213:うぃんうぃ~ん
城壁外に出た俺は、雪原にグリフォン2000TDを出した。ホバークラフトの巨体を初めて見た衛兵たちは驚きに目を見張るが、エクラさんは苦笑するだけで特にリアクションはない。
「魔王陛下、妃陛下。アイヴァンたちを、よろしくお願いします」
なんぞ魔法的な手法でも使ったのか、巨大なファンが立てる轟音を物ともせず、“魔女”の言葉は俺の耳に届いた。
「お任せください、ギルドマスター」
「それでは、行こうかの」
「わふ」
ラファンからの帰り道と同じく、ミルリルとモフだけを連れた道行きだ。今度は荒れた天候で視界が悪く、グリフォンの巨体は風下に流されがちなので姿勢制御にも気を使う。昼だというのに雪が舞って暗く、視界が悪い。ライトを点灯するが、気休め程度でしかない。
「ミルリル、あのWin-Winの話って、どういうこと?」
「どうもこうも、ヨシュアの受け売りじゃ。わらわは知らん」
えー。あんなに自信満々に宣言しておいて、こっちに投げっ放しは勘弁してください。
「おぬしから聞いた話を、わらわは互いの関係しだいなんじゃと解釈したがのう。魔女も魔王と小銭の商いをしたいわけでもなかろうに、目先の損得だけにしか目が行かん間は、お互い幸せになどなれん。そういうことであろう?」
そうかな? そうかも。あまり商才がなく行動が自覚的でもないので何ともいえんけど、共和国は俺にとって唯一、“利害を共有できる(可能性のある)国”なのだ。親しい人たちもできたし、お気に入りの宿もある。だから……
「せっかく築きかけた友好関係を、くだらん横槍で潰されたくはなかろう。ここは多少の持ち出しがあったところで、最終的に有益な選択をするべきなんじゃ。“損して得取れ”というやつじゃな」
「ミルリル、最近なんか俺より商人ぽくなってきてないかな」
アイヴァンさんたちと別れた地点を過ぎて、あのとき彼らが向かった街道らしき道を進む。山脈沿いを迂回して速度を上げ、そのまま北上を続けると大きく拓けた場所に出た。妙にフラットで樹木が生えていないところをみると、雪の下は“魔女の湖”みたいに河川か湖沼の水面なのかもしれない。
「この先は……あっちじゃな。森のなかに、道のようなものが見えておる」
少し進んだところに、五メートルほど間隔を離して二本並んだ柱のようなものがあった。振り返ると二十メートルほど背後にも同じようなものがある。
「何だ、あれ」
「橋を吊っておる支柱、かのう? ということは、この下は河じゃな」
ミルリルの言葉を裏付けるように、いきなり地面が揺れる。振り返ると、通り過ぎたばかりの雪面が大きく崩落してゆくのが見えた。地下水か山からの湧き水なのか知らんけど、轟々と渦巻く水流が露出している。危ねえ……あれ、ホバークラフトじゃなかったら落ちてたわ。あんなん生身の人間なら百パー助からん。
「西領との領境までは、どのくらいか聞いたっけ?」
「いいや。あのときは、行くつもりがなかったのでのう。しかし、衛兵隊の持ち物に本格的な野営装備はなかったはずじゃ。その日のうちに着ける算段だったとしたら、四十から五十哩というところじゃな。領境に泊まれるような集落があるんじゃろ」
なるほど、よう見てますね。エンジニア特有の観察眼か。キャスマイアからの帰り道で通った東領との領境も、ラファンからの距離はそんなもんだった気がする。サルズから西領までの距離も大きく違ってはいないだろう。
しばらく森のなかの小道(と思われる間道)を進むと、また少し拓けた場所に出た。視界が悪く方向を見失いそうになるが、のじゃナビの指示に従って先を急ぐ。キョロキョロしていたミルリルが、何かに気付いて俺に声を掛ける。
「ターキフ、いっぺん停止じゃ」
「了解」
「エンジンも切ってくれんか」
爆音が途絶えると、車内には吹雪の吹き荒れる音だけが響く。ミルリルは上部ハッチを開けて銃座の上に顔を出した。雪と風が吹き込んでくるが、彼女は気にせず周囲を見渡す。
「戦闘音らしきものが聞こえるのう」
「わふん」
モフも肯定のような反応を示すけど……うん、ぜんぜん聞こえません。俺は視力も聴覚も嗅覚も、第六感を含めて感覚器すべてが、この世界の住民たちの標準値をかなり下回っているようだ。
でもほら、都心暮らしだったからさ。マサイ族なんかでも都市部で長く暮らすと身体能力が落ちるっていうし。俺は誰に対してということもなく、言い訳をしてみたりする。
「向こうじゃ」
「わふ」
再びエンジンを始動して、ミルリルさんの指した方に進む。数分すると、粉雪のカーテンの向こうになにか倒れているのを発見した。これは……馬か。脚や腰の肉が切り刻まれ、鞍などの装具は剥ぎ取られている。
「サルズの衛兵隊が連れていた馬?」
「いや、違うようじゃな。痩せていて手入れが悪い。その茂みの脇にあるのは、おそらく焚火の跡じゃ。敗残兵が食料を取るために潰したのではないかのう?」
いいながらミルリルは銃座に上がって、臨戦態勢に入る。MAG汎用機関銃のボルトを引いて、薬室に弾薬を送り込んだ。
「おったぞ、サルズの連中じゃ」
ミルリルの指す方角にグリフォンを進ませはするけれども、風に巻き上げられた雪で微塵も見えません。俺にはすべてが白とグレーのグラデーションでしかない。
「敵は……百もおらんな。四十そこそこじゃ」
MAGの7.62ミリ弾が雪景色の向こうに送り込まれて、ときおり火花や血飛沫のような物が見えたりはするが、すぐに白い帳に隠され視界から消える。五里霧中とはこのことか。何もかもが気のせいレベルだ。
「このまま直進、攻撃支援に入るぞ。アイヴァンたちは、四半哩といったところじゃ」
銃撃を加えて、M79グレネードランチャーを連続発射する。数回の爆炎が上がると、そこでミルリルは攻撃を止めた。ヘッドライトの光に、倒木の陰で身構える衛兵たちの姿が浮かび上がった。
「……ターキフ? ミル?」
アイヴァンさんが立ち上がって、降りてきたミルリルに首を傾げる。
「退屈なので、遊びにきてやったのじゃ」
「そりゃ結構。こちとら生きるか死ぬかの瀬戸際だったってのによ」
「冗談じゃ。重傷者はおるか?」
「足を折ったのがひとりと、腕を斬られたのがふたり。あとは擦り傷程度だ」
俺たちはグリフォンの車内に負傷者を収容、毛布や水と清潔な布を渡す。消毒と気付けに蒸留酒の小樽もだ。その後で、また外に出て敵の死体を確認する。
血塗れで死んでいるのは、ほとんどが赤外套の北領兵だった。それが四十前後。ふたりだけ墨色の外套を羽織った皇国軍兵士が混じっている。死体は装備ごと収納して、馬は放す。
アイヴァンたちのところに戻ると、ミルリルが車内で衛兵たちに傷の手当てをしているところだった。
「おぬしら、馬はどうしたんじゃ」
「殺されたよ。最初の接触で、降伏を装った赤外套にな。足を潰せば、楽に嬲り殺しにできるとでも思ったんだろ」
ピキピキッと、ミルリルから怒りのオーラが立ち上る。無駄に馬を殺すと、俺でも咎めるような目で見られたからな。
「二十頭はおったはずじゃ。それを、全部か」
「……いや。いくらか無事なのはいたが、戦闘前に逃がした。自由にしておけば、サルズに戻る可能性も、ないわけじゃないからな」
主人が死んだ後も馬たちは生きろ、という覚悟だったようだ。ミルリルは俺と目を合わせて息を吐き、肩の力を抜いた。
「わふ」
慰めるようにモフがミルリルを鼻で突く。
「わかっておる。戦となれば手段など選んではおられん。そこで敵を責めるのは筋違いというのは、わかっておるんじゃ」
その辺の外道っぷりに関しては、王国軍との戦闘で積極的に進めてた自分がいうのも、なんだけどさ。降伏を装って攻撃してくるとかは、さすがにナシだろ。アンフェアとかはともかく、ガチで降伏したくなったときに受け入れられなくなっちゃうんだけど……外患誘致で死罪確定の彼らには、もう次なんてないことに気付く。目的のためには手段なんて選ばないし、下手すりゃ目的だって選ばないだろ。
「アイヴァンさん、こっちには戦時規約とか国際法とか、戦争する上での決まりごとはないんですかね」
「聞いたこともないな。そもそも守る奴なんていないだろ。せいぜいが、敵に捕まった人質の交換で条件交渉するくらいだな」
「……そうですか。では、さっさと済ませてしまいましょう」
俺は笑う。ミルリルが少しだけ、気遣うような顔でこちらを見た。俺は自分のなかでの原則を忘れないように再確認する。敵味方を区別する。味方に危害が加わる状況で、敵に情けを掛けない。そして。
「痛みを伴ったとしても、病原を断つべきです」




