261:恵みの通貨
「おうッ!?」
肉塊に変わった術師たちを窓から見ていた俺たちの頭上で、銃座のミルリルが奇妙な声を上げる。その理由は、すぐに全員が理解した。真っ黒な影が車体を覆ったのだ。倒れ掛かってきた巨大カイエンホルトが砂に戻って降り注いだのだろう。まともに浴びたミルリルが噎せながら降りてくる。
「げほっ、ぶっ!」
「ミルリル、大丈夫か?」
「ああ、気分は悪いが砂では死なん。それよりも、向こうじゃ」
彼女が指差す方向には、いまだ北に向けて前進を続ける帝国軍の姿があった。オアシスにもその先にも彼らの敵はもう誰もいないのだが、指示系統がどうなっているやら盲目的に進み続けている。
「後ろから追い縋って、片っ端から撃ち殺すかのう?」
まあ、そうするしかないのかもしれないけれども、意味がわからなかった。それは全員なのだろう、巫女さんたちも怪訝そうに顔を見合わせる。
「離れた兵たちはともかく、この辺りの奴らはキャスパーが見えてるだろうに。俺たちが標的だという意識もないのか?」
「「受けた命令は、前進。変更がないなら、前進する」」
護衛の双子は、冷淡な声で告げる。特に呆れた様子もない。帝国軍の用兵がそういうものだと思い知っているんだろう。
それ自体はどうでもいいんだけど、そのまま進まれるのはマズい。オアシスはともかく、その北側にはソルベシアの避難民が隠れ暮らす集落があると聞いている。そこが被害に遭っては延長戦突入になりかねん。
「ヨシュア、あやつらを足止めするのじゃ」
車を出しては見たものの、いまひとつ解決策としては弱い気がする。
「右じゃ、もう少し寄るのじゃ!」
「「こちらは先頭を倒す、後続を殲滅しろ!」」
「「「「「はい!」」」」」
俺はキャスパーで牧羊犬のように敗残兵たちを追い立て、望む方向に軌道修正してゆく。まとまったところで殺すのだから牧羊犬というより小魚の群れを襲う大魚みたいなものか。
「ヨシュア、北西に騎兵! あちらを先に止めるのじゃ!」
PKMの射撃で数は減らしているものの、兵数が多すぎて射程外を抜ける集団が出始める。
時間を掛けていると取りこぼしも出るし、集め過ぎると滞留した兵が大きく膨らんで思わぬ方向に溢れ出してゆく。いくら撃ち続けてもキリがない。加熱した銃を交換して木箱はいっぱいになっている。収納からPPShを追加で出すが、今度は装填された弾倉が底をつき始めていた。弾薬そのものはあるが詰め直す時間が取れない。手の空いた新入り巫女さんに頼むとしても揺れる車内では難しそうだ。
「ミル、全部は無理かもしれん」
「どうせ殺すなら、集めなくても良かろう。補給を奪えば、帰還できる兵はおらん。その後で北方の集落側で待ち伏せておれば良いのじゃ」
次善の策としては悪くないと思い始めたところで、王子が声を掛けてきた。
「魔王陛下、この先で降ろしてもらえますか」
「降りるって、降りてどうするんだ」
「オアシスの南側に出していただいた、“恵みの通貨”を使います」
使うのはいいけど、距離はまだ一キロメートル近くある。こんなところで王子を降ろして、何ができるのかわからん。双子の護衛を見るが、王子を止める様子はない。
「妃陛下、北東に見える軽歩兵の集団を倒していただけますか。それで、繋がると思いますので」
「……繋がる?」
「わかったのじゃ! いや、わからんが倒すのは了解じゃ!」
PKMの射撃音が響いて、結果は見えんが達成したらしいフンスという鼻息が銃座から聞こえた。
「魔王陛下、このまま東へ移動してください」
「オアシスに向かうんじゃないのか?」
「間に合いません。もう先頭は死体の山に差し掛かっています。その先にある砲座の焼け跡で停めてください」
いわれるがままキャスパーを走らせ、敵陣跡の東端、遠雷砲の残骸らしき砲座の前で停車させる。
後部ハッチから降りたハイダル王子は、巫女さんたちを乗せたまま車をもう少し東に移動するように指示してきた。
「「王子、我々はお側を離れません!」」
「わかってる、少しだけだ。終わったら、ぼくはしばらく動けない。お前たちが頼りだ」
「「は、はい」」
「感謝している、魔王陛下も、妃陛下も、そしてお前たちもだ。皆がいてくれたから、支えてくれたから、ぼくは……ぼくでいられた」
遺言みたいな言葉に嫌な予感がするものの、決意に満ちた王子の背中は近付くことを許さない。周囲の警戒に当たる。
「我が力を、ソルベシアのために」
呪文らしき言葉を口にしたハイダル王子の身体から、青緑色の閃光が迸る。魔導師が放つ魔力光に似てはいるが、エッジが淡く色調が暖かい。
「なに、あれも“恵みの通貨”?」
「わからんが、なんぞ強力な魔法を使うようじゃの。危険な兆候は感じんが……」
ぶわりと、王子の背中が揺らいだ。青緑から透明に近い緑に変わり、やがて真っ白になる。
「……なん……じゃ、あの魔力。尋常ではない魔力量に、異常なまでの魔圧……まるで、地龍じゃ」
呆れたようなミルリルの言葉に、双子の護衛が王子を凝視したまま、“当然”とばかりに頷く。
「「あれが、王子の、本当の力」」
後部座席の巫女たちは、揃って手を合わせ祈りの言葉を唱える。双子の護衛はそれには加わらず、光のなかで揺れる王子の背中を見据えている。王子に何かあったときには飛び出せる位置で。
「「王子は、ずっと悔いてた」」
双子の声には、悲しみと悔しさが滲んでいた。
「「戦わなかったこと。抗わなかったこと。守れなかったこと。取り返せなかったこと」」
膨れ上がる王子の魔力は、ろくな感知能力もない俺にでもハッキリ感じられるほどに高まっている。
「「ずっと、ずっと悔いてた」」
その力は、あまりにも大き過ぎた。荒れ狂う怒涛を前にしたような、圧倒される感じ。それでいて怖くはない。暖かくて、優しくて、なぜか少し、切ない。
「「王族の力を殺戮に使わないと、王妃様に誓ったから」」
「いま誓いを破る。母上、赦しは乞わん」
王子が両手を、地に付けて叫んだ。
「これは、俺の意思だ!」
ゴン、と鈍い音が響く。
上空高くに打ち上げられた、遠雷砲の砲座だった。軽自動車くらいの質量はあるはずのそれが、一瞬で出現した大木にカチ上げられてクルクルと宙を舞う。
死体が粒子に変わり“恵みの通貨”に変換され樹木や草花が育つ、それは既に見せられていたのだが今回は速度も密度も強烈過ぎて目が追いつかない。
「「「「おおおおおおぉ……」」」」
叫び声を上げたのは俺かミルリルか護衛の双子か巫女さんたちかその全員か、感嘆と恐怖と畏敬と驚愕のコーラスを掻き消すように緑の爆風が一直線に北へと向かって行く。
そうだ。オアシスから南方全方位に重機関銃による射撃を行ったのだから、放射線状に死体が転がってはいる。理屈の上では、だ。当然ながら途切れた部分もあるし死体の分散状況もバラバラに決まってる。
決まっている、のに。
「嘘だろ、おい……」
多少の間隙はアッサリと飛び越えて死体が連鎖的に破裂し粒子化し、緑に光ったと思えば樹木や草花へと変換されて地を埋める。砂塵の荒野でしかなかったはずの一帯が、植物に……いや、恵みに、侵食されてゆく。
まるで、緑の導火線だ。死体が粒子に変わって、草花になって現れる。それが連鎖しているのだと頭ではわかっているが、視覚に入る情報はまるで違っていた。
地を埋めるのは死体だけではない。生きた兵士や馬や馬車や積み上げられた物資もそこにあるのだ。その全てを凄まじい力で弾き飛ばし押し潰しながら、緑の波が突き抜ける。死体が積み上がった場所なのか一瞬動きが止まり停滞したかと思えば爆発するように吹き上がり巨木となって宙に伸びる。跳ね上げられた人や物や馬が空中で引き千切られ、また緑の粒子になって地へ振り注ぐ。
北方へと進軍する兵士たちに、侵食する緑の波が追いつく。振り向き逃げようとした彼らを呑み込んで、喰らい、引き裂いて粒子に変え、浸食してゆく。逃げようとした兵士の集団がよろめく。苔か腐葉土か草の根か、ずぶりと沈み込んだ地面に足を取られて倒れると二度と起き上がることはない。
「ヨシュア、見よ」
ミルリルの声で、ようやくわかった。“繋がる”といった王子の言葉の意味が。
緑の火線がミルリルの倒した軽歩兵集団の死体に到達すると、わずかに速度を落としながらジワジワと枯れ河の向こうに消えてゆく。
「あそこ、俺が……死体の山を……」
「全員、きゃすぱーの陰で伏せるのじゃ!」
地面が、大きく揺れた。山ほどのIEDを一斉に点火したような凄まじい爆発。わずかに遅れて、轟音が耳に届く。周囲に転がっていた岩盤や武器や甲冑の破片なのか、飛んできた無数の様々な破片がキャスパーの車体を叩く。クルクルと飛んできた冷蔵庫ほどの岩が屋根を掠めて地面に刺さる。
「「王子!」」
双子は倒れていたハイダル王子のところに駆け寄ると、飛来する破片から守ろうと覆い被さる。
「ヨシュア!」
俺は短距離転移で飛んで三人をひっつかむと、キャスパーの陰にまた転移で戻った。
「全員、乗車!」
「「「「「は、はい!」」」」」
後部コンパートメントに放り込んで、俺たちは運転席に駆け込む。王子は倒れているというのに、緑の侵食は止まらない。むしろ、術者が意識を失ったことで暴走しているように見える。
「ヨシュア!」
「わかってる!」
ミルリルが指した先、タイヤに絡み付こうとした草を引き千切ってアクセルを踏み込む。柔らかくなった地面に後輪が埋まって空転したが、すぐにグリップして脱出に成功した。
「何じゃ、あの力は! ムチャクチャじゃ! わらわたちまで草花に変えられるところであったわ!」
大声でいながら、ミルリルは大笑いして振り返る。
双子の介抱で意識を取り戻したらしい王子は、車窓から見える光景を見て、複雑な表情を浮かべる。
「見よ、王子!」
「も、もうしわけ……」
「ようやったのう!」
「は?」
「死んだ臣下も、きっと満足しておるぞ! おぬしは命を賭して守るだけの価値がある、見事な王族であったとな!」
「……‼︎」
「「……王子」」
後部コンパートメントから、啜り泣く声が聞こえてきた。
「東に回り込んで、北に向かう」
「了解じゃ」
回り込むとはいったものの、枯れ河は密林に姿を変え、その先は全く見えない。高い樹木と密生した下生えで、視界は完全に塞がれている。これはもう、どこがどうなってんだか。
強力過ぎる“恵みの通貨”はオアシスにまで飛び火したようで、北東に逸れたところから見る限りオアシスらしきものは見当たらない。
「たぶん場所でいうと、この辺りがオアシスなんだけどね」
巨大な密林に覆われていて、何も見えん。
「まあ、良いわ。もうあそこに用はなかろう」
「みんな、このまま北上するよ」
「「「「はい」」」」
「……ああ、ヨシュア。少し急いだ方が良いかもしれんのう」
ミルリルの視線を辿ってバックミラーを見た俺は思わず息を呑む。逃げ延びた帝国軍兵士一団が、森の外れからよろめき出てくるのが見えた、のだが。
背後から伸びてきた草花と樹木の渦に押し倒されて、わずかにもがくと動かなくなった。
彼らのいたところでポフンとばかりに小さな木々が生まれて、それっきりだ。
「ちょっと、王子⁉︎ あれ、まだ止まってないよ⁉︎」
「すみません……発動した後は、俺の意思を離れても残ります」
そらそうか。海賊砦の森も維持されてたもんな。
「なに、気にすることはなかろう。死体が尽きれば、緑化も止まるのじゃ」
逆にいえば、死体が供給され続ける限り侵食と成長……あるいは膨張を続けるってことじゃないですかね。
鬱蒼とした森が生まれ、どんどん広がって砂漠を呑み込んでゆく。誰も出られない深い密林になり、水を湛えて湿地となり、生き物を育んで生と死を内包し、更に“恵みの通貨”を生む。どんどん広がって砂漠の一角に巨大な密林地帯が発生する。
もしかしたら、いつか砂漠自体を消してしまうかもしれない。
走っても走ってもバックミラーから消えない巨大な樹木の影に、俺はわずかな恐怖を覚える。
「奇跡、というには……あまりにも強烈過ぎるのう」
「そうね」
無知で無学な小市民の俺には、それくらいしか返答のしようがなかった。




