220:魔王クッキング
翌朝は気持ちよく晴れ渡って、俺たちは爽やかな目覚めを迎えた。朝食も相変わらずの絶品で、ふたりで満足しながら香草茶を飲んでいたところで、ふと思いついた。
「……エクラさんとこ、えらいことになってるんだろな」
「なっておるに決まっておろうが。しかし、あれが魔女の背負った業であるからのう。わらわたちに手を貸すことはできん。うむ、残念じゃ」
「すっごい棒読みなんですけど」
このままコソーッと、ほとぼりが冷めるのも待つという手もあるが、ひとに丸投げしておいて休暇を楽しむのもなんだな。
ちょろっと手土産を持って陣中見舞いでもしてみるか。
「ミルリル、甘いもの好きだっけ」
「好きじゃ。おーりお、やらいう黒いのが好きじゃな。温めた獣乳に浸すと、モロモロッとして美味いのじゃ」
わかる。けど、あのココアクッキーはエクラさんへの贈答品には向かない。工業規格で生産されたものなのは見ればすぐわかるし、どこの既製品なのか詮索される。第一、気持ちがこもってない。
朝食の片付け物を終えた女将さんに声を掛ける。
「サンドラさん、少しキッチンお借りしても良いでしょうか」
「良いけど、ターキフさんが料理するのかい?」
「料理じゃサンドラさんに敵わないですから、食べる方に専念しますよ。今日は、手土産用のお菓子作りを、少しだけ」
◇ ◇
小麦粉、乳脂、砂糖、ベーキングパウダー、板チョコ。あとは、卵とミルクと生クリームに、バニラエッセンス。俺は材料を調理台に並べる。ボウルと泡立て器もだ。素人っぽさの演出のため、焼き型は使わない。他の器は、王国軍から奪ったのを使おう。
作るのは、最も簡単で失敗が少なく万人受けするチョコチップクッキーと、少し難しそうだけど子供の頃に作った覚えのあるプリン。他のレシピは覚えてない。
「おぬしにも、意外な才能があったもんじゃな」
「才能は、ないよ。本格的なお菓子は作れない」
「焼き菓子と……蒸し菓子? そんだけできれば、十分に本格的だと思うけどねえ」
材料は、卵と乳製品以外はこちらで用意した。調理器具も、借りるのは蒸し器とオーブンだけ。調理台で粉を混ぜる俺を、ミルリルと女将さんが興味深そうに見る。サンドラさんが食いついたのは、ループ状の輪が重なった泡立て器。共和国にもあるが、茶筅に似たもので、木を削って毛羽立たせたそれは高価で腐食しやすく壊れやすいのだとか。
「材料も調理器具も、もう使わないので良かったら差し上げますよ」
「本当かい⁉︎ ありがとう、ターキフさん!」
サンドラさん自身はほとんど菓子を作らないというけど、それは技術や知識の問題というよりも共和国で糖蜜類が高価なせいだ。俺も虫蜜の値段を知っているので、なんとなくわかる。庶民が食べられる甘味は、果実の加工品がほとんどらしい。
「麦を発酵させた、甘麦ってのはあるけどね」
壺を見せてもらったけど、水飴っぽい、テロンとした液体。麦芽糖、かな。ふんわり上品な甘さで美味しいんだけど、甘党を満足させる種類のものではない。
訊くと砂糖は、ほとんど流通していないようだ。
「これが、さとう……粉の糖蜜みたいだけど、こんな高価そうなもん、本当にもらっちゃって良いのかい?」
「構いませんよ。少し前に仕入れた余りです。サルズで売ると、虫蜜の商売を邪魔しちゃうと思って」
「そりゃ、そうかもしれないけど。ターキフさん、あんまり商人ぽくないねえ……」
「わらわも、そう思うのじゃ」
俺も同感です。
バター代わりの乳脂に小麦粉と砂糖を混ぜてちびっとベーキングパウダーを加え、生地に砕いたチョコをザラザラッと入れる。あと思いついてケースマイアンで採れたナッツも砕いて足してみる。
「これを焦げない程度に焼きたいんですけど」
「大丈夫だよ、まだ火種が残ってるから。焼き加減はこちらで見ておくよ」
「お願いします」
ということで、クッキーが焼き上がるまでに卵黄多めの卵を混ぜ、人肌にしたミルクと生クリームと砂糖を別に混ぜて、両者を合わせてさらに混ぜる。
泡が落ち着いたところで、小さめのカップに注ぐ。
「これを蒸すのかい?」
「はい、それで完成です。甘くする代わりに肉や魚や野菜を入れて、茹でた鳥のスープなんかで作っても美味しいですよ。気泡が入ると見た目と舌触りが悪くなるんで、そこだけ気を付けて下さい」
「なるほど、勉強になるね」
いつの間にやら、サンドラさんは紙片にレシピをメモしていた。卵を焼く・茹でる・炒めるはあるけど、卵を蒸す料理はなかったそうな。肉や野菜の蒸し物は普通にあるんだけどね。
余った卵白は、泡立て器のお試しを兼ねてサンドラさんがメレンゲにしてくれた。あとでトッピングしよう。
上手い具合に焼けたクッキーと蒸し上がったプリンを食堂に運んで、早速試食を行う。ちょうど良いところで昼の手伝いに来た女性二人にも、試食に加わってもらう。
三十代の女性がレイラさんで、十代の女性がレイラさんの娘マーラさん。やはり親戚で、サンドラさんの姉と姪らしい。
「「「「‼︎」」」」
まずプリンを口にした女性陣が固まる。ミルリルまで固まってるのが少し面白い。
「「「美味しい……」」」
「うむ、これはウマいのじゃ! クチのなかで、“ぺローン”としよる!」
ペローンて。わかるけど。俺も食べてみるが、思ったほど鬆も入ってないし、バニラエッセンスも適量で悪くない出来だ。表面に少し気泡が出ていたので、急遽カラメルソースを掛けたのが功を奏した。
今回の仕入れでは、サイモンが首を傾げていたんだけどな。“ボウルに泡立て器にベーキングパウダーにバニラエッセンス? あんたはどこに向かってるんだ?”とかいってたけど、どうやら奥さんの手を借りたらしく、すぐに手に入れてきてくれた。
あまり話には出ないけど、どうやら奥さんも地域貢献を通してサイモンのいる地域でずいぶん顔が広くなっているようだ。聖者に聖女か。魔法を使う天使もいるし、彼らの未来が明るいと良いな。
「この“くっきー”も、なかなかじゃ。もはや、“おーりお”を超えておる!」
「この黒くて少し苦いのが、すごーく良い風味」
「噛むとジュワーッて、甘い乳脂が溶けてくるのが堪らないわね」
うん、それはカロリーの旨みなのですが、こちらの人たちにはわかるまい。禁断の扉を開いてしまったようだが、ここはそっとしておこう。
女性陣のお墨付きを得て、俺はサンドラさんに借りたバスケットに完成品を詰める。少し崩れたのをお裾分けして、昼の仕込みを始めた“狼の尻尾亭”を出た。
「いざ、出陣じゃな」
「そんな面倒な話じゃないと思いますよ?」
いや、そうあって欲しいものだ。和やかに済んでくれ、頼むから。




