216:女狐狩り
「向かってくる馬橇の方は頼んだ」
敵の首魁をわらわに託して、ヨシュアは最下層に転移していった。抵抗するなら殺しても良いというてはおったが、領主として国政の一端を担いながらも共和国を引っ掻き回した張本人。官憲の手に委ねるのが筋というものじゃ。縊り殺すにも段階というものがあろう。
どれほどの荷を詰め込んだやら、ヨレヨレと登ってくる馬橇の前に出て道を塞ぐ。下手に撃つと橇ごと転げ落ちそうじゃ。どうしたもんかのう。
「ああ、クソが、轢き潰せ!」
護衛の男が忌々しげに馬へと鞭を当てる。御者台の女と目が合ったところで、自分がいささか勘違いしておったことに気付いた。
「……たしかに、女狐とは聞いたがの」
単なる比喩だと思うておったわ。有名な守銭奴にして傾国の女領主、“女狐モルズ”は……
「ッけえぇーン!」
「やかましいわ」
牙を剥いて甲高い叫びを上げる狐獣人に、わらわは銃弾で応える。いまのが聞く者の魂を抜くという“妖鳴”か。度胸で知られたドワーフの女が、子供騙しの手妻ごときで怯むとでも思うたか。
“うーじ”の初弾は手綱を持った兵の目玉を射抜き、二発目はもうひとりの頭も吹き飛ばした。突進してくる皇国馬の巨体はクマ顔バスをも凌ぐほどの迫力じゃが、話に聞いておる習性を試してやるのじゃ。
「とまれ、デカブツ!」
「……ッ、ぶるる」
“力が強く身は厚く、粗食に耐えて気は優しい”。馬車馬の売り文句としては上等だとしても、その実かなりの臆病じゃ。わらわの殺気をまともに浴びて、震え竦んで動かなくなりおった。
「こらッ、なにやってンだい⁉︎ おい、さっさと動くンだよォ⁉︎」
「観念せい、女狐。もう手下も残ってはおらん。船も領地も兵も失った貴様に、打てる手などないのじゃ」
わらわを見据えたモルズは、何を思ったかニヤァーッと嫌らしい笑みを浮かべる。
「……へえ? あンた、どこかで見た覚えがあるねェ?」
「そうじゃ。貴様もキャスマイアに居ったのであろう? 叛徒どものくだらん企みを、捻り潰したのがわらわたちじゃ」
女狐は、ひょいと飛び降りると懐に収めた手で何やら探り始めた。薄気味悪い女じゃの。同じ狐獣人でも、元・皇国商人のメレル夫婦とは大違いじゃ。
「そう、かい。あンたがねェ……それは、イイところで会ったもンだよォ……?」
何を企んでいるのか知らんが、女狐はニマニマと笑いながら舌なめずりをし始めた。面倒なことになったもんじゃ。できれば、ヨシュアの功績のためにも殺したくはないんじゃがのう。
チリーン。
「む?」
おかしな鈴の音とともに、目の前が揺らぎおった。足止めのために放った“うーじ”の弾丸が脚を貫いたかと思ったそのとき、女狐の姿が搔き消える。
「……ぬ?」
チリーン。
「さァ、おチビちゃン。あたしと、イイことしようじゃないか?」
耳元で囁かれて、銃を持つ手が固まった。気付けば後ろに回り込まれておる。これは……幻術、かのう。
獣人のなかでは珍しく、狐獣人には魔術に秀でた者が多いと聞く。魔力も強く、好んで使うのも身体強化や攻撃魔法ではなく他人を操る幻術じゃ。その通説から、国によっては警戒され、あるいは忌み嫌われる。
その点こやつは共和国で領主にまでなったのだから、国に感謝こそすれ内乱を起こすような恩知らずなことをするのは筋違いだと思うんじゃがのう。
チリーン。
ああ、この鈴の音が幻術の導入なのじゃな。わかってはおっても、身体がいうことを聞かん。
「さァ、おチビちゃン……あたしの、目を見るンだよォ……」
女の声がスルリと、心の奥底に忍び込む。わらわはいわれるがままに、金色の瞳へと視線を向けた。
「ほォら、この目の奥に、チラチラと瞬く、焔が見えるだろォ……?」
「……ほむ、ら?」
「あァ……そうさァ、あッたかくて、優しくて、心がトロけちまいそうな、焔だよォ……?」
こっちへおいでと囁く声。いかんと思いつつ、足がひとりでに歩みを始める。魅了か幻惑か、モルズに近付くたび従うたびに、心の奥底に温かく柔らかなものが広がってゆく。例えるのなら、それは比類なき……愛情の、ようなものじゃ。
「そう……そうだよォ、おいで、おチビちゃン……」
わらわの手が、“うーじ”を手放す。革帯が肩から抜けて、愛する者からの贈り物が地面に転がった。不思議と、いまはそれが惜しいとは思わん。
「さァ……あたしの、胸に抱かれて、ゆっくりと……眠るがイイさァ……」
女狐は胸元を広げて、無駄に膨れ上がった白く滑らかな乳房をはだけ出す。それに抱かれると、甘く幸せな夢が見られそうな気がするのじゃ。
「そう、そうだよォ……おチビちゃン……あンたの心は、もう……あたしのもンだ……よッ」
後ろ手に回されていた女の手が水平に振られて、銀色の光が眼前に広がる。頭を下げたわらわの髪を、剣鉈の一閃がわずかに掻き斬ってゆく。
引き抜いた“あらすかん”を無駄肉に押し当て、見開かれた女狐の目を覗き込んで、笑ってやった。
「……残念じゃの。わらわの心は、売約済みじゃ」
「なッ⁉︎」
ドゴンと轟音が鳴って、“ふぉーてぃーふぁいぶの王”が、乳房ごと心臓をブチ抜く。焦げた風穴の開いた胸を見下ろすと、モルズは何かをいいかけたままズルズルと崩れ落ちた。
◇ ◇
姿まで幻術で騙っておったか、死んだ途端に女狐の身体は崩れ、萎びた片乳を垂れ下がらせた老婆の姿に変わりよった。こやつは、ほとんど魔物の類いじゃの。
まったく。面倒臭い相手であったわ。おまけに、また殺してしもうた。これではヨシュアにもアイヴァンにも、顔向けできんのう。戻ってきてこの惨状を見たら何というか……。
いや、案外どうとも思わず、わらわの無事を心配するくらいではないかの。
「ミル?」
穴倉の下から、ヨシュアの声が聞こえてきよった。こんなときに限って、気持ちが通じ合っているのがおかしいわい。
まあ、良いわ。世はこともなし。あやつの望み通り、この世の病原は排除したのだからのう。
「……ああ、問題ない。こちらも、脅威排除じゃ!」
わらわはヤケクソ気味に叫んで、愛する男の帰還を待った。




