224(閑話):奇跡と彼女と瞬く光
指輪を買おう。その日、俺は決意した。
唐突に思いついたわけではない。先延ばしにしていたのは、諸問題を解決する方法がなかったせいだ。
剛腕パワーファイターにして凄腕ガンマン、そして新進気鋭の鍛冶師でもあるミルリルが普段から着けていられる、そしていざというとき彼女を守ってくれる指輪。普通の貴金属ならワイルドでアグレッシブなミルリルの生き方を阻害してしまう可能性もあるだろうけど、いまの俺には当てがある。
「というわけで、こちらです」
「なにがどういうわけじゃ、いきなり」
サルズの町で二軒ある宝飾品店のひとつ。店内外とも白を基調にした簡素にして清潔な店構え。極限まで無駄や装飾を削ぎ落としたおよそ宝飾品店らしからぬ作りは、技術に対する店主の自信の表れといえる。
「なんぞブツブツいうておるかと思えば、ルケモンの店ではないか。また匙でも買うのか?」
「スプーンはもう渡しました。ムッチャ気に入ってもらえたみたいなんだけど、今回はそれじゃないです。ルケモンさーん」
ドアを開けると、奥でカランコロンとベルが鳴る。こういうとこも雑駁で宝飾品店らしさがないけど、多分作業中でも来客がわかるようにという配慮なんだろう。実用本位なドワーフらしい。と好意的に考えることにした。どうせ愛想もシャレオツな雰囲気も求めてないのだ。
「なんだ、お前らか」
客相手とは思えない口調でボヤキながら、店の奥から白ずくめの老人が姿を見せる。白髪に白ひげに白の上下で、小柄で頑強そうな身体のドワーフだ。ニコリともしない爺さんだが、凄腕の職人だ。問題があるとすれば、いささか凄腕過ぎるところか。
「あの匙が気に入らんかったのか?」
「まさか。贈った子は大喜びで、片時も手放さないそうですよ。ちょっとばかりおまけが豪華過ぎたみたいですけどね」
サイモンの娘さんに贈った銀のスプーンには、持ち手に小さな魔石がついていた。それが魔力を治癒魔法に変換するらしく、産後の肥立ちが悪かったサイモンの奥さんを奇跡の光で癒して治してしまったのだとか。もともと天使のように可愛い子ではあったけど、奇跡を振り撒くことで天使としての地位を確立してしまったようだ。
「その子が、健やかに育つようにというお守りだ」
「ええ、ものすごーく健やかでしたよ。周囲の人間すべてに、笑顔と癒しと祝福を大盤振る舞いしています」
「赤ん坊というのは、そういうものだ」
いや、心情的な比喩としてならそうだけどさ。あれガチじゃん。ツンデレっぽい感じのドワーフ爺さんのリアクションが面白いな。意外と子供好きなのかもしれん。
それはまあ、どうでもいい。肝心の話をしなければ。
「それで、ですね。今日は結婚指輪を作って欲しいんです」
「けッ、こゆ⁉︎」
ミルリルさんが後ろで鶏のような声を出しているが、気にしない。自分はともかく、彼女には万に一つも事故が起きないような、お守りになるものを身に着けてもらいたい。
「結婚、指輪……?」
「こっちではそういう風習ないんですかね。結婚している証として左手薬指にはめるんです」
「……なるほど。“こいつは自分の女だ”という証しだな。そう変わった話でもない。指輪より腕輪や首飾りの方が多いがな」
「お、おにゃ……」
真っ赤な顔で湯気を吹いているミルリルを面白そうな顔で見つめ、ルケモン翁は首を傾げる。
「しかし、嬢ちゃんは、何も要らんといってたようだが」
「そう。だから、これは俺の勝手なんですよ。彼女が必要としているかどうかじゃなく」
「何か要望はあるのか? 例えば、ある程度の意思疎通や、離れると引き合う機能なら付加できるが」
「それは、もう通じてるし離れたりしないんで必要ないです」
「だったら何だ。単なる飾りは要らんのだろう?」
「そうですね。可能な限り、彼女の身を守るものが欲しいんです。いままで何度も荒事に巻き込んでしまってますからね。たぶん、これからもそうです」
「待てヨシュア、わらわは」
「悪いな、ミルリル。俺が、持っていてもらいたいんだ。俺のために、受け取ってほしい」
そういうことではないのじゃ、というようなことをモニョモニョいってたけど、ミルさんの苦情は後にしてもらう。
「……できんことはないな。問題は、どの程度のものが必要かだが」
ゴシャリと、大樽で金貨を出す。いかにも質実剛健で基礎までガッチリした店の床が、ギシリと軋みを上げた。
「手加減なしの、すべてです。“奇跡のルケモン”と呼ばれたあなたの、全力の作品を彼女に、お願いします」
ちらりと樽を見て、ルケモン翁は呆れ顔で首を振った。
「なんぼなんでも多過ぎだ。カネの話ではなく付加の程度をいっとる。それにな、全力と簡単にいうが、“奇跡”の二つ名が、わしにとってどれだけ忌々しく鬱陶しいものであったか、知らんわけでもなかろう? 神輿に乗せられ腫物扱いされて喜ぶ職人などおらん」
「わかってます。職人ではないですが、俺も似たような状況ですから。なのでそれは、今後の迷惑料も込みでの金額です。さらに“ケースマイアンの魔王”の名において、あなたの頼みを何でもひとつ叶えましょう」
俺が何者かは知っていたらしく、魔王を名乗ったことに対してはさしたる反応がなかった。案外こう見えて、商業ギルドとのコミュニケーションは取れているのかもしれない。
「そうまでいわれると、引き受けんわけにもいかんが……いささか、大袈裟すぎんか? いかに良い物を作ったところで、たかが指輪だぞ?」
呆れる老ドワーフを見て、ミルリルが笑う。
「こやつは南領を……少なくともサルズの町を、いまや我らがケースマイアンの友邦と考えておるのじゃ。無論それは、わらわもだがのう。そのカネは指輪そのものに払ったのではなく、いってみれば共和国とケースマイアンの、未来への投資じゃ」
「わしに出来るのは鍛冶だけだぞ」
「そんなことは承知のうちじゃ。心配せんでも、魔王が見初めた者に間違いはない。いままで一度もじゃ」
ミル姉さん、話を盛り過ぎです。しかもそれ、自分がその筆頭サンプルで文句があんならいってみろって意味を込めてますよね?
「ふん」
ルケモン翁は俺たちを見て息を吐くと、笑い声を上げた。ドワーフらしい豪快で開け広げな笑いだった。
そして、彼はこちらを見た。その雰囲気がガラリと変わっているのを、俺もミルリルもハッキリと察した。ミルリルの全力の殺気に似た、固く濃密な気迫。
「面白いことを、いってくれるな」
見ていてゾクリとするような笑みに、爛々と輝く瞳。現役当時の彼がこんなんだったとしたら、そりゃ周囲も困っただろうさ。神輿に祭り上げて現場から遠ざけた奴も、なかにはいたんじゃないかとは思う、が。
俺には好都合だ。
「良いだろう。この老いぼれにどれだけのもんができるか、見せてやる」
二日待て、とだけいって俺たちは店から追い出された。店頭には閉店の札が下げられ、ご丁寧に雨戸まで閉められてしまう。なんか凄いものに火を着けてしまった気はするが、同時にとてつもなく楽しみにもなってきた。
二日後、俺たちの前にふたつの指輪が置かれていた。ルケモンの店の、カウンターの上。素っ気ない木箱にどうということもない布が敷かれ、“容器はどうでもいい”と全力で主張していた。どうせ、はめたら最後で箱に戻したりはしないのだという自信か。
その代わりというかなんというか、指輪には、恐ろしいほどの力が込められていた。パッと見には、ただの銀色の指輪。ごく小さな魔石が埋め込まれているだけだ。しかし全体の輝きが、おかしい。
自然発光しているかと思うほどの、眩い光を放っている。
「……これは、素晴らしいけど、難しくないか」
「夜の戦闘や偵察に出られんのう」
精魂使い果たしたのかカサカサの肌で、ヒゲや服だけではなく顔色まで白くなったルケモン翁は、口からエクトプラズムでも吐いてるような顔で笑う。
「阿呆なことを、抜かすな。わしが、そんな稚拙な代物を、創るわけが、ないだろうが」
着けてみろ、といわれてミルリルが手に取ろうとするのを、爺さんは手を振って止める。
「何をしてる魔王。お前が妻の手に着けてやらんでどうするんだ」
すみません、結婚したことないので知りませんでした。そういうもんかと思って、俺は小さい方の指輪を摘み上げると、ミルリルの手を取る。
「……さ、さあ、我が愛しきひとよ。我が妃となって……」
「そういうのは要らん。惚気は帰ってやれ。いいから、さっさと着けろ」
またダメ出しされた。だって、こんなん知らんもん。まあ、いいや。
俺はポーッと上気したミルリルの震える指に指輪を通す。不思議なことにキラキラしていた光は、スッと収まって落ち着いた薄紅色に変わる。燻んだとか暗くなったとかではない。よく見ると、彼女の鼓動に連動するように淡い光沢が揺らいでいる。
「……これは、すごいのう」
ミルリルが恍惚とした表情で吐息を漏らす。
「身に付けた違和感が、まるでないのじゃ。あるべきところに、あるべきものが収まったような、不思議な感じじゃ」
「けッ」
なんでかルケモン爺さんは“やってられん”というような顔で鼻を鳴らした。なんですのん、それ。
「そうだとしたら、お互いの気持ちが、そうだってことだ。いわすな恥ずかしい」
なんやらわからんが、ふたりの仲を証明してくれたようだ。続いてミルリルが俺の手に、もうひとつの指輪を通す。同じように輝きは収まり、薄い空色の光沢になった。艶々した鏡面を雲のような模様がゆるゆると流れて行くのが見える。
「おぬしらしい色じゃのう。暑過ぎず寒過ぎず、気持ちの良い日の空のようじゃ」
そう、なのかな。自分ではわからん。
しかし、たしかに変な感覚だ。着ける前よりも自然な感じというか、失くしていたものが戻ってきたような、温かなものと常に触れ合っているような。
「まあ、幸せになるが良いわい。そしてお前らの幸せが、皆の幸せに繋がってゆくことを祈っとる」
牧師のようなコメントともに店から送り出された俺たちは、それぞれの指輪を陽に翳しニマニマと口元を緩めながら歩いていた。
「綺麗だのう……実に素晴らしい色じゃ」
淡い紅色は、ミルリルが笑うたびに真紅の揺らぎが混じる。彼女の感情の昂りによって表面の色に変化が入るようだ。どの色も明るく澄んで、ミルリルにピッタリだ。
俺たちは、真っ直ぐ宿へと帰る気になれず、ひとで賑わうサルズの中央公園に向かう。良く晴れた気持ちのいい日和で、家族連れが楽しそうに日差しを浴びていた。
「ヨシュア、わらわは幸せじゃ」
「いや、結婚したってことを、どうしても形にしておきたいと思って。こっちの作法を知らないし、すっとゴタゴタしてたから、遅くなってごめん」
「不満があるとしたら、ひとつだけじゃな」
少しだけ不服そうな声に、俺は振り返る。ミルリルは、ひどく真剣な顔でこちらを見ていた。
「わらわを“荒事に巻き込んでいる”、というたがの。わらわは巻き込まれてなどおらんぞ、ヨシュア。それは、わらわたちふたりの問題じゃ」
「……ああ、わかってる。それは、ちゃんと伝わっているし、すごく感謝してる。ミルリルなしでは生き延びられなかったのも事実だ。でも、たまに思うんだよ。もし俺と出会わなかったら、ミルリルにはもっと……」
胸元に伸びた手が俺を引き寄せ、それ以上の発言を止めた。その指で、リングが紅く光る。ミルリルの目にも、静かな意思が籠っていた。
「その先は、いうでない。いくらおぬしでも、許せることと許せないことはあるのじゃ」
「……でも」
「あのとき王都でおぬしと出会わなかったら、わらわは死んでおった。仮に身体が生き延びたとしても、心が朽ちておったわ。だから話は、そこで終わりじゃ。“もし”も“でも”もない。わらわは、おぬしと出会ったから、ここにおる。悔いなど微塵もないし、この上ない幸せを手に入れたと思っておる」
おぬしは違うのか、と彼女は聞き取れないほど小さな声で呟く。
「そんなの、いうまでもないだろ」
「変なところが世慣れておるように見えて、肝心なところはわかっておらんのう。女子はそれが聞きたいのじゃ」
そうか。そういうもんなのかもしれないな。全てを察していても、何もかも伝わっていても、それでも口にしなければいけないものというのはあるのだ。形として示したかった、俺と同じように。
俺は膝をつき、ミルリルの目線の高さまで降りる。
「この世界で、俺が欲しいのはお前だけだ。ミルリル、俺と一緒にいてくれないか。これからも、ずっと」
真正面から告白すると、ミルリルが息を呑む。柔らかな表情で、しかし瞳だけは強く挑むように、彼女は俺の視線を受け止める。
「わらわは、おぬしとともにおる。いつでも、いつまでもじゃ」
それは、いきなりだった。
ふたりの指輪から激しい光が放たれ、轟音とともに落雷のような輝きが広がった。痛みはない。それはあまりにも大きく、強く、眩い力の発現だった。何か巨大で、確固たるものが俺たちふたりを貫いて、固く結びつけた。
“誓いは成された。ここに、永遠の祝福を”
得体の知れない声から唐突な祝福を受け呆然としていた俺たちは、ざわめきで我に返る。
周囲に目をやると、サルズの住人たちが俺たちを遠巻きに見守っていた。その顔に浮かぶのは、驚愕と恐怖、そしてわずかに神の降臨を見たかのような恍惚。
「お、おう……なんじゃ、いまのは」
「こちらが知りたい、けど……“奇跡のルケモン”が、また何かやらかしてくれたみたいな……」
ミルリルが固まる。その視線を辿ってゆくと、そこには頭を抱える魔女エクラさんの姿があった。
「……昼日中の街中で、アンタたちは何をしてくれてんだい!」




