236:ディアハンターズ
「……あの、ターキフさん? いったい何がどうなって、こんなことになってるんですか?」
昼前に帰宅したアイヴァンさんのお父さんオーエンズさんは、手を振るこちらの集団を見て首を捻る。続いて戻ってきた、お母さんのミルエーナさんもキョトンとした顔で首を傾げていた。
「話せば長くなるんですけどね。はい」
ジュウジュウと肉の焼ける匂いに、酔っ払いたちの喧騒が混ざる。アイヴァンさんの実家と庭を挟んで隣接したルーエさん宅のデッキで、雌鹿の巨体が解体されては部位ごとに串を打たれている。仔鹿の方は肉も皮も高値が付くとのことで、端の方にある物干し的な場所で逆さに吊られて血抜きされている。後で肉の下処理と皮剥ぎが行われるそうな。
船着場の被害が大きそうだったので、俺は鹿の引き取りを辞退した。親子鹿の売り上げ利益は水運ギルド(初耳だけど、そういうのがあるのだそうな)に提供することにした。エラい感謝されたけど、常日頃アイヴァンさんに世話になってるお返しだ、とかいって恩義の応酬は地元に丸投げする。
「ターキフさんたちが、船着場に現れた防盾角鹿を退治してくれたんですよー、すごかったー、ミルさんがベベベーンて、キョーンて、ドーンですよー」
河船乗りのルーエさん、真っ昼間っからベロンベロンである。せっかくだからと余ってたウォッカを提供したのは俺だが、完全に酔っぱらって説明も要領を得ないし、なんか時系列が混じってるし。
「こんな巨大な鹿が……船着場とか船乗りに被害は?」
「お前んとこのお客人のお陰で、怪我人はいない。荷物も無事だ。いくつか船が潰されたが、たいがい古いのばっかりだから、額は大したことねえな。仔鹿二頭と親鹿の素材で、釣りが出るんじゃねえかな」
河船乗りの親方が赤い顔で笑う。実際、その場にいたひとたちに怪我がなかったのが不幸中の幸いだった。早々に見切りをつけて建物の陰に逃げてたのが良かったようだ。
「オーエンズも、どうだ。この鹿、脂の乗りはもうひとつだが、なかなか美味いぞ?」
「……ああ、いただこう、かな」
「うむ、これは変わった味わいじゃ。香草でもまぶしたような風味が実に美味いのう」
モキュモキュと鹿串を頬張りながら、ミルリルさんがご機嫌で頷く。
「それは、冬場の防盾角鹿が河原の苔やら薬草を大量に食べてるからだっていわれてるねえ。本当かどうかは知らないけど」
ルーエさんちのお母さんが笑いながら教えてくれた。ノルダナンの女性陣の例に漏れず、なかなか恰幅が良い。料理も上手い。いや、ふくよかなのは料理が上手い結果なのかもしれんが。
俺も鹿串をもらったが、たしかに美味い肉だ。塩を振っただけなのに、シシカバブぽい感じの味がする。少々硬いが噛むほどに濃い旨味が滲み出て、スパイシーな風味が鼻に抜ける。
「おお、これは美味いな」
「うん、とっても美味しい!」
いつの間にやら宴席に混じっていたアイヴァンさん夫妻と娘コリナちゃんも、嬉しそうに肉を頬張っている。サルズも決して貧しくはないし、それなりに美味しい物が食べられるけど、こういう野趣溢れる味は食べる機会がなかった。ダンジョンで仕留めた有角兎くらいか。
「アイヴァンさん、この後に仕事がないなら少しどうですか?」
「おっ、これは前に“狼の尻尾亭”で飲んだ透明な火酒か。もらおうかな」
「アイリーンさんは?」
「すみません、お酒は飲めないんです」
ミルリルも首を振ったので、女性陣にはペットボトル入りのジュースを出す。炭酸入りで果汁がほとんど入ってないタイプだけど、いまノンアルコールはそれしか持ってない。
「甘〜い♪」
「シュワシュワするねえ、変わってて美味しい」
利発なコリナちゃんもジュースで顔を輝かせるあたりが子供っぽくて可愛らしいけど、女性陣にも好評なようだから、そもそも甘味が貴重なせいもあるのかもしれない。
「ミルリル、この鹿は魔獣ではないんだよね?」
「ふつうの獣じゃな。体内に魔珠はないはずじゃ」
あんな化け物、ぜんぜん“ふつう”じゃねえ……とは思うが、魔獣かどうかは魔珠のあるなしで分けられるため、分類上は“ふつうの獣”ってことになるんだろうな。
下手な魔物より強いしデカいしタフで恐ろしかった。今回ばかりは本当に、死ぬかと思った。銃の選択ミスといわれれば、それまでなんだけどな。
「これ、上等な皮鎧が二十人分は作れるねえ」
ルーエさんちのお母さんが、肉を捌きながら俺にいう。剥がれた親鹿の皮は鞣しの前に脂肪分の削ぎ取りをするらしいけど、庭に広げられたそれは畳十枚分くらいありそうだ。
「こんなに大きなのは滅多に見られないし、傷も殆どないから、業者が大喜びで引き取ってくよ」
それを聞いた俺とミルリルは、目を見合わせて苦笑する。傷がないというよりも、傷を負わせられなかったというのが正しい。後でルーエさんに聞いたところによると、この武闘派草食獣の防盾角鹿は狼なんかに食い付かれるのに対応した進化なのか喉笛あたりにひと際分厚く硬い皮が発達しているのだそうな。解体してるとき体毛を掻き分けて確認したが、恐ろしいことに貫通力に優れたはずのモーゼル弾は擦り傷程度の弾痕しか残せていなかった。なんだそれ。こいつの皮、セラミックプレートかなんかかよ。危うく返り討ちにされるとこだったわ。ミルさんマジ天使。
「眼球以外には鏃も受け付けんとはのう。“れみんとん”でも仕留められたかどうか」
「無理無理、そもそも狭い船着場のなかで、あんな取り回しにくい銃じゃ当てられんわ」
AKMなら当てることはできただろうけど、倒せたかどうかはわからん。トカレフ弾を弾くならアサルトライフル弾も弾きかねんぞ。となるとRPGか? それはいろんな意味で、悪い冗談でしかないな。
「ターキフさんたち、仔鹿を見たかい?」
ルーエさんのお父さんが、ほろ酔い顔で手招きしている。俺とミルリルは顔を見合わせて吊るされた仔鹿のところに向かった。俺が一撃で仕留めたということで、みなさんからエラい持ち上げられたんだけど、実際はろくに狙いもせず二十発をフルオートで叩き込んだだけ。とうてい褒められるような状況ではなかった。
「ほら、これだろ魔道具の鏃の跡」
一体には首筋にひとつと、脇腹にひとつ。もう一体には、人間でいう肩甲骨のあたりにひとつ射入孔がある。その三発以外には、ない。
嫌な予感がした。傷の周囲を指で触れて、お父さんのいわんとしてることがわかった。若い仔鹿だと皮膚も柔らかいのかと思えば、柔らかいのは肉と毛だけで皮膚は叩くとコンコン鳴るくらいにガチガチである。そら成獣よりは柔らかいのかもしれんけど、俺からしたら誤差程度。つまり……
本当に、たまたま当たった場所が、硬い皮膚の間にあるわずかな継ぎ目だったということだ。
「これは素晴らしい腕だよ! ミルさんも凄いけど、ターキフさんもエルフ並みの射手だね!」
「あ、あはははは……」
リアクションに困って、俺とミルリルは固まった笑顔で応える。
「……ねえ、ミルリルさん。俺、モーゼルは宝物として大事に仕舞っておこうと思うんだよね」
「それが良いかもしれんのう……」
マジで九死に一生を得ていた俺は、謙虚に生きていこうと決めた。




