238:砦の三人
俺は海賊砦へとグリフォンのハンドルを向ける。あんなとこ、二度と戻ることはないと思っていたんだけどな。
島の内湾は開口部が南東に向いていたが、なにも島内から警戒されているであろうそちらから馬鹿正直に近付く必要もない。ホバークラフトにとってはアプローチできる傾斜さえあれば上陸可能地点は外海に向いた側でも関係ない。岩礁によってできた島(というか基本的に岩礁そのもの)なのでラバー製スカートの損傷に気を付けて慎重に地形を選ぶ。
運転席の屋根に腰掛けて周囲を警戒しているミルリルだが、胸元に抱えたUZIをどこにも向けようとはしていない。ということは敵がいないか、敵対する様子がないかだ。
「ミルリル、砦に動きは」
「ないのう。おかしな感じじゃ。あやつら、まるで警戒はしておらん。むしろ……必死で隠れようとしておるようじゃ」
ようやく緩いスロープ状の位置を見つけて、ゆっくりと島に上陸する。攻撃も警告も、そもそも見張りも見当たらない。大陸から見て裏側になるこちらはアジトのある丘の背面で、敵の上陸を想定していなかったのか完全に無防備だ。とはいえ切り立った崖のようになっているので、そこから入り込むには向かない。
俺はグリフォンを進めて、丘を回り込む。砦の外壁を迂回して、かつて乗り込んだのと同じ位置から城壁の隙間を通過した。海上からは城壁のように見えてはいるが、その実ただ幅が広いだけの木組みの櫓だ。西側と南側を守ってはいるものの、両者は連結されていないし丘の四方を囲ってもいない。侵入者を妨げる機能もない。いってみれば、大陸側から近付く者に警戒を促すだけの、巨大な衝立でしかないハリボテだ。
壁の隙間から内部に入ると、二百メートル四方ほどの平野が広がっている。あちこちに廃材が組まれ、火が焚かれている。
「上がっておった煙は、あれじゃな」
「暖を取るなら何も外で焚かんでも……ああ」
車内まで入り込んできた臭気で、それが死体を焼くためのものだとわかった。
「……死体は、十体ほどあるようじゃな」
「問題はそれが誰のものか、だな」
平野の奥に、高さ十メートルほどの丘。その中腹には海賊たちが占拠していたアジトの入り口があった。簡素な木組みのゲートから顔を覗かせている者たちが見えてはいるが、距離が二百五十メートルほどはあって俺には彼らの素性までは判然としない。
「……なんじゃ、あれは」
ミルリルが唸り声を上げた。いや、そんなん俺に訊かれてもわかりませんが。
「海賊じゃないの?」
「うむ。ここの奴らは、前に皆殺しにしたからのう。居るとしても、新しく入り込んだ連中と思っておったんじゃ」
海賊が占拠していた頃は、丘の手前に何カ所か見張りが配置されていたんだが、それもない。アジトの内部に逃げ込んで震えてるだけのようだ。
「どこかの漂着者かな。それとも、逃げ込んだ犯罪者?」
「わからん。わらわには、子供のように見えるがのう」
「え?」
三つの人影が入り口から飛び出し、丘を下ってこちらに駆けてきた。攻撃の意思は感じられないのだろう。ミルリルが彼らに銃を向ける様子はない。
「ヨシュア、飯は用意できるかのう?」
「飯? ああ、いろいろ雑多なストックはあるけど、なんで……」
理由は、すぐに理解できた。近付いてくる人影が視認できるようになると、それが痩せこけた子供たちだとわかったからだ。雪の降り積もる冬場だというのに裸足で、薄いボロ切れをまとっただけの少年少女だ。
決死の覚悟でやってきたのだろう、先頭を進んでくる最年長らしき男の子が両手を上げて俺に叫んだ。
「殺さないで! なんでも与える、ぼくたちが人質になる! なんでも要求に従う! だから、誰も殺さないで!」
ミルリルが反応するまでに、わずかな間があった。彼がどういう心境で何を覚悟してここまで駆けてきたのか、なんとなくは理解してしまったからだろう。
彼女はグリフォンの屋根から、少年に声を掛ける。
「……ああ、わかった。安心せい、わらわも、こやつも、おぬしらには何もせんわ」
ミルリルの声が、途中で不自然にひび割れる。いまにも泣き出しそうに、くしゃりと顔が歪む。
「その……代わり、といっては、なんだがのう。おぬしら、一緒に飯でも食わんか」
「……え?」
「わらわたちは、腹が減っておる。食い物は持ってきておるがの。少しばかり、あれじゃ。用意に、手を貸せ。……要求は、それだけじゃ」
自分でも無理がある話だとわかってはいるのだ。お前ら見てらんないから飯食え、といったところでここまで警戒状態の子供がすんなり受け入れるとは思えない。食い物がある、と聞いた途端にゴクリと喉を鳴らしてしまったとしても、だ。
「あ、うん。いい、けど……ぼくたちは、その……」
「おぬしらの素性は知らんし、特に興味もないわ。いいたければ聞くし、いいたくないならそれでも良い」
会話の間も、年長の少年の陰に隠れた目付きの鋭い女の子ふたりが、こちらの動きをじっと見据えていた。双子なのか同じ顔で、同じ体格。ひとりはミルリルを、ひとりは俺を睨みつけている。それぞれ後ろ手に握り締めているのは、拾ったナイフか何かだろう。こちらと敵対することが明確になったら、刺し違えてでも少年を守ろうと考えているようだった。少年も少女も年齢は十代前半、栄養状態が悪いみたいなのでもう少し年上の可能性もある。見たところ獣人ではないようだが、その目は出会った頃のヤダルに、少し似ていた。
「信用できんか? まあ、そうであろうな」
ミルリルが、屋根から飛び降りて子供達に歩み寄る。UZIは革帯で背中に回され、両手は見えるところに開いて伸ばされている。
その手がヒラヒラとはためいたので、俺は彼女の意を汲んで、そこに収納から取り出した物資を乗せる。左手の上に携行食の入った小さめの段ボール箱。右手の上には五百ミリリットルのミネラルウォーターを十二本束ねたシュリンクパックだ。かなりの重量だろうが微動だにせず受け取ったミルリルさんは、それをポカンとした顔で固まっている少年に押し付ける。
小柄なミルリルが軽々と持っていたことで油断したのか、受け取った男の子は重さに怯んでよろめく。
「……あッ!」
咄嗟に飛び掛かろうとした女の子たちを、少年が身振りで制止したのがわかった。身構えた姿勢のまま、少女二人はミルリルに剥き出しの敵意をぶつけてくる。
「安心せい、ただの食い物と水じゃ」
「「そんなもので騙されるとでも思った⁉︎」」
獰猛な目をした双子の女の子は、ふたりが同時に同じ言葉を吐き捨てる。武器を持っていない方の手がわずかに宙を掻いたのは、施しは受けないと跳ね除けようとでもしたのかもしれない。自分たちだけなら拒絶したのだろうが、背後を気にして、その手は止まった。
想像でしかないが、たぶんアジトに隠れたままこちらを伺っている仲間たちのことを考えて思い留まったのではないかと思う。彼らが何者で、どこから来たのかは知らんが、態度と外見から、なんとなく想像はつく。どこぞで虐げられ踏みにじられ捨てられたか逃げてきたかで、世間に対して不信感の塊になっているのだろう。
「「……どういうつもり」」
「どうもこうもないわ! おぬしらのような痩せっぽちのガキを見て、平気でいられるわけがなかろうが!」
「「あんたも似たようなもんじゃない!」」
そらいうたらイカンやつや、とは思ったがミルリルさんは気にも留めず、女の子ふたりを見て笑った。
「笑わすでないぞ。わらわは、幼い仲間を飢えさせたりせん」
女の子ふたりも、リーダーらしき少年も。その言葉に息を呑んで歯を食いしばる。売り言葉に買い言葉、ではあったがそれは残酷過ぎた。
「……すまん、いい過ぎたのじゃ」
ションボリと頭を下げるドワーフ娘を見て、少年少女はリアクションできずにいる。なにがどうなってんのかわからんのだろう。それそろ俺が出ていかなければいけないのかな。でも、オッサンが出てったら、この子ら余計警戒せんかな。
「「「……」」」
「わらわが、仲間を飢えさせずに済んだのは、単に偶然と幸運が重なっただけじゃ。おぬしらより優れているわけでも、慈悲深かったわけでもない」
「……あなたは、どういう」
「その話は、後にせんか。怪我や病を持った者が居れば出来る限りのことはする。飯も出してやるし、どこぞに家があるのなら送ってもやろう。どうじゃ」
「……はい」
「「こんなやつ、信用するの⁉︎」」
憤怒の表情で詰め寄る女の子ふたりの視線を受け止め、少年は黙って頷く。荒事をこなす能力でいえば女の子たちにまるで及ばないような印象だが、彼の物腰には意思決定に文句をいわせないだけの気迫がこもっていた。
「ひとつだけ、約束してください」
「……聞いてやるのじゃ、何でもいうてみい」
ミルリルに真剣な顔を向け、チラッと俺にも視線を投げて、少年はいった。
「もし、仲間の誰かを殺すときには、ぼくを最初にしてください」
相手もそうだろうが、のじゃロリさんも、あまりに勝手の違う相手に困惑しているようだ。こちらを振り返って、呆れたように首を振る。
「良かろう。わらわも、あの男もじゃ。その約束、決して違えん」




