240:王子と魔王
「無理じゃ」
俺の思惑を先読みして、ミルリルが釘を刺してきた。
「いや、まだ何もいうてませんが」
「聞かんでもわかるわ。こやつらを故国へ帰してやろうとでも思っているのだろうが、不可能じゃ。仮にできたとして、ハイダルもそんなことは望んではおるまい」
「ミルさんの仰る通りです、ターキフさん。ぼくらには帰る家もなければ、待っている者も、戻るべき国も、ないのです」
滅びた砂の王国ソルベシア。聞いたこともない名前だ。
ミルリルによれば、大陸の外にも島や別の大陸があるらしいことは、庶民の間でも知られていたようだ。とはいえ大陸外との行き来はほとんどなく、情報も皆無に等しい。いくつか伝わる話も流れの商人や漂着者からの伝聞でしかない。
研究熱心で可能な限り多くの書物に接し、博識な老人に話を聞く機会も多かったというミルリルも、ソルベシアの名を聞いたことはないのだそうな。
「おぬしらの船旅は、何日掛かったのじゃ?」
第四王子ハイダルお付きの侍女兼護衛を自認し、片時も離れず彼を守り続けてきた双子の少女は俺たちの質問にしばし考えた後で、答えた。
「最低でも三十の夜を数えた」
「最大でも四十は過ぎていない」
ずいぶん開きがあるけれども、ほとんど船倉であまり日の目を見られなかったのだとか。途中、嵐で揉みくちゃにされて意識が朦朧としていたとか、聞いてるだけで辛くなる話をサラッとしてくれた。ちなみに双子の名はフェルとエアルだと教えてくれたが、俺にはふたりの見分けがつかない。
「途中どこかに停泊はした?」
俺の質問に、双子は首を振る。少年王子ハイダルが彼女たちの後を引き継いだ。
「海の上での引き渡し以外、一度も止まってはいません。ソルベシアの北方に陸地があるという話を聞いたこともないです。お伽話にはありますが、この国に着くまで、そんなのは夢物語だと思っていましたから」
ソルベシアは、砂の国というからには南方の、熱帯もしくは砂漠気候の国なのだろう。いまいる大陸は温帯か亜寒帯気候といったところだから、ずいぶんと違う。
「最低でも三十日の距離、といったところじゃな」
風向きもわからん上にこの世界の帆走船が一日にどのくらい進めるのかも読めんが、一日平均百キロとしても三千キロ以上はあると思われる。気候の差異を考えても、千や二千では済まんだろう。
「おぬしら、よく生き延びられたのう」
「出航したときは七隻、各船倉に五十はいた子供らが、この島に着いたのは二十を切っていました」
まるで中世の奴隷船だ。いや、まるで、ではないな。奴隷船そのものだ。
「他の船はどうなったのじゃ?」
「「二隻は嵐で沈んだ」」
「一隻は海の魔物に沈められたようです」
「「残りは途中ではぐれた」」
やはり外洋航海は危険なのか。北領や皇国の大型艦艇を見る限り、大陸の船にも一定の航海能力はあるはず。問題が距離だけなら、もう少し貿易が行われても良さそうなものだしな。
逆にいえば、王子たちを運んできた奴らには、そうまでしてこの大陸に到達するほどの理由があったのかと疑問に思う。積荷もしくはこちらの産物に富を生むようなものが……
「ん? 王子、もしかしてソルベシアの貨幣は金貨?」
「はい」
「金貨一枚で、庶民が何日暮らせる?」
王子が頭を悩ませたのを見て、王族には無茶な質問かと思い直した。
「失礼、いまのは忘れて。……じゃあ、このくらいの金貨で馬が何頭買える?」
実際に大陸の金貨を出して、手渡す。
「四頭。良馬なら二頭」
「「ソルベシアは良馬の産地」」
双子女子のコメントで、勝手にアラブっぽいイメージが浮かぶ。言葉尻が過去形ではなかったあたりに、彼らの思いが現れているのかもしれない。
「ふむ。共和国でなら、ふた月ほど借り出すときの金額じゃの」
「船団を出した奴らの目的は、こちらの金だったのかもな」
「なるほど、ハイダルの国では馬が安いのではなく、金貨の価値が高いのじゃな。その差額で儲けられると」
そのために荒海を超えて、存在すら朧げな未知の大陸を目指すか。商材が生贄用の子供ってんじゃなければ、商人の根性を褒めてやりたいところだがな。
いや、正確には“未知”ではない。洋上取引をするってことは、事前に接触があったわけだ。皇国か王国か知らんけど、こちらの商人はある程度ソルベシアについて把握していた可能性が……
「……そうだ、コーヒー」
「え?」
「君らの国に、赤い甘い果実の種子を炒って苦いお茶にする風習は」
「はい、カフィルですね。大人は好んで飲みます。目が覚めて力が出ると」
当たりだ。王国南部貴族領で流通しているようだが、こちらの気候でコーヒーは育たない、はず。過去にも南部熱帯地域と貿易はあったんだ。
「ミル、エルケル侯爵に聞けばソルベシアか、ソルベシアを滅ぼした国の情報は得られると思う」
ミルリルは俺の言葉に感心したような顔をしたが、すぐにまた眉を顰める。
「さすが商人じゃな。そこまでは大したものじゃ。だが、いうておるではないか、“無理じゃ”と」
「航海のことなら……」
「違う、そういう話ではないのじゃ。仮に、わらわたちが手を貸したとしよう。それ自体は構わんが、おぬしは奪われた砂の国を取り戻してハイダルを王位に着けるつもりか? 敵を討ち亡ぼすだけならできんこともないであろうが、その後はどうするのじゃ? 頼りになる部下も兵もなく、民を守れると思うておるのか。寡兵とはいえ戦力があり、備える時間もあって、常に支え守り続けることができたケースマイアンとは話が違うのじゃ」
「……ああ、わかってる」
わかっては、いるのだ。少なくとも、頭では。困っている子供たちを前に自分が無力で役立たずだと認めたくなかっただけだ。その実、できることはといえば罪悪感を抱えたくないがためだけに中途半端に手を貸し、アフターケアもなしに放り出すという最悪の行為だけだということも。
郡山の婆ちゃんの忠告を、俺はすぐに忘れてしまう。
そもそもケースマイアンだって、無茶苦茶な話だったのだ。勢いで奪還したはいいけど無謀で無計画なまま三百倍の討伐軍が押し寄せてきた。辛うじて犠牲者無しで乗り切ったものの、あんなのは奇跡でしかない。現在進行形で積み重なっている恨みや潜在的敵対者も含めれば、ケースマイアンは常に危機的状況のままだ。
「ターキフさん。ミルさんの仰る通りです」
先程と同じセリフを、ハイダルは俺に掛ける。
「お気遣いいただいたことは感謝しますが、ぼくは、ソルベシアの再興を望んではいません」
「「王子」」
「我が祖国は、もう滅んだのです。王と王族が、無能だったせいで、です」
「「王子は悪くない」」
綺麗に揃って反論する双子の声に、ハイダルは静かに首を振った。
「亡国の責任は、為政者にある。言い訳は許されない。どれほど努力しようと、どれほどの理想を持ち崇高な意思で善政を敷いていたとしても、例え誰がどんな汚い手を使ったとしても、だ」
仮にも王子だった人間が奴隷船に詰め込まれて数千キロ先の大陸に売られるとなれば、それなりの謀略や裏切りや血みどろの惨劇があったのだろう。だが彼は口を噤んだまま、何も話そうとはしなかった。
「……この島に、新生ソルベシア独立領を打ち立てるくらいは、許されるかもしれんがの」
ミルリルの言葉を聞いて、若き王子は柔らかに笑った。
「それは素晴らしい、夢溢れるご提案です。ミルさん、ありがとうございます」
「「……王子!」」
「ですが、幼き民すら我が手で守れぬ無能に、そんな夢を見る資格はありません」
期待を込めた双子の訴えに、王子は振り向きもしない。
話は、そこで終わりだった。
しんと静まり返ったアジトの暗闇に、寝言なのか幼い子供たちが啜り泣く声が聞こえた。




