235:鹿鳴
ああ、わかってた。
こうなることを、予想はしていた。重々承知の上で、それでもあえて挑んだのだ。自分にとって永遠のナンバーワンである拳銃がどこまで通用するのか、その真価を問うために。
……その結果といえば、だ。
「でんでん効かん」
それはもう、面白いくらいに。橇を引く馬の三倍て聞いた時点で諦めるべきだったのだ。目測でいうて体重三倍で効かんぞ。だいたい、あれホントに鹿か⁉︎ 防盾角鹿というらしいその生き物は、サイに似た分厚く頑丈そうな皮膚に密生した長い毛を纏い、ヘラジカのような巨躯を怒りに震わせている。名前の元になった巨大なツノは平たく厚く、顔まで垂れて急所をカバーして突進を助ける。まるで天然のブルドーザーだ。
話は、少しだけ遡る。
アイヴァンさんの実家を出た俺たちは、スペイン製コピーを構えた俺を先頭に、中国製の45口径山西十七型を二丁拳銃にしたミルリルさんがバックアップという変則的なモーゼルミリタリーヴァリアント混成チームになっていた。そんなチームに何か意味があるのかといわれれば、ない。使ってみたかっただけなんだけど、無理があるのは承知の上だ。弓矢で倒せるなら偉大なモーゼルが通じない訳がない! とかなんとか勢いでいってしまったのだ。
俺たちの後をおっかなびっくり付いて来てるのが、マッチョな河船乗りのルーエさん。操船や荷運び、漁や魚捌きはお手のものだが、狩りについては素人なのだとか。
進む先の船着場から轟音が上がり、木っ端微塵になった手漕ぎボートらしき残骸がクルクルと宙に舞う。
「……なにあれ、相手は鹿ですよね?」
「鹿だ。ふたりとも、防盾角鹿、知ってるか?」
「聞いたことはあるが、見たことはないのう。たしか共和国にしか生息しておらん」
「なんで鹿が船着場を襲うんですか」
「冬場の生鮮食品が、積み出しのために集積してある。根菜に塩漬けの山菜、干物の茸に海藻。飢えた鹿には餌が山盛りになってるようなもんだ」
銃の選択を失敗したかも。嫌な予感がしたが、退くのには遅過ぎた。出発前にモーゼル自動拳銃の優美さ優秀さを声高に語っていた俺は、ここでミルリルさんから“ホレいうたじゃろ”な視線を受けて怯む。
「心配は要らんぞ、ヨシュア。好きなようにするが良い。いざとなれば……まあ、どうにかなるのじゃ」
ならんと思う。少なくとも俺は。
「前に弓猟師から聞いたんだが。防盾角鹿は右目と左目の間に、急所があるって話だ」
ルーエさんが押し殺した声で囁く。
「額ってことですか」
「違う、鹿は目が横に付いてるから、その目をふたつ貫く位置だ。弓矢では実質、それ以外に倒せん」
「それ、鹿が相当に油断してる状態じゃないと無理なんじゃ……」
横にあった十五メートル級の帆走船がマストごとクシャリと粉砕され、その陰から巨大怪獣のような生き物がのそりと姿を現したときに俺は一瞬、死を覚悟した。
「なにをしておる、ヨシュア! 撃て撃て!」
アストラに装填した弾倉内の二十発を全自動射撃で発射する。軽量高速の拳銃弾は鹿の顔面に吸い込まれるかに思えたが、わずかに下げたツノに当たって悉く弾き返された。
「ちょ、危なッ⁉︎」
跳弾が四方八方に跳ね飛び、船体やら倉庫の壁やらに穴を開ける。流れ弾が身体を掠めて行ったのに肝を冷やす間もなく、鹿の巨体が力を溜め鋭い眼光がこちらを射抜く。俺を敵と認識しているのがわかった。
アワアワと空の弾倉を引き抜いて、二十発の延長弾倉を差し込む。セレクターを単発射撃に切り替え、威嚇のために上向いた瞬間を狙って比較的皮膚が薄いであろう首筋に連続で撃ち込んだ。
やったか、という死亡フラグ丸出しセリフを必死の思いで噛み殺す。案の定、“いま、なにかしたか、ん?”とでもいいたげなドヤ顔で、鹿が俺を見た。
「……え、うそやん」
いや、罪もない野生動物を一方的に駆除するのも心苦しいから追い払えたらそれでいいかな、なんて思ってた部分もあったのは認めるけれども。傲慢どころか身の程知らずも甚だしい考えだったようだ。このままだと駆除されんの俺の方じゃねえか。
「冗談じゃねえっつうの!」
しかし追撃の二連射は首を振っただけで外され、その後の連射も煩そうに身を震わせた皮膚で弾かれているようだ。
「これは、無理じゃな。わらわと交代するのじゃ、おぬしは“えーけー”か、“れみんとん”でも出すが良い」
「頑張れ、俺のモーゼル!」
さらに連射を叩き込むが、ろくにダメージも与えられず、二本目の弾倉を撃ち尽くしてボルトが後退したまま止まる。
「だから、無理だというておろうが。ヨシュア、そろそろ撃っても良いかの?」
「いいけど、俺も弾倉があと一本あるよ」
「おぬしが撃ち込むと弾丸が弾かれて周囲に被害が及ぶのじゃ。暴れ回ると肉が不味くなるし、体内に弾頭が残っては食うのに邪魔じゃ。そもそも、皮膚を通っておらん」
そういう正論で押されると弱い。既に最低でも十発以上は身体に当てたのだ。少なくとも着弾はした。それなのに鹿は倒れるどころか興奮して動きが激しくなっている。出血も見られず、弱った様子さえない。
俺は最後の弾倉を差し込み、初弾を薬室に送り込む。
こら、アカンかもしらん。あんな怪獣の前では、7.63×25ミリのモーゼル弾など豆鉄砲だ。悔しいが、ここは最低でも極地用リボルバーの454カスールくらいは……
「ヨシュア、右じゃ!」
物陰から突進してきた二頭の仔鹿に、俺は振り向きざまスペイン製コピーの弾倉に詰まった二十発をフルオートで叩き込む。咄嗟に反応してしまったが、まだ橇馬より少し小さい幼獣には効果があったようだ。二頭はキョンというような悲鳴を上げながら倒れ、痙攣して事切れた。
「やったか⁉︎」
「やった、のは確かじゃがの。全弾撃ち尽くしてしもうて、向こうはどうする気じゃ」
ブモォーッという音とともに、船の陰から水蒸気が上がる。怒りと憎しみで我を忘れて猛り狂った雌鹿が船体を突き砕き、蒸気機関車のような嘶きとともに向かってくるのが見えた。
「右へ転移を頼むのじゃ」
そうか転移か。テンパりまくりで思い付きもしなかった。とはいえ、狭い船着場では、あまり距離は取れない。七メートルほど離れた位置に飛んだ俺は、収納からイサカを引っ張り出して構える。俺にはアラスカンの反動を制御できない。少なくとも二発目以降は当てる自信がない。AKMでは二次被害が出る。スコープ付きのレミントンなんて論外だ。
「左右の目玉を繋ぐ位置に急所、じゃな」
二丁の45口径のモーゼル模造拳銃から発射された銃弾が、左目へと的確に撃ち込まれる。雌鹿は堪らずガクンと片膝を折った。
「“さんしー”、やらいうこれも、悪くはないが……」
こちらに顔を向けた鹿の目をミルリルが射抜く。分厚い頭蓋骨のなかで脳を掻き混ぜた弾丸は後頭部から抜け、派手に脳漿をぶち撒けた鹿は轟音を立てて横倒しになった。
「良くもないのう」




