26:密かな戦端
――妙じゃの。
わらわは、逃げてゆくミルカの後を追いかけながら、密かに警戒を強めていた。
ケースマイアン城壁の隙間をすり抜けた彼女は、弧を描く緩い下り坂を駆け降りると、北側に折れて暗黒の森に入ってゆく。昼なお暗く魔獣が徘徊する危険な森。大人のエルフとて単身では入らないそこに、ミルカは迷いもなく踏み込んだ。振り返ることなく走り続けるその足は疲れも迷いも見せず、油断すると見失ってしまいそうなほどだ。
身軽で森に慣れたとはいえ、たかがエルフの少女、ただのドワーフならともかく、わらわに追いつけぬはずはない、のだが。
「……やはりこれは、厄介ごとのようじゃのう」
誘われているのは明白。問題はその正体と、目的じゃ。気を抜けばおそらく、ヨシュアの元には戻れぬようになる。
わらわは身に着けた力を解放すると、身を低くして下生えを縫うように移動し始めた。
気配を辿って進むこと半哩ほど。ミルカが誰かと話しているのが見えた。察知されぬよう木陰を迂回して、顔が確認できるところまで回り込む。どうやらそれは、人間。それも、魔導師のようだ。隠蔽と抑制で体表面にまで露出してはいないが、かなりの魔力量を持っているのがわかる。
「マイネル母様、亜人どもの配置と武装は残らず調べて記してあります」
「よくやったわ、ミルカ。それでこそ、わたしの愛しい娘」
「はい、ここに」
ミルカから紙を受け取った魔導師は、中年の女だ。彼女を見るミルカの目は信頼と敬愛に満ちていて、わらわにはそれがひどく痛ましいものに思えた。
さらに近付くべきかと迷うが、その時点でもう手遅れだった。四半哩ほどの距離を置いたというのに、女魔導師はこちらを振り向いて笑う。
察知か索敵か。いずれにせよ、魔術の行使は向こうが一枚上手だったようじゃ。
「出てきなさいよ、おチビちゃん。いつまでも隠れているつもりなら、森ごと焼き払っても良いんだけど?」
逃げ隠れしても仕方があるまい。わらわは覚悟を決め、木陰から出てふたりに姿を見せる。
“うーじ”の有効射程までは、あと1/8哩。いまでも弾丸は届くが、発射速度と集弾性からしてミルカにも当たる可能性が高い。
「ふむ、さすがじゃな。上手く尾けてきてやったつもりだったんじゃが」
「笑わせるわ。ドワーフが気配を殺したくらいで、フォレストエルフ相手に森で隠れられるとでも思ったの?」
ひとが変わったような憎々しげな表情で睨みつけてくるミルカに、わらわは腕を組んで首を傾げる。
こちらの肩から下げられた物がなんなのか、わかっているのかいないのか。ミルカも女魔導師も、なぜか警戒する様子はない。
ヨシュアが銃で騎兵を屠ったのはミルカも見ておる。当然“うーじ”もその武器と同一線上のものと、認識はして当然のはずなのじゃが。
まあ、おかしな話ではあるが、敵が無防備なままでいてくれるならそれに越したことはないわ。
「……フォレストエルフ? ああ、お前は北方エルフか。まだ生き残りがおったとはの」
「生き残りがいて残念だったわね。南方エルフと馴れ合う愚鈍な亜人どもが、短命種の炎で焼かれればいい」
これまた、おかしな話じゃ。頭が固く選民意識の強いエルフのなかでも、特に極端なものが北方エルフ。他種族どころか同じエルフとも交わろうとしない。
そこまではわかるが、人間と……見たところ王国の魔導師と共闘する理由にはならん気がする。だいいち、いまの“猿もどき”という表現は、人間に対する蔑称ではないのか?
「ミルカ、もしやおぬし……」
「馴れ馴れしく、うちの名を呼ぶなッ!」
問答無用、とばかりにミルカが短弓を、女魔導師が魔術短杖をこちらに向ける。まだいささか距離はあるが、躊躇っている場合ではなかろう。肩掛けの布帯をするりと滑らせ、わらわは“うーじ”を抱え込むようにしてふたりに向けた。
銃口を向けられたというのにも関わらず、彼らはこちらを見て蔑んだ笑みを浮かべるだけだ。
「そいつの報告は聞いている。おい、出ろ」
彼女の声に、周囲の茂みから甲冑姿の兵士たちが一斉に立ち上がる。
全部で10と3名、重装歩兵のような重甲冑装備でありながら魔導師でもあるようで、誰もが手には剣ではなく魔術短杖を構えている。どうやら魔法で気配を殺し、姿も隠していたらしい。
まだ開戦には間があると油断しておったな。敵は南部の平野からのみ来るものと思えば、ずいぶんと多くの敵軍に、背後まで回り込まれていたものじゃ。
「お前は、もう終わりだ。そいつは、解析のためにもらっておく」
「あ?」
この腐れババアは、なにを戯けたことを抜かしおるか。UZIはヨシュアからもらった大事な宝物じゃ。敵にくれてやる義理などないわ。貴様にくれてやるのは鉛の弾丸だけじゃ。
思っていたことが口を突いて出たらしい。女魔導師の顔が憤怒で赤黒く染まった。
「愚かな亜人め! 宮廷魔導師の前で、そんな魔道具が使えるなどと思ったかッ!」
包囲を詰めようとする重装魔導師の中心で、女魔導師が懐から出したのは、見慣れない何かの札。
魔力を充填するとそれが赤く輝きを放った。見たところ、魔道具を起動停止させる呪具のようじゃ。
魔道具……?
「ああ、そうか。すまんのう……」
半自動で発射された45口径弾が女魔導師の腹と胸を穿ち、反動を制御するまま跳ね挙げた銃口から発射された3発目が、唖然とした女の頭を撃ち抜いて粉砕する。
「これは魔道具ではないのじゃ」
湿った音を上げて魔導師が倒れると、甲冑姿の部下どもが硬直し、ミルカの肢体が短弓を構えたまま震え始めた。引き絞っていた弦が緩められ、矢がポトリと地面に落ちる。目が泳ぎ、膝が戦慄いてよろめく。
「……あ、……うち、……なんで」
「ふぅむ。やはり、あの性悪魔導師に操られていたのじゃろうな。おぬしは……」
あの女魔導師が北方エルフの同胞、いや自らの母親にでも見えていたのであろう。下衆な者どもが考えそうなことじゃ。
「おのれッ、この半畜どもが!」
周囲の魔導師たちは我に返り、それぞれに攻撃魔法を唱え始めた。心が壊れかけておるのか、ふらふらと揺れ歩くミルカに、わらわは突進して無理やり引きずり倒す。
魔法が放たれる直前、連射に切り替えた“うーじ”を取り囲んだ敵に向けて掃射する。火花と金属音、悲鳴と怒号が上がり、魔術短杖から放たれた炎の矢が逸れて森を焼く。さらに氷の槍が、わらわたちを掠めて地面に突き立った。保険として掛けておいた魔導障壁の効果じゃ。逸らされなければ串刺しになっておったな。
わずかな間をおいて、重い甲冑の兵たちが次々と崩れ落ちる。
ミルカに覆い被さるようにして頭を下げさせ、弾倉を交換しながら生き残った敵の反応を探る。茫然自失のミルカは弱々しく呻くだけでさしたる抵抗を見せんが、ほぼ同じ体格の彼女を守りながら戦うのは荷が重い。
右後方に単射で2発、左前方に2発、木陰の草むらに2発。音と気配を頼りに撃ち込むと、倒れたままもがく音がして、周囲はすぐに静かになる。
「……ふむ。ヨシュアのいう通りじゃ。ふるめたる……なんだかというタマは、王国軍の重甲冑をも穿つのじゃな」
「ふんッ、亜人風情が小生意気な技を!」
まだ敵が残っていたのかと、わらわはうんざりしながら声のした方を見やる。
面倒なことに、出てきたのは全身を隠す塔状大盾を持った巨漢の甲冑兵士だった。
「ふぉおおおぉ……ッ!」
大男の気迫とともに、盾の正面で浮かび上がった防御魔法陣が禍々しい光を放つ。
単なる重装魔導師、ではないようじゃ。味方が次々に倒され続ける様を見ておきながら、最後まで出てこない姑息さも含めて、こやつは侮れぬ。
試しに放った45口径弾は、盾の前で小さく火花を散らして弾かれる。
「その魔道具、やはり物理攻撃か。だが、この聖盾オルニテナウスの前では、なんの効果もないぞ。王国に弓引く蛮族どもめ、手足を切り刻み、生きたまま焼き払ってくれる、わぅぐッ」
カパカパンと甲高い音がして、巨大な盾を構えたままの兵士が前のめりに倒れる。後頭部を撃たれた兵士の頭は、鉄兜のなかで挽肉のように粉砕されていた。その背後で、“だぶるばれる”を手にしたヨシュアの姿が現れる。
「お待ッ……、た、せッ、ミル……ッ! 無事か!?」
どれほど必死に駆けてきたのか、ぜいぜいと肩で息をしている。
それは、わらわのことを案じて、か?
「む、無論じゃ、ヨシュア。わらわを誰だと思うておる?」
思わず胸の奥が熱くなるのを感じて、わらわは戸惑う。意識せぬようにしようと思えば思うほど、頬が熱くなり胸が苦しくなる。おかしな話じゃ。これでは、まるで……
わらわの方が、焼けた銃弾でも撃ち込まれた様じゃ。




