える。
部外者でしかない俺が批判する筋合いではないし、反対する気もないけど。
小一時間ほど走り回ってみたが、俺の視力ではもちろん、ミルリルの視力をもってしても帝国軍は影も形も見えない。逃げたか死んだか森に食われたかだ。その上、昼にもなっていないというのに日が陰り始めていた。南西側の空に、厚く暗雲が掛かっている。
「ゴロゴロいうておるが、あれは遠雷砲ではなく……」
「本物の遠雷ぽいね」
急激に膨張した森が空気中に水分を発散したせいだろうか。そんなにすぐ天候に変化が現れるものなのか、俺にはわからんけど。
「まあ、よいわ。砂だらけのままでは人が暮らせん。多少の水が増えたところで悪いことでもあるまい」
たしかに、俺も最初は、そう思ってた。
「ないわー」
集落から南西に数キロメートルのところで、俺たちはバイクでの移動を断念するしかなくなっていた。スコールのような豪雨が降り注ぐなか、渦巻く濁流に行く手を阻まれたのだ。回り込もうにも行き場はなく、大小の支流に阻まれて戻ることもできない。泳いで渡るのは自殺行為だし、いまいる平地まで流れ込む水でズブズブと湿地化し始めている。
詰んだな。
「極端過ぎるだろ、ソルベシア。これ、元は河じゃなくてただの窪地だよな?」
「わらわも文献でしか知らんが、おそらく逆じゃ。この地の河は、乾季にはただの窪地のようになっておるだけなのであろう」
「そういうことか。まあ、結果は同じだけど」
植生が乏しい砂漠地帯だと、土地に保水力がないんだろうな。森ができて、これからは変わるのかもしれんが。
そんなことより、いまはここから脱出するのが先決だ。ウラルは完全にスタックしてしまったので、収納してグリフォンを出す。
「ほう、“ほばーくらふと”か。これなら水でも平気じゃの」
「まあ、とりあえず、なかで雨宿りしましょうかね」
ずぶ濡れの俺たちは船内に逃げ込み、大判のタオルを出して乾いた服に着替える。グリフォンのなかでしばらく待っていると、豪雨は嘘のように過ぎ去って、また日が差してきた。
空気中のチリや埃が雨粒ともに消えたせいか、空は澄み渡り空気はふわりと柔らかに清浄な爽やかさを運んでくる。
「このまま日照りが続くと、あの河も消えるのじゃな」
「そうだろね」
砂漠で暮らした経験どころか訪れたのも初めてな俺には、どうにも馴染めない環境である。
「面白いのう……世界は驚きで満ちておる」
初めて見る土地の風景にキラキラと目を輝かせるミルリルさんを前にして、海外旅行って若いうちに行っておくべきだよな、などと俺は場違いな感慨を持つのであった。
そのままベンチシートでお昼寝に入ったミルリルさんに毛布を掛けて、俺はとりあえずサイモンに結果報告を兼ねた訪問をしてみることにした。前回の接触では、何か用があったみたいだしな。
「市場」
サイモンはどっかの執事みたいなピシッとした格好で腕を組み、演台に肘をついて何やら考え事をしていた。
「どしたサイモン」
「おうブラザー、久しぶり。あの後は大丈夫だったか?」
「お陰さんでな。なんとか乗り切った。砂漠の国で縦横何十マイルって大森林を生み出す奇跡の御業とやらを見せられたぞ」
サイモンは笑う。
「アンタはいつも楽しそうな経験をしてるな。まあ、無事に済んだんなら何よりだ。今日は何か御用でも?」
「ああ。エルフの喜ぶような土産を考えてくれ」
「……また、わけのわからん話を持ってきたな。アンタはどこに向かってんだ」
「知らん。俺が望んだ出会いじゃねーし」
「だいたい、なんだエルフって。俺は詳しくないけど、あれか。SFのモンスターだろ?」
「エルフはモンスターじゃねえ。耳と寿命が長いだけの人間だよ。お前、それこそ人種差別主義だぞ?」
「そんなこといわれてもな。何を食って生きてるのかも知らん相手が何を喜ぶかなんて、わかるわけが……ああ、シルクとかどうだ?」
このミスター・モノポリーはいきなり商売人の顔になったぞ。これは、提案じゃなく商談だな。
「……わかった。それ、お前が買い取った縫製工場の商品だろ」
「わかるか」
ニッと悪びれない笑みを浮かべるあたり、こいつは意図して隙を見せたようだ。よほど嬉しいことでもあったか、だらしなく鼻の下が伸びている。
「わかるに決まってんだろ。なんだよ、そのニヤケ顔。工場の女性労働者と良い仲にでもなったか?」
「馬鹿いうな。世界で最高の女と、世界で最良の女は家にいる。他の女なんて要らんさ」
「そりゃどうも。ちなみに、どっちが奥さんだ?」
「それで、再稼働した工場なんだけどな」
……こいつ、俺のツッコミをスルーしやがった。
しかし、サイモンも真面目になったもんだな。天使の加護は阿呆にも効くのか。
「ほら、見てくれ」
あれこれ書類を引っ掻き回して、サイモンはまた何葉か写真を出してきた。広くて明るい場所で、大勢のひとたちが並んで飯を食っている。みんな揃いの制服を着ているから、工場の食堂なんだろう。
「へえ、食堂作ったんだ?」
「おう、美味いもん食わせろってのがスポンサーの意向だったからな」
料理も写ってるが、なかなか美味そうだ。ずいぶん年齢層バラバラだな。ていうか……。
「おい、子供が写ってるけど、お前、子供まで働かせてるのか?」
「まさか。倉庫を改装して食堂を作って、ついでに託児所も付けたんだ。縫製工場じゃ労働者のほとんどは若い女性だからな。これが大評判で、求職倍率マイナスから三十倍まで一気に爆アゲだ」
嬉しそうに胸を張る。そうだよな。あんな天使に愛されてるやつが子供を虐待するってこともなかろう。
「そっか、悪かったな。お前のそういうとこ好きだぜ?」
「いや、俺には愛する妻が」
「やめろ、そういう冗談は好かん」
照れ隠しなのか大笑いすると、サイモンは色々な服と反物の山をワサワサとカウンターに載せた。
「これを持ってってくれ。うちの自信作だ」
暑い地方らしく薄手の生地が多いから、ソルベシアのひとにはちょうど良いかもしれないな。ありがたくもらっておく。
「しかし、アンタのアイディアには驚いたよ。さすが魔王陛下の御慧眼ってところだな。ずっと労働者確保に難儀してたのを一気に解決したのが、労働者の食堂だ」
「……ん?」
ちょっと、よくわからないな。働き始めた労働者が喜ぶなら理解できるけど、求職者が増える? 貧困層向けの施策とは聞いたけど、そのひとらがどのくらい貧しいのかわからん。福祉の状況も知らんしな。
「サイモンの国に給食制度とかは?」
「もちろん、学校にはあるさ。ミル=ヨシュア初等学校では無償だし、高等学校でも格安で出してる。でも、労働者に出すって発想はない。そもそも労働者の口を当て込んだ周囲の飲食店からクレームがつく」
「そこの縫製工場は?」
「前の経営者が最低のクズだったんで、かなり酷い労働環境でな。しかも、周囲の飲食店も経営者の紐付きで、法外な値段で搾取の片棒担いでた。経営権を引き継いだ後、役立たずの中抜き業者や工場内のリベート野郎は全部潰して追い出したんだがな。そうしたら嫌がらせで、工場から半マイル圏内に飲食店が一軒もなくなった」
「……いや、それダメじゃん」
「逆にやりやすかったぜ? 用地買収も楽だったし、周辺住民も協力してくれた。カネさえあれば、新規業者の誘致なんてどうにでもなる」
そこまでいって、サイモンは苦笑した。
「まあ、それは成功した後だからいえるんだけどな。経営者が変わったっつったって、外から見たら壁と看板を塗り替えただけだ。前のイメージが残ってるから信用はゼロ、募集賃金を引き上げたって、前の守銭奴が大嘘の好待遇で無知な貧民を掻き集めては使い潰すので有名だったから逆効果ときたもんだ」
「ああ、そこで食堂か」
「そうだよ。美味い飯に釣られて、ってのもないわけじゃないが、それよりも“労働者に美味い飯を出すような経営者なら、信用できる”ってところじゃねえかな」
「おまけに子供まで飯付きで預かってくれるっていうなら、なおさらだな。……それはいいんだけど、工場は公営化するっていってなかったか」
「ああ、そうだ」
「奥さん家は政治家の家系って聞いたけど、サイモン自身はふつうにビジネスマンじゃないのか?」
それが面倒臭い話なんだけどな、と聖人様はニヤケ顔を曇らせる。
「公営に移行する前に、ある程度は経営改善しないと市が損益を丸被りになる。そんなもん稟議が通るわけないだろ。俺が買い取って経営改善したら半分民営、半分公営。その後で、公営化の交渉に入るんだよ」
なんでまた。それは一介のビジネスマンがすることじゃないだろうよ。国だか市だかのパトロンにでもなる気か? それとも、最終的には利益が見込める算段でもあるのか?
疑問はあったが、俺は口出しするのを止めた。
サイモンには、どうも自分で決めたゴールがあるようなのだ。いつもヘラヘラと軽薄に笑ってはいるけれども、内奥に秘めているその目的は、理想やら信念やらという言葉で片付けるには仄暗いもののように思える。
最も近い言葉でいえば、“復讐”なのかもしれない。
貧困か犯罪か虐待か社会的差別か知らんが、“自分に力さえあれば”と思って溜め込んでいた情念を、いまになって社会へとぶつけているように見える。
「……ああ、大体それで合ってると思うぜ、ブラザー」
「何もいってないけどな」
「アンタ、考えてることが全部、顔に出てるって良くいわれるだろ」
いわれるけどさ。お前にまで以心伝心かよ。どんだけ考え丸見えなんだ、俺。
「俺の爺さんは、家もカネも妻も地位も名誉も全部奪われて、最後は道端で野垂れ死んだ。二ドルで」
サイモンは指を銃の形にして、自分の頭に向ける。
「クズに雇われたチンピラに撃たれてな」
暗い笑みを浮かべていたサイモンは、真顔になって俺に頭を下げた。
「すまん、アンタには嘘を吐いてた」
「あ?」
「工場な、登記上は“ミル=ヨシュア縫製工場”なんだけど、みんなドゥバックスって呼んでる。こっちの方言で、“二ドル”だな。俺の爺さんがクズに奪われたときから、ずっとだ」
「お、おう?」
「前の工場経営者……爺さんから全てを奪ったクズと、その取り巻き連中が俺の再出発を邪魔しようとしたときに、“殺しの二ドル受注”が相次いだってよ。笑えるだろ。いまじゃ殺しの依頼なんて、二百ドルでも受ける奴なんかいないってのにな」
まったく笑えないが、俺は口元だけ笑みを浮かべる。いまや紳士然としたサイモンの慇懃な笑みが、どんよりとした影に彩られていた。
「捕まって叩きのめされて、簀巻きにされた経営者の前で、長年犯罪組織を牛耳ってきた街の古株が、こう示して」
サイモンはピースサインを出す。
「いったんだとさ。お前らの殺しは、ひとり二ドルだ。ただし、カネの受け取り先は教会だってな。殺し屋たちが、払ったんだよ。馬鹿どもを殺すための、参加料としてな。近隣の裏稼業連中全員が、それぞれ二ドルを献金箱に突っ込んで、こういったらしいぞ。“一ドルはミル陛下のために、一ドルはヨシュア陛下のために”」
「おい、話を作るなよ」
いやいやとんでもない、って感じで両手を広げて首を振るサイモン。なんだよ、そのイラッとするオーバーリアクション。アメリカ人か。
「いや、普通に考えて人名入りの病院と学校と工場が急にバンバン建ち始めたら、あれは誰だって話になんだろうよ。アンタたちが救世主として名が通ってるのは本当だ。献金箱が一ドル札でいっぱいになったってのも本当。何十人もの殺し屋に追われて、前の経営者たちが国境の向こうまで逃げてったこともな」
「そら結構。それで、その前のヨタはどこまで事実なんだ?」
「……さあな。機会があったら教えるよ」
俺に紙束を押し付けて、サイモンは一方的に接続を切った。異常な好景気と治安改善を支え、彼の地に福音をもたらした神の御子の内面は、再びニヤケた仮面の奥に消えた。
グリフォンのベンチシートで目を覚ましたミルリルさんは、俺が抱えていた紙束を見て首を傾げた。
「なんじゃ、それは」
「さあ。例の商人に押し付けられたんだけどな」
バサバサとこぼれ落ちたそれを拾い上げると、それは黄ばんだ便箋やら包装紙の切れ端やらチラシの裏やらに書かれた手紙だった。
「なんと書いてある……いや、これは本当に字か?」
「たぶん」
どうやら子供のものらしく、字か絵かもわからん線が豪快に踊っていた。英語なのか現地語なのか、癖のあるアルファベットで書かれたそれを、俺は頑張って解読する。
“こーじょー”
“しょくどう”
“ちーずとーすと”
“ふらいどちきん”
“にくいっぱい、しちゅー”
“ましゅぽてと”
“みーとぱい”
“ちょこれーとみるく‼︎”
“はんばーがー”
“ちーずおむれっと”
「……後半は、全部メシについてですな。なんかチョコレートミルクだけ、えらい興奮した様子が伺えますが」
「この丸いのは、卵か? 太陽か?」
「わかりませんなあ」
けど、その下に描かれたラインダンスしてるミジンコみたいなのが、たぶんミルとヨシュアなのではないかと思います。
この横にあるモサッとした黒いタワシみたいなのは、ええと……
“せいじや”
サイモンの扱いヒデぇな、子供。まあ、いいか。
そんで、この紙からはみ出るくらいミチミチに描かれてるライオンみたいのは……?
“まま”
「はっ、笑ってら」
「母親の絵かのう。これを描いた子供は、幸せなんじゃろうな。良いことじゃ」
「そうね」
その幸せの一端を担えたのであれば、多少の金貨くらい安いもんだ。贖罪と浄財を兼ねた、聖者様への喜捨である。
「……う〜む、こっちのは何じゃ?」
しばらく首を捻っているうちに、判読できた。それは、日本語だった。サイモンが教えたのか、歪でヨレた平仮名が象形文字のようにグリグリと描かれている。
「……ああ、それは俺の、故郷の文字だよ」
「何と書いてあるのじゃ」
ありがと
みる
よしあ
“アンタは、どこに向かってんだ”
サイモンの言葉に、いまなら答えられる。
「幸せにだよ。きっと、お前と一緒だ」




