255:砂の逃避行
「……え?」
俺は運転しながら首を傾げる。砂丘のような緩い稜線を越えたところで、いきなり現れたガレ場のような窪地に突っ込んでしまったのだ。おまけに周囲には岩が点在して待ち伏せにはもってこいの場所。巫女さんたちの話は気になるが、いまは目も手も離せない。
「話は後じゃ! みな、つかまっておれ!」
風による侵食を免れた場所なのか、大きな物では一メートル近い岩がゴロゴロと転がっている。
「王子、どこか迂回路は⁉︎」
「西か東に大きく回り込む必要があります。西は帝国が占拠している城壁都市、東は山です」
「窪地を抜けるまでには、どのくらい走る」
「一哩と少しじゃ」
約二キロメートルといったところか。スピードは殺されるしタイヤのダメージも気になる。伏兵との遭遇も予想されるが、最短距離を移動するにはこのまま突っ切るしかなさそうだ。頑丈な大径タイヤが確実にグリップしてくれているが、車重があるだけに揺れは凄まじく後部座席の乗員たちは振り回されて悲鳴を上げている。
俺より視力と状況判断能力の高いミルリルは助手席で身を乗り出したまま周囲の警戒に入っている。
「ミル!」
「見えておる。わらわに任せい!」
案の定、ガレ場を進んだ先の岩場に弓と手槍、手持ちの投石器を構えた兵士の一団が隠れているのが見えた。さすがに馬は走れないのだろう、騎兵は見当たらない。
逆にいえば、あいつらはこんな場所に徒歩で展開するくらい前から連絡を受けていたのだ。もしくは、来るか来ないかもわからない敵対勢力の通過を想定して、ずっと詰めていたかだ。どちらにしても帝国は用兵がおかしい。
「ミルリル、もし白装束がいたら」
「わかっておる!」
派手に揺れる車体を物ともせず、ミルリルさんは素早く銃座に上がる。すぐに射撃が開始され、驚いたことに点射を加えるたび確実に敵兵が屠られてゆく。のじゃロリさんには射撃管制装置でも付いているんですかね。
「よし、脅威排除じゃヨシュア、前進!」
このまま銃座で振り回されて平気なのかは気になるが、まだ降りてもらうには危ない。敵が隠れられる場所があり過ぎるのだ。
二キロ弱のガレ場を通過するのに一時間近くを費やした。配置されていた敵兵は四十名ほど。巫女は見当たらず、投石砲があっただけで遠雷砲はなし。どちらにせよミルリルの射撃で殲滅されて終わりだった。
「巫女の姿はなかったのう。いくらか生き残りはおったが、こちらを攻撃する気はなさそうじゃ」
「了解、このまま突破する」
再び砂丘に上がって、キャスパーは北を目指す。しばらく集落もないようで、地平線まで何も見えない。
ミルリルも進路上の安全を確認したらしく、助手席まで降りてきた。
「おつかれ、助かった」
「うむ、PKMは悪くない銃じゃの。威力もあって弾道が素直じゃ。いささか連射速度が早いので加熱が気になるがの」
PKMの7.62×54ミリR弾はフルサイズの小銃弾で、AKMやRPKで使われる7.62×39ミリのアサルトライフル弾より威力も精度もずっと高い。ケースマイアンの主力弾薬だった30-06小銃弾と同じくらいの威力があって、人間が持ち運べる程度の盾や重甲冑ならば楽に貫通するのだ。ガレ場に入れる程度の軽歩兵ならまとめて撃ち抜く。というか、実際に撃ち抜かれていた。
「おぬしら、無事か?」
ようやく余裕ができた俺たちは振り返って、後部コンパートメントの王子や巫女さんたちに尋ねる。大揺れの車内で跳ね回ったのかグッタリしてはいるが、大きな怪我はしていないようだ。
「「「「だい、じょうぶ」」」」
「それで、さっきいってた魔王って、どこの魔王?」
まさか、魔界四天王がいるとかいうオチじゃないよね? だとしたら、間違いなく最弱は俺だと思うんだけど。いや、俺は魔界の住人じゃないが。
「「「「かいえんほると、です」」」」
「カイエンホルト? あやつは死んだぞ。うちの魔王陛下が臓腑を引き裂いて、王子と双子が止めを刺したのじゃ」
「「「「でも、まちがい、ないです」」」」
「ぼくも、こちらを窺うような気配は感じました」
巫女さんたちの言葉を、王子が支持する。俺にはどうにもオカルトっぽい話に聞こえるのだけれども。
「あれで生きておったとしたら化け物じゃな」
楽しそうに笑ってる場合じゃないですよ、ミルリルさん。さすがに銃弾で殺せない相手とか、初めてだわ。
巫女さんたちも、魔王カイエンホルトの気配が移動し接近してくるのは感じるものの、具体的な位置や移動方法まで把握しているわけではない。
キャスパーの移動速度を超える足があるとは思えないんだが、カイエンホルトが本当に身体を分断されて蜂の巣にされても生き延びたのだとしたら、俺の知らない特殊な移動能力があっても不思議ではない。
それこそ、転移とか。
「何か察知したらすぐ教えて」
「「「「はい」」」」
いまも連携して包囲を敷く巫女の感覚通信は入っているが、彼女たちには判別できない数字と記号の羅列なので俺たちの役には立たないそうな。
「そっか、巫女通信はオープンチャンネルだから暗号化されているんだな」
帝国軍、そういうとこは思ったより近代的だ。
「おーぷんちゃんねる?」
「“誰でも聞ける”ってことだ。帝国軍だけで通じる符牒を作らないと、ひとりでも巫女を奪われたら秘密が全部漏れる」
狭い領地しかないケースマイアンにはなかった発想だ。敵地に斥候は送り込んだが、情報のやり取りは仲間同士で直接やっていたようだしな。
「まあ、死に損ないが現れたら、そのときはそのときじゃ。今度こそ冥府に送ってくれるわ」
しばらく走ったところで、昼を回ったので食事のために休憩を取ることにした。敵襲が予想される状況では食器を出したり片付けたりする余裕はないので、サイモンからサービスでもらった軍用レーションだ。レトルトパウチになったものを常温で食べる。飲み物はペットボトルのミネラルウォーター。砂漠地帯なので脱水症状にならないよう喉が乾いていなくても多めに取るように勧める。まあ、ソルベシアの出身者なのでいうまでもないんだろうけど。
ミルリルと俺は銃座に上がって、食事中も周囲の警戒を続ける。幸か不幸か視界内に遮蔽はまったくない。接近されたらすぐわかるだろう。
「しかし……すごい風景だな、これ」
「わらわも、砂の国は初めてじゃ。こういう場所におると、人間がちっぽけに思えるのう」
そう、俺も海外旅行は数回だけ、渡航先もアジア圏だったので砂漠は初めての経験だ。三百六十度地平線しかないなんて風景は見たことがなかった。
美しいといえば美しいし、雄大といえば雄大なんだが、漠然とした不安感というか無力感のようなものも感じる。
ここでキャスパーが壊れたら。仲間とはぐれたら。補給物資を失ったら。負傷や病気で行動が阻害されたら。死がすぐそばにあるのだという感覚は、ケースマイアンや王国、共和国にいた頃より遥かに強い。
「大海原に投げ出されたら、こんな感じなのかな」
「おお、それじゃ。そういう経験はないがの。人知の及ばん物に囲まれている感じがするのじゃ」
「北方大陸の方にも、そう感じられますか」
キャスパーの車体が作るわずかな日陰で食事を摂っていた王子が、笑みを含んだ声でいう。
「……“も”、というのは? わらわたちはともかく、おぬしらにとってここは母国であろう?」
「ソルベシアの人間も、砂に囚われた感覚は同じです。他の選択がないだけに、もっと強いかもしれません」
「それは、“恵みの通貨”をもってしても逃れられないのかな?」
「この砂に、水を撒くようなものです」
いくら恵みを注いでも、何も残さず何も生まず、全てが無為に吸い込まれてゆく。いつか芽吹く日もあるだろうと思うには、あまりにも迂遠で無益な徒労でしかない。
そういって、達観なのか諦観なのか、王子は静かに笑った。




