227:奇跡の名残
商業ギルドと冒険者ギルドとサルズ行政区の各トップが一堂に会した場で金額交渉も事業計画草案の打ち合わせも済み、さらにすっかり忘れていた素材買い取りの報酬も受け取って、“魔王夫妻のお仕事モード”は一段落した。
甘い物をたらふく食べたら交渉も甘くなる(こともある)という事実を確認して、面倒な一切は片付いた。めでたしめでたし。
ちなみにサイモンから調達した備蓄穀物は商業ギルドの所有するサルズ最大のストック倉庫に収めることになった。とはいっても、商業ギルドの裏にある貯蔵蔵だ。冒険者ギルドでいう解体倉庫みたいな、納品物を検品して一時保管するとこ。
いつもの幸せな朝ごはんを終えて、俺とミルリルはゆったりとお茶を楽しんでいた。
「ターキフさん、ミルちゃん。今日は、どうするんだい?」
「今度こそ完全にお休みじゃ。どこぞを散策して散財して見聞を広めるのじゃ」
「そうだな。共和国に来たってのに、一般市民の生活とかほとんど見てないからな」
「それじゃ、“氷槍の祠”も?」
「ひょーそーの、ほこら? 何じゃそれは」
聞いたことはないけど、音から浮かんだ字ヅラで何となく雰囲気は伝わった。ミルリルさんからも、“美味いのか”的なボケは出ない。サルズ近郊の観光地かなんかかな。遠くなかったら行ってみよう。
「古くからある洞窟だよ。魔石が産出するんで、ずっと領主様の管理だったんだけどね。二十年くらい前に掘り尽くしてからは商業ギルドに移管されて、夏場の氷室になってる」
天然冷蔵庫か。たぶん夏でも涼しい鍾乳洞的な感じなんだろう。いまは真冬なのですが、それは。
「そこの奥に大きな滝があるんだけどね。冬だけは水が凍って、滝壺の奥に入れるんだよ」
「ほう、お宝が残っておったりするのかのう?」
「いや、そんなのがあったら領主様の管理が解けたりしないと思うけどね」
そりゃそうだ。サンドラさんの表情を見る限り、そこをお勧めしたのはカネとかお宝じゃない何かだ。
「愛し合うふたりが訪れると妖精の祝福を得られるんだとさ」
「「あー……」」
俺たちは微妙な声を上げて顔を見合わせる。
「すみません、俺たち、そういうのは……」
「……いささか、まずいのじゃ」
「え?」
こないだの、何か知らんけどポータブルな神の奇跡、風なもの。雲間から閃光のような光が差して俺たちに降り注ぎ、周囲を無数の妖精だか天使だかが花を撒き歌いながら舞い踊った、とかなんだとか。噂が噂を呼び勝手な尾鰭がついてエラいことになって、事態の収拾に苦労したそうな。俺たちはすぐ逃げたんだけど。
「“魔導学術特区”のジジイやら中央領の司祭やらが大群で出張ってくるとこだったんだよ?」
後日エクラさんがビキビキっと青筋立てた笑顔で教えてくれた。そりゃ、たしかに当事者ではあるし申し訳ないと思わんでもないけど、俺たちのせいじゃないんじゃないかな、それ。
「妖精は嫌いなのかい?」
サンドラさんが怪訝そうに訊いてくる。好きも嫌いも見たことないですが。
「嫌いではないが、間に合っておるのじゃ。ほれ、妖獣が共におるのでな」
「ああ、モフちゃんね。あんまり人懐っこいから、白雪狼ってことを忘れちゃうんだけど。そういやそうだね」
うむ。なんとなく説得成功。あれだな、ここんとこ忙しくてモフを構ってなかったから一緒に遊びに行こう。
……と、思ったんだが。
「おらん」
広くて快適そうなモフの小屋は空で、ドアはご丁寧に外から施錠してあった。閂っぽい簡易タイプではあるが、器用だなあいつ。それはいいけど、どこ行った。
「まあ、妖獣のことじゃ。そのうち現れるであろう」
「そうね」
俺たちは町に出て、店やら屋台やらを冷やかしつつ町の反対側にある西側城門から外に出る。
「良い天気じゃの」
「寒さのピークは過ぎたのかな。こっちも寒の戻りがあるのかもしれんけど」
「また知らん言葉が入っておる。意味は、なんとなくわかるがの」
「冬の一番寒い時期を過ぎて、だんだん暖かくなってきた冬の終わり頃に、ガーンと寒さが戻ってくるんだよ。俺の住んでいたあたりでは、毎年そんな感じだった」
「王国では、ふつうに寒さが緩んで、気付けば春になっておった……ような気がするがのう。いままでは、生きるのに必死で気にしている暇はなかったのじゃ」
たしかに、長閑な昼下がりの散歩なんてのは危機的状況がなくカネにも困ってないからできることではある。もしくは、行き場のない無職的な状況か、だ。
「これはサイモンに感謝しないとな……」
「それは、前にいうておった付き合いのある商人か。わらわからも礼を伝えておいてくれんかの。“ふぉーてぃーふぁいぶ”なしでは到底、生き延びられんかったのじゃ」
「そうだなあ……」
それ以前に、ミルリルに出会えずに死んでた。どんな規格外のチート能力よりも、俺には助けになってくれている。最近はずいぶんしっかりして、頼り甲斐のある良い男になってきてるしな。
ミルリルさんも、どんどんドワーフ無双に磨きが掛かってる。なんか俺だけ、少なくとも内面的には、あんま変わってないような気がしないでもない。
「ヨシュア」
ミルリルさんが俺の腕を取って抱え込む。
「おぬしは、わらわのすべてじゃ」
「え」
「おぬしが、そんな顔をしておるとな、わらわの胸が痛むのじゃ」
そうだ。俺の問題で勝手に落ち込まれても困るだろ。せっかくのデートなんだし、ここは笑顔笑顔……
「違う。そうではないのじゃ」
ダメ出しされた。聖母のような微笑みで。かわいいけど、リアクションに困る。
「幸せそうな仮面を被れとはいうておらん。必要であれば、わらわも共に被りもするがの。嫌なときは嫌、辛いときは辛いといわんか。なんでも、どんだけでも、いっしょに背負うてやるのじゃ」
「やめろ」
思わず硬い声が出る。ふわふわの髪を撫でて頭ごと抱え込み、俺はミルリルを抱き締める。
「惚れちまうだろ」
ミルリルといると、感情を隠すのが、どうにも上手くいかない。社畜時代に愛用していた仮面が、ボロボロに剥がれ落ちて使い物にならない。正直に生きるには遅過ぎると思っていたから、剥き出しの自我を曝け出すのが、きっと怖いのだと思う。
「そんなのは、当然じゃ。やられたことは、返すのがドワーフじゃからの」
わずかに上気した顔で、ミルリルは微笑む。
「……お⁉︎」
その表情が、いきなり強張った。ほとんど恐怖に近いリアクションはあまり見たことのないものだった。この子を恐れさせるような物なんて想像もできないんだけど……
「よッ、シュ……まずいぞ、あれ」
「ん?」
振り返った俺は、思わず息を呑む。ミルリルさんが恐慌状態になった理由が、俺にもわかったからだ。
「わふーん」
遥か彼方から、ご機嫌そうなモフの声が聞こえてくる。遠く離れた渓谷のあたりから、ぴょんぴょんと跳ねるようにこっちに駆けてくるのが見えた。
「……あいつ、何をやっておるのじゃ……」
妖獣が伝えようとしているものは明白だった。周囲には雲霞のような淡い粒子。波打ちうねるように舞い上がっては広がって行く、あれって……モフが出てきたのって、さっきサンドラさんいってた……
「わっふー」
“妖精つれてきたー”
いや、何万匹いんのよ⁉︎ あんまり多過ぎて見た目ムッチャ気持ち悪いし! そんなん町に入れたらパニックなるわ! 何してくれてんの、モフ⁉︎
「元いたとこに返してきなさーい!」
無垢なケダモノと、たぶん無垢であろう妖精たちを置き去りにして、俺たちはダッシュで城門を目指した。




