239:魔王の罪
アジトに入って、すぐにわかった。これは、俺たちの責任なのだと。
入り口の内側に掛かっていた外気遮断用の毛皮を潜ると、前に入ったのと同じ空間が広がっていた。火の気が絶えて久しいのだろう、真っ暗で冷え切っていて、印象はずいぶん違う。饐えた匂いが、鼻をつく。
アジトに向かった俺たちの前には、リーダーらしき少年。ふたりの少女は俺とミルリルの背後から、二メートルほど距離を取ってついてくる。たぶん、俺たちが危険と判断したときには迷わず殺すつもりなのだろう。意図はわかったが、あえてそのままにしておいた。こちらに勝てるかどうかは考慮の外、という覚悟が感じられた。
「あれです」
ローティーンの少年少女三人が必死で守ろうとしていた“仲間”は、彼らよりさらに幼い少年少女が十人ほど。ガリガリに痩せ土汚れと垢にまみれ、目だけが冷えた光を放っているのが痛ましかった。誰もが逃げる気力もなく、岩陰に寄り集まってこちらを見つめている。
「……外で、焼いておった……死体は」
「転がって腐り始めた大人たちの死体と」
「生き延びられなかった、仲間の子たち」
吐き捨てるようにいった少女ふたりの言葉を聞いて、俺たちはその重さに呻き声を押し殺す。
「焼いたら煙が上がるのは、わかってました。失敗だったと思います。でもまさか、大人が戻ってくるとは思ってなかったので」
「……それはそうじゃ。ここにはもう、何もないと思っておったからのう」
彼らを攫い虐げた者たちの目的は把握していなかったが、それが誰で、どういう末路を辿ったのかは知ってる。しかし。
「おぬしら……あのときから、ここにいたのじゃな」
「あのとき?」
「半月ほど前か、海賊たちが殺されただろう」
「……なんで、それを」
答えるべきか迷う資格など、俺たちにはない。
「それが、俺たちだったからだ」
「……すまぬ」
「「なにが」」
謝る理由が理解できないと、少女ふたりはミルリルを見る。
「そのとき、おぬしらの存在がわかっておれば」
「「見付けられたりしない」」
「戦闘音を聞いて、すぐに仲間を岩陰に隠したんです。捜索している大人がいたことは知っていますが、彼らに見つかるような真似はしません。だから、同じことです。あのときは、あれが正しかった」
要約すると、こういうことだ。自分たちは他人の善意を信じたりしない。だから生き残ったのだし、接触を避けた判断は間違っていなかったと確信している。
だから、謝られる理由などない。たとえそれで、仲間が死んだとしても。
「……いま、怪我人や病人は、おるのか」
「「いない」」
ホッとする間もなく、少女ふたりは感情も込めずに応える。
「「弱い者は、みんな死んだ」」
「……」
ショックを受けなかったといえば嘘になるが、こっちの勝手な感傷よりも生き延びた者たちを優先する。罪悪感も後悔も俺たちの都合、俺たちの問題だ。彼らが下した決断、彼らの到達した死生観を否定することになる。俺はあるだけの毛布を子供達に渡して、すぐに食事の準備をする。ホワイトガソリンの行軍用ストーブを出すと大鍋を掛けて水を張り、少しでも暖が取れるように強火で焚く。有角兎を小さく切って出汁を取る。
大人が消え孤立してからはもちろん、俺たちが海賊を皆殺しにするまでも、まともな食事を摂っていたとは思えない。栄養価が高く消化の良い物、と考えてワイバーンの肉団子を浮かべた香草入りの麦粥を作る。
出来上がりを待ってる間、ミルリルに糖衣チョコレートと海難救助用の栄養ブロックと香草茶を配ってもらう。
「渡すときに、少し一緒に食べてやってくれないか。それで、毒じゃないとわかるから」
「わかったのじゃ」
それは無駄な気遣いだったようだ。子供たちに菓子やお茶を配る役割は、年長の三人が中心になって動いた。手渡す前に、必ず自分たちが少し口に入れて安全を確認している。
ミルリルの邪魔こそしないまでも、仲間たちーー特に小さい子には、できるだけ近付けさせないようにしているようだ。俺たちの扱いは、“すぐに対処しなければいけないほどの危険ではない”というだけであって、無条件に信用したわけではないのだ。
「できたぞ。そこの器によそってくれ。熱いから、気を付けてな」
「「「あああぁ……」」」
炊き上がった寸胴の蓋を取ると、立ち昇る湯気と肉の香りに子供たちからどよめきが上がる。
「俺たちも同じものを食う」
毒見の代わりに少しだけ食べるところを見せたが、子供たちはそれどころではなく目の色を変えて一心不乱にガツガツと貪り始めた。前に見た、飢えた冒険者たちの掻き込むような食べ方ではない。麦の一粒、スープの一滴も無駄にしないよう素早く慎重に口に運ぶ。その間も器は抱え込むように守り、奪われないよう周囲に視線を走らせる。笑顔などない。声も出さない。それだけで、どんな暮らしをしてきたのかがわかる。
泣きそうなのを堪えているのだろう。ミルリルは涙目で口をへの字に結び、怒ったような顔になっていた。
「まだ、あるぞ。足りなかったら、もっと出す……」
「いや、いまは、程々にしておくのじゃ。長く飢えておったところに、あまり急に詰め込みすぎると、体が驚くのでな」
そうか。そういうもんなのかもしれん。不況だなんだといっても、しょせん俺は飽食の国からきた人間なのだ。飢餓状態になった経験もなければ、そういう状態の人間と接したこともない。
「なに、心配するでないぞ。後でもっと、ずーっと美味い物を、たらふく食わせてやるのじゃ」
横でパタリと、小さな子がスプーンを取り落として倒れる。一瞬サァッと血の気が引いたが、すぐに双子の少女が動じた様子もなく抱き止めて毛布に包む。
「お、おい……その子は」
「「眠っただけ」」
寒いなかでは眠るにも熱と体力とカロリーが必要なのだというような意味のことを、年長の少年がいくぶん子供らしい表現で俺に説明してくれた。火に当たって、お腹のなかから暖かくなって、ようやく睡眠欲が勝ったのだろう。ホッとはしたが、子供たちが如何に過酷な条件で生き延びてきたかを再認識させられる。
腹がいっぱいになった子たちが、ひとりずつ倒れるように眠り始めた。年長の三人も目がショボショボしている。睡魔に襲われてはいるのだが、まだ素性の知れない俺たちの前で無防備な姿を見せるわけにはいかないと気を張っているのだろう。
思い出して、前に使った折りたたみベッドと寝袋を渡す。人数分には足りないが、残りはあるだけの毛布を使ってもらおう。結局使わなかった非常用保温フィルムも渡す。
「これはシャリシャリうるさいけど、身体に巻くと熱を逃がさない。病気の者が出たり、非常時に使ってくれ」
「魔道具?」
「そんなようなもんだ。燃えやすいので火の側では使わないこと。そっちの箱には、さっき渡したのと同じ非常用の携行食料と栄養価の高いチョコレートが入ってる」
「……ありがとう」
次から次へと渡され反射的に礼はいったものの、こっちを信用したわけではない。なんでこんなことすんのだという不審感にシフトしただけのようにも見えるが、構ってはいられない。
たぶん彼らは、ここからの避難に応じないという予感があったからだ。
「……のう、おぬしら。よかったら、ホバークラフトのなかに来んか。あれなら風も入らんし、明るくて暖かい。椅子も柔らかいぞ。少し、うるさいかもしれんがのう」
「「行かない」」
即答。俺は、彼らの今後をどうするべきなのかで迷う。彼ら自身がどうしたいのかもあるが、ここで生き延びられる方法がイメージできない。
「警戒するのはわかるけど、ずっとここで暮らすのは無理だろ。帰る家があるなら送るけど」
「「そんなものない」」
「ここで生きる」
「ここで死ぬ」
少女ふたりは完全拒否。少年の方も、俺たちについてくる気はないようだ。安全な場所に連れてゆく、といったところで聞き入れるようには見えない。
「ぼくらには、帰る家はないです。もう家族もなく、家畜のように売られたんです」
「売られた……って、それは海賊に?」
「いろいろです。最初に船へ乗るように命じたのは、黒っぽい服の男。海の上で貴族みたいな男に渡されて、ここに着いたとき海賊に引き渡されました」
どこのどいつかわからんけど、洋上取引というのが引っ掛かる。黒っぽい服というのは、皇国軍だろうか。北領沖とかならありえないこともない。だが南領の領海だとしたら、あまり考えたくないが王国貴族という可能性もある。
「おぬしら、海賊砦で下働きをさせるには、あまりに幼いがのう」
ミルリルさんは伏せたようだが、性的搾取が目的だとしてもだ。俺たちの疑問に、少年が暗闇の奥を指した。
「たぶん、贄にするためです」
「……ああ。海賊の連中、おかしな邪法の儀式をやっておったのう。あれか」
少年少女たちは暗い目で頷く。もしかしたら、既に仲間が犠牲になったのかもしれない。
いまは灯りもなく視認できないが、入り口からまっすぐ進んだ先、ゆるい傾斜を上がったところに祭壇めいた石造りの台が据えられていたのを覚えている。
玉座の間というような場所で、よくわからない異常な儀式が行われていたのだ。詳細はわからないまま海賊も民間人を装った敵も皆殺しにしてしまったので、それがどういうものかは、わからず仕舞いだったが。
石造りの台の中央に豪華な椅子があって、キャプテンハットを被った海賊の頭領らしき白骨死体が座らされていた。その前に人質が引き出されて、魔道具と思われる妙な蛮刀で殺されそうになっていたのを思い出す。刀身には奇妙な紋様が刻まれ、柄に嵌まった魔石が淡い紅色の光を放っていた。どこの国ので作られたものかは知らんが、生贄のために少年少女を集めてきたのか。どうかしてる。
「あれは、誰が主体で行われていたんだ?」
最初に見たときは海賊の妙な趣味かと思ったが、大量の贄を集めている時点でコストが合わない。北領か東領か、それとも皇国か。そもそも贄だか糧だかを捧げて何をするつもりだったのかもわからない。王国で勇者召喚をしたときも、同じように大量の亜人たちが犠牲になったと聞いているけど……
ここでも勇者召喚が行われようとしてたとか?
「わからんのう。おぬしら、どこの出身じゃ?」
ミルリルさんの疑問に、少年少女三人は口を噤んで身を強張らせる。
「いや、君らの過去やら出自やらを詮索したいんじゃなく、何か異常な企みを進めていた奴らの目的と黒幕を知りたいんだよ。もちろん、話したくなければ、話さなくてもいい」
「しかし……家族がおらんとしても、故郷に戻りたくはないのか?」
「「もう王国はない」」
少女ふたりの答えを聞いて、俺とミルリルは顔を見合わせる。
黒幕は、まさかの王国? この期に及んで陰謀を企てるバカが王国に残っていたとは。それが事実だとしたら、ずいぶん面倒臭いことになりそうだ。そして俺たちもまた――自業自得なところも含めてだが――愚王サリアントの遺した鬱陶しい思惑や欲望の残り滓にまみれてしまうであろうことも……
「……ん? ちょっと待った。君ら、船で運ばれたんだよね?」
「はい」
王国で海に面しているのは南部貴族領のわずかな地域だけだ。ということは、あれか。エルケル侯爵たちの叛乱に与しない……あるいは仲間として戦ったなかに、今回の少年少女誘拐犯がいたということか? 逆に、共和国内の騒動に裏で関わっていたことで、王国内の騒乱には加わっていなかった勢力とか?
いや、いまいちピンとこないな。どこか腑に落ちないというか、すんなり頭に入らない。
「確かにメテオラで軍船は見たけど、あれサリアント王の脱出用だろ?」
王国のやつら、子供を攫って生け贄にしてるような余裕なかったんじゃないかな。
「もしやそれは、サリアント王国ではないのではないかのう?」
ミルリルが、少年少女たちを指す。
「この淡い褐色の肌、艶を見る限り生まれついてのものじゃ。王国では、あまりおらんな。この目や髪の濃い茶色、巻き毛のような癖もじゃ」
ミルリルさんもドワーフによくあるクセ毛だけど、それとは違う感じなのだ。少年が吐息をついて、前に出ようとした双子の少女に手振りで抑える。
「お話しします。約束を守ってくれるなら」
俺は頷き、約束するとばかりにミルリルが手を上げて誓う。
「ぼくの名はハイダル・ソルベシア。滅びた砂の王国ソルベシアの第四王子です」




