232:ノルダナンで待つもの
昼にサルズを出た俺たちは、グリフォンの走破能力のおかげで順調に距離を稼いだ。
ノルダナンまでの距離は、だいたい百キロメートルほど。冬場で通行する者もない街道は、深い雪に埋まってどこが道なのかもわからない。雪を掻き分け、道を確認し、馬を励ましながら休み休み進むことになるため、馬橇だと丸一日は掛かるらしい。だが積雪でフラットになった農地や湿地や細い川も、ホバークラフトならほぼ平地としてフルスピードに近い速度が出せる。実用最高速度で時速八十キロくらいは出るので、百キロメートルなど二時間も掛からない距離である。おまけに、爆音にさえ慣れてしまえば乗り心地もそう悪くない。最初は未知の乗り物に恐怖を抱いていたアイヴァンさんも、歓声を上げて窓の外を見ていた奥さんと娘さんも、気付けば後部座席で寝息を立てていた。
夕方にもまだ早い、日も高いうちにノルダナンと思われる集落が見えるところまで来た。
「ふたつ先の丘の上にある、あれがノルダナンかのう?」
「たぶんね」
近くの町は河向こうにしかないはずだから、そうだろう。南領側からは見てないから、風景からではわからん。
そもそも、あのときは急いでたから町に入らず近くを通過しただけだしな。
「ターキフ、そこで停止じゃ」
「え」
町の全貌が見える位置まできたところで、ミルリルが声を上げて座席の上の銃座に出た。腕には愛用のUZIが抱えられている。俺には何も見えないけど、彼女はドワーフの視力で異変を察知したらしい。
「敵?」
こんなところで? どこのどいつが?
しかし、ミルリルはすぐ座席に降りてくる。呆れたようなウンザリ顔で首を振って俺を見た。
「前進じゃ。問題ない……こともないが、とりあえず敵ではないのじゃ」
しばらく進むと、町の周囲に張り巡らされた……というほど厳重でもないけど、簡易な木柵と町の南側出入り口になっている簡素な通用門が見えて来た。北側の通用門は海妖大蛸の像がドーンと飾られ対外的なアピールをしていたが、領内に向いた方は申し訳程度の木戸が付いた簡素なアーチである。
まあ、それはいいんだけど。そのアーチの前を塞ぐように二頭立ての有蓋馬車が停められていた。
馬車は特に華美ではないものの南領の旗と同じ海妖大蛸の紋が描かれているので、誰の物かは明白だった。
「……なにをしておるのじゃ、あの御仁は」
「暇なのかね。そんなはずないんだけど」
俺たちのグリフォンが近付くと馬車の扉が開いて、男がふたり降りてきた。ひとりは当然のように小太り領主マッキン殿。もうひとりは右目に眼帯をした、長身の人物。
長い耳が見えたことで、それが誰なのかは察しがついた。
「例のエルフか。こんなところで待ち伏せしてくるとは思わなかった」
「おぬしは甘いのう。わらわは、こうなるのではないかと思っておったわ」
俺たちがグリフォンから降りると、ふたりの男はゆっくりと近付いてくる。長身のエルフは、眼帯をしているのと同じ右側の腕と足が不自由なようだ。よく見ると、長い耳も右は先が引き千切られたように欠けている。
「いきなり訪ねて申し訳ない。マッキン領主に顔繋ぎを頼んだものの、それでホイホイ来てくれるようなタマじゃないと思ったんでな。こっちから出向いてみた」
エルフの男性は、意外に快活そうな口調で声を掛けてきた。ただし、その声は元いた世界の魚市場にでもいそうな凄まじい塩辛ボイスだ。
「魔王、こいつはローリンゲン。俺の遠縁に当たる……というよりも、わかりやすくいえば王国のエルケル侯爵の親族だな」
「彼女の大叔父になる。シューア・ローリンゲンだ、魔王陛下。以後お見知り置きを」
「ターキフと、妻のミルです」
「“鍛治王”に娘が生まれたという話は聞いていたが、ここまでの才媛に育つとは……」
「そういう世辞は結構じゃ。ドワーフには馴染まぬ」
にべもないミルリルさんの反応に、エルフは少し戯けたように手を振る。
ミルリルの父親を知っている、といっても長命のエルフでは年齢はわからん。エクラさんより年上というのが何歳なのかは知らんけど、見た目は四十代といったところか。こちらを見る左目に、老成したような穏やかさがある。
◇ ◇
とりあえず一度ふたりと別れ、アイヴァンさんたち家族を実家まで送った俺とミルリルは、マッキン領主が宿泊しているという町長の邸宅に向かった。
ただの田舎町と思っていたが、意外にもちゃんと来賓用の別館があり、それなりに上等な宿泊施設という体裁になっている。マッキン領主たちの待つ応接室まで俺たちを案内してくれたのも、本格的な執事っぽい中年男性とメイドっぽい若い女性だった。執事氏との世間話で聞くと、ノルダナンは河川による物資の流通でそれなりに栄えているようだ。
「改めて、俺はシューア・ローリンゲン。領府ラファンで商業ギルドのギルドマスターを拝命している」
「タケフ・ヨシアキです。ケースマイアンの商人で、休暇中のいまは冒険者をしています」
「ではヨシュアキというのが、家名か?」
「タケフが家名ですね。共和国の方々には発音しにくいようなので、ターキフと名乗っていますが」
「ケースマイアンでは、ヨシュアと呼ばれておったのじゃ」
「魔王、貴族の出ではなかったよな?」
「はい。わたしの生まれたのは階級が廃止された国なので、みんな平民です」
「ふむ」
エルフのローリンゲン氏は、無事な方の左目に面白そうな表情を浮かべる。
……しかし、そう来たか。
どんないけ好かないタイプの量産型イケメンが現れるかと思えば、豪快で粗削りな感じの巨漢。優に百九十センチ近くはあり、俺やマッキン領主より頭ひとつ以上は大きい。どこぞの城壁で対戦車ライフルを振り回していたマッチョなエルフの親類みたいな人物だ。
いや。みたい、ではないのかもな。
「ケースマイアンで、ふたりに世話になっているケーミッヒは、曽孫だ」
「でしょうね。見た目そんな感じします」
近くで見ると、傷だらけの顔だったケーミッヒよりも、さらにすごいことになっている。顔はそこそこ整っているのだけれども、義手義足で補っている右半身には、首から顔まで掛かった酷い火傷の跡がある。眼帯をしているのはたぶん、視力もそれで失ったのだろう。もしかしたら、この嗄れ声もだ。
「なんだ、貴殿ら知り合いか」
「いや、まったくの初対面じゃな。知り合いの知り合い、といったところじゃ」
「ケーミッヒには、大変お世話になってます。とても頼りになる人物で、彼がいなければケースマイアンは陥落してました」
「そんなわけないだろ。あいつにできんのは、せいぜい目立つ的になるくらいだ」
ひでえ。曽孫を悪し様に語るその顔には愛情が感じられるから、本気でいってるんではなさそうだけど。
「そこは、魔王陛下が用兵の妙じゃの。目立つデカブツに似合いの武器を渡せば、最強の敵が喰い付いてきて狩り放題というわけじゃ。ターキフを知っているのであれば、ケーミッヒたちの戦果も聞いたのであろう?」
「……ああ、まあな。話半分かと思ってたが、どうやら事実ってことか」
「なんだローリンゲン、その戦果って。三万人殺しの噂は聞いたが、エルフの活躍なんて……ん?」
マッキン領主の表情が変わる。
おい、知っとんのかい。誰が話した。対空兵力は軍事機密なんだから、ペラペラとそういうこと吹聴しちゃマズいでしょ。
「首都からの復路に魔王から聞いた、あれか。有翼龍を十四体だか撃ち墜としたっていう」
ペラペラしゃべっちゃったの、俺でした。話した記憶は微塵もないんだけど。モフのサポートがあったとはいえ、寝ないで運転し続けてたから徹夜明けハイみたいになってたのかな。反省。
「それじゃな。部下の六名と城壁にすっくと立って、迫り来る無数の龍の群れに一歩も引かず、それはもう惚れ惚れするような勇ましさであった、と聞いておる」
「それは、さすがに話を盛ってんだろ。竦んで動けなかっただけなんじゃねえのか?」
「見てはおらんから知らんがの。十四体の有翼龍を仕留めたのは本当じゃ。その夜の宴は、実に美味であったわ」
「……そっか。あいつら、やったんだな。有翼龍とは悪縁があるからな。戦果は戦果として、心んなかじゃ恐怖に泣き叫びながら、必死で戦ったんだと思うぞ?」
「悪縁というのは、なんじゃ? ケースマイアンが襲われた四半世紀前の敗戦なら話には聞いてはおるが」
ああ、王国軍の数の暴力と有翼龍の上空支援で散り散りにされて全滅したんだっけか。そりゃトラウマにもなるだろうな。エルフたち、よく頑張った。
「それも、まあ、ある。あのときもエルフたちは撤退戦の殿に残って、最後まで城壁で戦ったんだよ。ケーミッヒも、他の生き残りのエルフたちもな。それで、どうにも生還が不可能だとわかったとき、覚悟を決めた」
静かな声でいうローリンゲンの目の奥で、なにか暗いものが揺れた。
「有翼龍の放射火炎で半身が使い物にならなくなってなかったら、俺もそこに残ってたんだがな。弓も引けねえデカブツなんて邪魔なだけだって、引き摺り出されちまった」
「ケーミッヒたちも、かのう?」
「あいつら比較的若い世代も、残るといったが断られた。女子供を守って落ち延びるのが若い者の務めだ、とかいってな。北方エルフみたいに自分たちの血が絶えるような事態は避けたかったんで、当時エルフ部隊の長だったルーエンバイン以下、最精鋭十四名が捨て駒になったんだ」
「ルーエンバイン。……“鷹の目王”じゃな」
前に、ミルリルから聞いた名だ。獣人の“獅子王”、エルフの“鷹の眼王”、ドワーフの“鍛冶王”の合議で旧ケースマイアンの統治は行われていたとか。
「ああ。俺の孫で、ケーミッヒの父だ。魔王の軍で城壁を守ったっていうケーミッヒの部下たちも、あの惨禍を生き残った……つまりは、戦場に残った者たちの、息子なんだろうよ」
そのときの様子を、ローリンゲンは静かな声で話した。
城壁近くの廃屋に隠れて、敵の攻撃が止むときを……訪れるかどうかもわからない脱出の隙を待っている間じゅう、城壁からは悲鳴と肉の焼ける匂い、骨が砕けて血飛沫が飛び散り、有翼龍に生きたまま臓腑を食われる咀嚼音が聞こえてきた。
何度も救援に飛び出そうとした若い亜人たちを止めたのは、ここで女子供を巻き添えにはできないという使命だけだ。
“仲間たちを守れ”
それが、戦場に残った者たちから託された最期の、唯一の願いだったから。
「……それが、どんな気持ちか、……わかるか」
語り終えたローリンゲンは、俺たちふたりに深々と頭を下げる。
「魔王ヨシュア、魔王妃ミルリル。同胞に代わって、心から感謝する」
「あ、いえ……俺は」
「貴殿らが守ったものは、死者たちが遺したケースマイアンの誇りと、血の絆。そして、死に損ねた者たちの心だ」
「……死に損ねた?」
「そうだ。俺たちは、生き残ったんじゃない。死に損ねたんだ。守られたんじゃない。置いていかれたんだよ。それがどれだけ無礼で傲慢に聞こえるかは皆わかってる。でもな」
いい淀んだ老エルフの腕を、ミルリルが慰めるように叩く。
ある意味では、ミルリルも似たような感情を抱えていたのかもしれない。
彼女は、ケースマイアンが滅びた戦争を知らない世代だ。楽園だった故郷そのものを、伝聞でしか知らない。誇りと栄光を後の世代に託して、美しい姿だけを記憶に刻んで、儚く滅びた楽園。実態は近付くことも許されない占領下の廃墟だ。落ち延びた後の世代に残されたのは、いつか取り戻すのだという枷だけ。
ケースマイアンの末裔は、それぞれが過去に囚われて、もがき続けるしかなかったのだ。
「あのとき、穴蔵で震えてるしかなかったあいつらが、ずっと探してたものが何か、貴殿らにわかるか」
それが夢や希望じゃないってことは、俺にでもわかる。老エルフの目の奥でチラチラ揺れてるのが、その“探してたもの”だってこともだ。
「死に場所だよ。この四半世紀、あいつらはずっと、死ぬことばかり考えてた」
「そんな、ことは……」
「わかるさ。俺が、そうだったからな。二十五年、来る日も来る日も、どこで、どう死ぬか、それだけを、考えてたんだ」
ひとつしかない目から涙を流し、ローリンゲンは笑った。
「貴殿らに、救われる、その日までな」




