256:逃走の終わり
「ルキアン、どうした」
「へんな、けはい」
巫女さんのひとりが、王子に訊かれて王城のあった南を指す。俺には何ひとつ見えない真っ平らな砂の海でしかないのだが。
「ミル、気配は感じるか?」
「わらわには、何も感じられんのう。念のため早目に出発するのが良かろう」
俺たちには何も感知できないものの、白装束の四人は、それぞれ正体不明の違和感を抱いているようだ。みな似た感じの顔と背格好で似た感じの名前なので見分けは付かんが。
ちなみに、城壁上にいたのがミリアン、砲座に置かれていたのがマシアン、城の前に放置されていたのがルキアンで、尖塔の監視哨に繋がれていたのがシャリエル。
というか、シャリエルだけ音感が違うな。
名前を聞いて怪訝な顔をした俺に、ハイダル王子が補足説明を加える。
「ミリアンたち三人はテニアンと同じ東方神殿の巫女、シャリエルはフェルやエアルと同じ西方神殿の巫女です」
え。テニアンちゃんは、もしかしたらそうかと思ったけど、フェルとエアルも巫女だったんだ……。
思わず双子に目をやると、怒りのこもった視線を返された。あら、考えてることバレた?
「「巫女以外の何に見える」」
「いや、知らんし。なにって……護衛? そんな凄まれても、悪いけど俺は宗教関係の知識ほとんどないから、何もわからんぞ」
「ふむ。わらわもじゃな。ドワーフの信奉する火の神を礼儀として拝むくらいじゃ」
「「王族に仕える女子は全て巫女」」
「あれ、砦の子供たちも?」
「彼らは幼いので、まだ神託を受けていません。男児もいますし」
そうなのね。健康状態ばかり気にして個人はちゃんと見てなかったけど、たしかに男の子はいた気がする。
全員が乗り込むと、俺はキャスパーを発進させ北に進路を取る。ミルリルには銃座に上がって警戒を続けてもらう。
「このまま進むと、二刻ほどでオアシスにぶつかります。居住者はいないと思いますが、帝国軍の伏兵が配置されているかもしれません」
「避けるか?」
「いえ、そこで“恵みの通貨”を使いましょう」
「え? 死体を出すの?」
「いいえ、水を伝って敵の動きを探ります」
なに、そのチート能力。水分たっぷりの北方大陸なら、やりたい放題じゃん。
「その力、海でも使えるのかのう?」
「いいえ、残念ながら」
「水だらけだけど」
「北方の水から感じるのは怒号です。力も強く命の数も多過ぎて、声も気配も掻き消されてしまうのです」
「ダメか」
そんなうまい話ばかりじゃないと。
王子の想定する移動速度は馬かラクダによるものだったらしく、小一時間ほど走るとすぐにオアシスは見つかった。見たところ帝国軍の待ち伏せはない。枯れかけた下生えとヤシの木風な植生があって、直径十メートルほどの泉が湧いていた。水深はほとんどなく、泉とはいっても湿原に近い。
王子はキャスパーから降りて水に手を浸す。なにやら呪文を唱えているようだが、俺たちは銃を持って周囲の警戒に当たる。ついでというか、必要に駆られて新しく加わった四人の巫女たちにもPPShサブマシンガンの射撃練習を施す。泥縄式だが、射撃そのものは危険の少ないキャスパーの銃眼から行うので最低限の安全確保と使用方法さえ身に付けばいい。
「弾倉をあるだけ出す。全員で銃弾の装填を行ってくれ」
コツと手間と危険が伴うドラムマガジンだけは、俺が弾丸を込める。いままでトラブルはなかったけど中途半端に危険性を知識として知ってしまったため正直、怖い。
PPShの三十五発入りの箱型弾倉を百二十本と七十発入りドラムマガジンを十本。これでダメなら他の銃器を使う。
「魔王陛下」
ハイダル王子に呼ばれて泉に近付く。水を媒介に情報を探っていた彼の顔色は優れない。
「何か問題が?」
「南からの軍勢は数が読み取れないほどです。それに、やはりカイエンホルトの反応があります」
「あそこまで念入りに銃弾を撃ち込んだのに生きていたってことか? 悪いけど、とても信じられないな」
「うむ。あのときは、間違いなく死んでおったように見えたがのう」
それが悪いニュースかと思ったが、どうも違うようだ。王子はオアシスの北側、俺たちがこれから進むはずだった方角を指す。
「北に二刻ほど進んだ先に、ソルベシアの避難民が隠れ棲んでいるようです」
「人数は」
「百に少し欠けるほど」
救出は無理だ。海岸線まで連れ出したとしてその先の保証ができない。俺の顔を見て、ハイダル王子は首を振る。
「わかっています。そこは農耕が行われているようですから、彼らも集落を離れることを望まないでしょう。ただ……」
「帝国軍の大軍勢を引き連れて北上はできんということじゃな」
「すみません」
俺はミルリルと視線を交わす。東西どちらかに引き連れて移動するか、この場で軍勢と対峙するかだ。
「こちらから南に攻め入る手もあるが……」
「同じことだな。だったら、ここで可能な限りの備えを行う方が建設的だ」
築城とまではいかないが、有利な環境を作ることくらいはできる。
転移で南に飛び、オアシスから一キロメートルほどのところにある砂をその下の岩盤ごとゴッソリと堀り起こして収納、直径数百メートルの巨大な窪地を作る。それを東西に広げてゆくと、長さ一キロほどの枯れ河のようなものが出来上がった。
掘り出した砂と岩盤はオアシスの北側、帝国軍に対する上では後背位置に当たる場所に高く盛った。ある程度、流れて崩れるのは想定内だ。少しでも高低差があれば視界の確保ができるし、撃ち下ろしで有利にもなる。キャスパーを岩盤の上に置き、銃眼を南北に向ける。
「王子、他に何か防衛の手段はあるか?」
「“恵みの通貨”を注ぎ込めば、あるいは」
「よし、任せる。とりあえず手持ちの死体を全部出そう」
泉の水を汚染しないように、排出する位置を確認する。王子の提案で、俺が掘り起こした窪地に広く撒くことにした。とはいえ一万もの死体だ。ほとんど掘り出した砂を死体で埋め直すような結果になった。
「「……これを全部、殺したのか」」
双子の護衛が、山になった裸の死体を見てドン引きしている。
「これでも半分以下じゃ。全部合わせれば四倍から五倍は殺しておるからのう。持ち主に返した分もあるので、いまはこれだけじゃ」
ドン引きを通り越して、双子の元巫女たちは笑い出した。振り返ってこちらを見た目は、全然笑ってない。
「よろしいのですか、魔王陛下」
「ああ、好きなだけ使えばいい」
「そうじゃ、好きにせい。必要なら、もっと作るのでな」
ミルリルさん、開き直ってますね。新しく加わった方の巫女さんたちは、離れたところで生まれたての子鹿のようにプルプルしてますけど。
「砂嵐が」
ふと南を見た護衛の双子が、訝しげに目を細める。視線を送ったミルリルが吐息を漏らした。
「いや、あれは……敵じゃな」
地平線を何かが進んでくる。それはあまりにも大きく、多く、広く、厚く、まるで天災の前触れのようにしか見えない。
「ぷはははは!」
「いや、なに笑てはりますのミルさん」
「これが笑わずにおられるか。喜ぶがいい
ヨシュア。今度の的は、きっと三万よりも多いぞ? “恵みの通貨”も大盤振る舞いじゃ!」
「いや、喜ぶとこですかね、それ」
ただ待ってもいられない。俺は頼みの綱の聖人に一縷の望みをかけた。
「市場」
なにやら紙束を前にニヤケ顔を見せていたサイモンが、テンパッた俺の顔を見て笑みを消す。
「どうしたブラザー、問題か」
「ああ、大問題だ。悪いが急ぎの対処を頼む。PKMの弾帯追加とRPG-7、IEDをあるだけ。あと、何か重機関銃があれば」
「ああ、丁度良かった。KPVが一丁手に入ったぞ。ちょっと草臥れてるが、機能に問題はない」
「よーし、でかしたサイモン! そいつと、弾薬もあるだけくれ!」
俺は金貨の詰まった小樽を並べる。いくらか知らんが、いまなら言い値でいいくらいだ。
KPV重機関銃。ケースマイアンでケーミッヒが愛用していたシモノフPTRS対戦車ライフルと同じ、14.5×114ミリの焼夷徹甲弾と焼夷榴弾を撃ち出す。この強力な弾薬はAKMの十五倍、30-06の七・五倍、俺は入手できなかったが西側のベストセラー重機関銃であるM2の一・五倍の威力を持つ。
「落ち着いたら顔を出してくれ、報告したいことがある」
「ああ、そんなときが来ることを祈ってくれ」
市場を繋いでいる間、ほとんど時間が止まっているとはいっても気が急いているので無駄に費やす気にはなれない。あるだけ出してもらった重火器を受け取ると同時に市場を閉じる。
いきなり目の前に現れたゴツい兵器の数々を見て、王子と巫女たちは目を丸くする。
「ヨシュア、それは……“きかんじゅう”じゃな?」
「ああ、かなり強力な機関銃だ。ケースマイアンにもあっただろ」
「……あったのう。わらわは触れておらんが、樹木質ゴーレムを焼いたやつじゃな」
「そう、それだ」
しかしこのKPV、目の前で見ると迫力がハンパない。銃本体だけでも全長二メートル以上はありそうだ。そこそこしっかりした三脚に乗ってはいるが、対になった銃床に両肩を着けるとズシリと重量を感じる。ベルトリンクに並んだ銃弾は細めのペットボトルというか業務用のタバスコくらいの馬鹿デカさだし、トリガーに至っては四本指で引くレバーだ。サイズも重量感も桁違い。同じ物をケースマイアンでも目にしてはいたはずだが、こんな大きかったっけ。ゴーレム戦でテンパッてたんで、ほとんど覚えてない。巨漢のケーミッヒや長身のエルフたちが使ってたから遠近感がおかしくなってたのかもしれん。
「ミル、いま敵までの距離はどのくらいある」
「最前列で二哩弱、といったところかの。まだ、ほとんどは地平線の向こうじゃ」
俺はベルトリンクを確認すると、巨大なボルトを引いて初弾を装填する。サイモンの説明によれば、装填されたのは焼夷徹甲弾のはずだ。
「巫女はいる?」
「「「「ひだり、おく」」」」
「そちらに着弾しないように撃てばいいか」
「こやつの射程は?」
「五キロ……三哩くらいじゃなかったかな」
「凄まじいのう……」
俺の視力では完全な視界外だ。スコープでも用意してもらえば良かったんだろうが、いまさらだ。調達したKPVのフロントサイトは第二次世界大戦前の航空機銃で見る虫メガネ型の多重円、リアサイトにある三角形の頂点を合わせるタイプのクラシカルなデザインだった。
「全員、耳を塞げ!」
「「「「は、はい」」」」
地平線の先に揺らいでいる、陽炎のような敵影らしきものに狙いを付ける。俺の目では姿形など微塵も視認できない。距離はまだキロメートル単位なんだろうけれども、知ったことか。
レバー式のトリガーを右手で引くと、轟音と共に14.5ミリの重機関銃弾が撃ち出される。
「うぉッ!?」
連射速度は思ったより早く、三脚で固定されていながらも凄まじい衝撃が身体に伝わる。遥か彼方まで飛んでゆく弾道が見えて、手前に着弾したのか土煙とともに砂煙が舞い上がる。仰角を付けて地平線の先に銃弾を送り込むと、見えないながらも微かに手応えがあった。この奇妙な感覚は、長距離射撃を経験した者にしかわからないかもしれない。
「ほう、着弾したようじゃ。素晴らしい威力じゃの」
「何が見えた?」
「当たった物が何かまではわからん。弾けたのは肉片か物資か馬車の残骸か、あるいはそのすべてじゃな。どうやら炎が上がったようじゃ」
さすがだな。これが焼夷徹甲弾の威力か。俺の視力では結果はわからないものの、性能は確認できた。
「うはははははは……ッ!」
いきなり笑い出した俺に王子たちは怪訝そうな目を向け、ミルリルさんは慈愛に満ちたーーいくぶん阿呆な男児を見る母親のようなーー顔で俺に頷く。
「望み通りじゃな、ヨシュア。おぬしは偽魔王を殺す。今度こそ、完全にじゃ」




